4-19 ……ああ、そう
◇
「……なにニヤニヤしてるんだよ、気持ち悪いな」
そんな声をかけられていることに気が付いたのは、俺がようやく購入したスマートフォンから顔を上げた時だった。
そんな彼女の発言を真に受けたわけではないけれど、それでも一応という具合で自身の表情を確認するために、スマートフォンの電源をスリープに切り替える。黒く映った画面に反射して、自分の顔が視界に入る。
「……確かに、なんかキモいな」
ニンマリ、もしくはニタニタという笑顔を隠すことができていない表情。男のテレ顔というかなんというか。ともかくとして、誰かがこの顔を見て得をするわけはない、というような表情がそこにはあった。
「別にそれはどうでもいい」と朱音は呟いた後、いつも通りにコーヒーを嗜んでいく。俺はその姿を視界に入れながら、通知が入ってこないか気になってしまうスマートフォンを、とりあえずズボンのポケットへと仕舞い込む。
「それで、結局話ってなんだよ」
朱音は珈琲を飲み干した後、少しくたびれたように呟いた。
彼女がここに来るのは二週間ぶりほど。その二週間の中でも、朱音はイギリスで仕事をしていたのだから、くたびれてしまうのは仕方のないことだと思う。
定期的に一か月に一回しか戻ってこない彼女が、二週間という日数だけで日本に滞在している理由。それは、俺がここに彼女を呼び出したからだ。
いろいろと話さなければいけないことがある。ポケットに仕舞い込んだスマートフォンについてもそうだし、携帯を買ったもともとの原因も、どうしてそのような過程をなぞっているか、など、たくさんのことを彼女に伝えなければいけない。
ただの事務連絡であるのならば、それこそ電話とかで伝えるべきなのだろうが、俺がそうすることを選択したくはなかった。こういうことはきちんと面と向かって言うべき、という意地を優先して、いちいち多忙を極めている彼女を日本にまで呼びつけたのである。
まずは、話さなければいけないことの整理。
「ええと、……その」
……とまあ、意気込んではいたものの、いざ言葉を告げることを考えると気まずくなってしまう。
朱音に話さなければいけないのは、魔法使いである葵とかかわっていること。
悪魔祓いが所属している教会にとって、禁忌とされていることを、自らが率先して関わっているという事実。いくら朱音が教会側の人間だからと言っても、これを彼女に話さないというのは、どこか道理が通っていない。もし、それによって彼女に殺されるような運命につながっても仕方がない。俺はそれを理解した上で、彼女に言葉を伝えようとしている。
かといって、直接的すぎる話をしてしまえば朱音は困惑してしまうかもしれない。俺は間接的な部分から攻めようと、話題の整理を頭の中で行った。
「俺、イギリスに行くよ」
とりあえず、自分の中で確定していること。天音に話した一つの事実のようなもの。
そう言葉を紡いでみると、朱音は──。
「……ああ、そう」
……と、適当としか言えない相槌を打った。
「……」
「……」
「……いや、なんかこう、もっと、……ない?」
「……なんか、私の機嫌を取ろうとしているように見えてな」
「……」
それに返事をするのは憚られた。憚られたというか、返事をする気力を失ってしまった。彼女に魂胆が明け透けだったのかもしれない、ということが心に響いて、吐き出す言葉に悩んでしまう。
後ろめたさから、次に提示をするべき話題を見出すことはできず、俺はぼんやりと外のほうを眺める。それは朱音に対して視線を合わせることが億劫になったための逃避行動であり、そんな俺の目線の泳ぎに、彼女はあからさまにため息を吐いた。
「……まあ、いいよ。イギリスに行くって言うんなら、お前がこの後に話すことについてもチャラにしてやる。その代わり、絶対に嘘をつくなよ」
俺は朱音の言葉に息を呑んでしまう。すべてを見透かされているからこそ、これから吐く言葉によっては彼女に殺される可能性があることが頭の中に過って仕方がない。きっと、冗談じゃなく殺されるのではないか、という確信めいた気持ちが、俺の中にあった。
俺は手元にあった珈琲を一気に飲み干した。苦みが舌先から喉に流れ込んでいき、その勢いのままにカップを皿の上にもどして、耳に障るような、かちゃん、という音が響いてくる。
ふう、と息を吐いてから、俺は言葉を発する。
「……葵と、関係を持つことにした」
「……」
「……というか持つことにした、というか、持ってる。禁忌だってわかってはいるけれど、俺には耐えられなかった」
朱音は俺の言葉を待って、そのまま黙りこくっている。それを彼女なりのひとつの需要だと捉えて、俺はそのまま言葉を紡いだ。
「俺さ、やっぱり葵がいないとダメなんだよ。だから、関係を持ったんだ」
俺がそういうと、朱音はあからさまとは言えない自然とした風にため息を吐く。彼女の溜め息には、どれだけの憂鬱が込められているのか、それを考えることは少し億劫だった。
「……それで?」と朱音は言葉を吐いた。
「……それで、とは?」
「いや、だから、それでお前はどうしたいんだよ。イギリスに行くのはわかった。そして葵ちゃんと仲良くなりたくて、そうして関係を持ったのも分かった。それで、結局何がしたいんだよ?」
俺は、その言葉に息を呑み込んだ。
「お前がやっていることは、お前の想い人である葵ちゃんを殺すようなものだって前言ったよな。禁忌だからこそ、私と天音は魔法使いの記憶を封印したんだ。それが最良だということをお前もわかっていたはずだろうに。それで、お前は結局何がしたいんだよ」
「……それは」
「イギリスに行くって言ったり、そして葵ちゃんと仲良くなってる、とか、言いだしたり。……仲良くなってるとは言ってないのか。……ともかく、関係を持っているとか言い出して、お前は結局何がしたいの? というかイギリスに来て、それは意味があるのか?」
正論だな、と思った。正論だからこそ、彼女に返す言葉は見つからなかった。
結局、俺が何をしたいのか。
葵と関わりたい。イギリスに行かなければいけない。なぜイギリスに行かなければならないのか? 朱音に呼ばれていたからだ。
いや、それだけではないはずだ。日本に縋りついていても意味はないから、決別としてイギリスに行くつもりだった。そのケジメとして葵と関係を持つことを選んだ。それはケジメなのか? 意味が分からなくないか。
ここに来て、どうしようもなく行動が矛盾していることに気が付いてしまう。だからこそ、正論に太刀打ちできないことにも──。
──いや、違うだろ。
「──俺は、教会のトップに立ちたい」
──葵の涙を見てしまったとき、心の中で考えていたこと。彼女が涙を流していることを許容できなかったこと。その世界のすべてが許せなかったこと。そうさせている世界を正したいと思ったこと。正せないとしても、そこにある涙を包み隠すことができるのならば、それでもいいと片隅に思ったこと。
けれど、今の俺にはそれが許されなかった。禁忌というルールに縛られているのだから、それを世界は許容してくれない。
だったら、ルールを変えればいい。
「悪魔祓いと魔法使い、関わることが許されないという禁忌を、俺は壊したい。魔法使いの側面も知っているからこそ、悪魔祓いと魔法使いの壁を壊したい。そのためには、教会のトップにならなければいけない。……だから、俺はイギリスに行くよ」
これが答えじゃダメかな、と朱音に呟くと、朱音は視線を外に向けた。変な鼻歌を彼女は奏でながら、誤魔化すように俺から視線を逸らした。
……やらかしたかな。
そんな実感を胸に抱いた瞬間。
「ま、そこまで啖呵が切れるならいいんじゃね」
朱音は、そっぽを向きながら、淡々というようにそう返事をしたのであった。
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