4-2 あの日からの顛末


 それじゃあまたな、という朱音の声にうなずいてから、俺は忙しく回り続けている喫茶店を後にすることにした。朱音は一時の安寧を手放さないことを意識するように、いつまでもコーヒーを嗜んでいる姿が、窓の外からでも覗ける。俺はそれを笑顔で見届けてから、帰るべき場所を頭の中で整理した後に、そうして歩き出すことにする。


 ──朱音がつぶやいた言葉に、俺は返事をすることができなかった。


 以前から朱音に提案されていること。もしくはお願いというべきかもしれない。彼女が部下である俺に対して、命令を下さないところが優しさなんだろうと思う。そしてそれが彼女の俺に踏み込めない部分でもあると思った。


 朱音が悪魔祓いとして現在活動している場所。イギリス。イギリスには悪魔祓いの本拠地とされる教会と呼ばれる組織があり、私と一緒に仕事をしてくれないか、ということを朱音はいつも提案してくれる。


 俺は、それに頷いたことは一度もない。そして、明確に拒否したことも一度もない。


 いよいよこれで六回目。一か月に一度の勧誘ペースなので、単純計算で半年間勧誘されているわけだけれども、どうしても俺にはそんな覚悟が生まれることはない。


 帰路の道中、心と同じように世界を占有する灰色の空を目にしながら、俺は静かにため息を吐く。


 どうして、俺はいまだに日本で過ごしているのだろうか。


 ここにいても意味はない。意味が生まれることはない。


 そんなこと、自分自身でよくわかっているはずなのに、それでもしがみつくように日本に留まることを俺は選び続けている。


 朱音だけではなく、一緒に暮らしている天音にもよく言葉を紡がれる。朱音と一緒にイギリスに行こうよ、そんな優しい声掛けであっても、俺は首を縦に振ることはなかった。


 


 あの決別から、もう半年が過ぎようとしている。




 魔法使いとして過ごしていた時期から決別をするために、俺は家を出た。そして、悪魔祓いの事情に巻き込まれないように、それに関連した間柄の人間の記憶をすべて消去することを選択した。


 それから、居場所を失くすことを選択した俺に、天音は孤児院という場所をあてがってくれた。


 衣食住が保障されている健全な場所。俺は其れに甘える形で、孤児院で働きながら毎日を生活している。


 孤児院のバイトは楽しい。子供たちとかかわることはすごく楽しい。彼らは無邪気に笑顔を振りまき、俺に純粋さを分け与えてくれるような、そんな錯覚を感じさせてくれる。


 時折、俺に染みついた灰色の髪に違和感を持つ子も少なくはないけれど、それでも彼らは正しく、健全に毎日を過ごしている。それに寄り添うように、一緒に遊んだり、勉強を教えたりすることも、俺にとってはすべてが楽しい。


 ──けれど、それは偽物でしかない。


 対極を受容したからこそ、もう自分自身に嘘をつくことができない。誤魔化すことができたとしても、その安寧が偽物だという結論しか出せない。


 心に穴が空いたような感覚。自分の中にあった虚は対極を受容することでふさがったはずなのに、より空虚さが強調されて意識の中にちらついてくる。


 その穴を埋めることに、俺は必死になりすぎているのかもしれない。だから、縋りつくようにこんな場所へととどまり続けている。けれど、その穴が埋まることは、きっともうない。


 だからこそ、朱音と天音は俺に言葉を吐いてくれる。せめて、一緒に活動をしないか、と。仮初でもいいから穴を埋められないか、と。


 でも、その行為に、優しさに甘えることはできない。


 


 ──俺が本当に好きな彼女とは、もう関わることを許されていないのだから。






 悪魔祓いには掟がある。そんなことを、対極を受容した日に言われた。


 朱音は、俺の事情を察しているように、それでも真実は告げなければいけないというように、憂いを孕ませながら躊躇いがちに言葉を吐いていた。


 その掟は単純だ。


 悪魔祓いは魔法使いと関わってはいけない。


 単純にそれだけのもの。


 悪魔祓いとは世界を浄化する存在である。神の御使い、もしくは天使の御使いとされる存在だからこそ、世界の法則を変える、塗り替える、上書きをする魔法使いとは存在が相容れない。


 魔法使いとは、世界の秩序を根底から変えることのできる存在そのものであり、悪である。悪魔祓いの中での魔法使いという存在は、そんな風に扱われているのだ。


 だからこそ、相容れない存在でしかない悪魔祓いは魔法使いと関わることを許されない。


 関わってしまえば、悪魔祓いは異質を浄化する義務を全うしなければいけない。魔法使いを祓わなければいけない。


 つまり、魔法使いを殺さなければいけない、ということだ。


 魔法使いは根源的に『世界』へと到達するために魔法を使う。立花先生も同じことを言っていたのだから、それは魔法使いにとっては常識ともいるものなのだろう。それを求めるように教育された魔法使いの、その固定観念を変えることはできない。本能のような部分から、絶対に悪魔祓いは魔法使いと敵対すると、目を伏せながら朱音は言葉を吐いた。


 ──だから、俺は葵との関係を断った。


 悪魔祓いの掟に従えば、既に出会っている魔法使いの葵は確実に殺さなければいけない。例え疑似的な不死で生きていようと、その心臓の鼓動が止まらない限りは殺しつくさなければいけない。それを曲げてはいけない。


 俺が悪魔祓いの自覚なく、葵とかかわってしまった時期についてはどうしようもないが、悪魔祓いとしての自覚を持った俺は、金輪際、葵と関係を持つことはできない。


 朱音は、そう断言した。


 本来ならば殺さなければいけない存在。葵は魔法使いだから、絶対に殺さなければいけない。


 それを、関わらないという制約さえ果たしてしまえば殺さなくてもいい。そう約束してくれた朱音は、どれだけ俺に譲歩してくれたのだろう。


 だから、俺は葵との関係を断った。彼女の記憶を消すことを選択して、後のことは朱音と天音にゆだねた。


『本当にいいのか?』と朱音は俺に聞いてきた。それ以外に選択肢はないことを俺は知っていたから、それに頷くことしかできなかった。


 だから、これでいい。これでいいのだ。


 これ以外に道というものが見つからないのなら、俺はそれを歩むだけなのだ。


 葵がこの先も平穏に生きていけるというのならば、僕は、……俺は、それでいい。


 ふう、と何度目になるかわからないため息を吐く。


 ようやく、帰る場所である孤児院の姿が、視界に入ってきた。


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