4-3 ──デートでも行く?


 孤児院に帰ってからはやるべきことを行った。


 やるべきこととしては、子供たちのお世話であったり、夕食の準備であったり、単純な教会の掃除であったり。やるべきこと、と言ってはいるものの、帰ってきたところで暇をもてあそぶことしかできないから、こういった仕事があった方が、心境としては楽である。


 日の傾きが徐々に緩くなりつつある春の始まりの季節。孤児院での働きを終えた休息の時間には、太陽はすでに彼方のほうへと消えていて、夜を示すだけの欠けた月が世界を照らしている。まだ春になったばかりで冬の寒さを拭うことはできていない。外に出て息を吐けば白む景色に、俺は身を浸しながら呆然と世界を見つめている。


「たまき、なんか寂しそうだね」


 そんな至福といいたいような時間。実際には何も感じることのできない無の時間。そんな俺に付き合うように天音は俺に話しかけてきた。彼女も俺と同じくやるべきことを行った後なのだろう、孤児院の門の外に出た拍子にそっと息を吐いて、疲れたことを知らせるような動作をした。


 いつの間にか変わっていた俺の呼び方は、どこか葵の姿を思い出してしまうけれど、そんな気持ちは心の底に仕舞い込む。思い出せば辛くなってしまうだけだから、かんがえない方が楽だろう。


 天音は俺に声をかけると、それを合図としたように俺の腕へと絡みついてくる。まだ冷たさの残る世界の中で、温もりを与えてくれる彼女の腕を、俺は無理に解くことはせず、適当に流す。ここ最近の日常の中で慣れてしまったことであり、今となっては動揺することも感情を抱くこともない。


「……まあ、どうだろうね」


 彼女にそんな返答をする。諦めたような吐息を出しそうになる衝動を抑えながら、乾いた笑いを浮かべて景色をまた白く染めていく。


 寂しい、とはっきり言葉に出してしまえば、また天音に負担をかけることになってしまう。それでも嘘をつきたくはないから、曖昧な返事だけをしてしまうが、きっとそれもよくはないのだろう。


 そんな寂しさとは決別をしなければいけない。こんな寂しさを感じるのは身勝手な感情でしかないのだから、それを他人に巻き込ませるようなことをしてはいけない。


 それでなくとも、俺がこうして寂しさを感じて、人恋しくなってしまうのはよくないのだ。


 俺の行動一つで、誰かを殺す結果につながってしまう。俺が関わってしまった人間は、俺がいないことで生きることができている。なんなら関わっていない方が安全を約束されているのだ。


 関わってしまえば、その安寧は破壊される。安全は保障されないものになってしまう。だから、この寂しさは誰かを殺す原因にしかなりえない。


 そんなの、倫理的じゃない。正しい寂しさじゃないのだ。


 何度もそれを反芻しているのに、何度も反芻して理解をしているのに、それでもこの鬱屈とした感情を払拭することはできず、またため息を吐きそうになるのだけれど。


 ──俺と深く関係を築いていた葵でさえも、今は彼女のままで生きている。


 こんな感情を抱くのは、俺の独りよがりでしかない。


 彼女とのかかわりも、彼らとのかかわりも、終わったことを呑み込まなければいけない。半年という期間だ、そろそろ飲み込むことができてもいいはずなのに、思考が止まることはない。




 ──対極に飲み込まれそうになっていたあの時期、俺は苦し紛れに彼女へと告白した。


 それが、頭の中にちらついてしまう。




 結局のところ、俺は葵からきちんと拒絶されているのだ。葵は俺のことを受け入れてはくれなかった。だから、そういうものだと諦めて、今の現状を呑み込まなければいけないのは、自分自身でよくわかっている。


 はあ、と堪えきれずに息を吐いた。息を吐いた後に、あ、と声を漏らして誤魔化すように手をすり合わせて熱を求めるふりをする──。 


「──デートでも行く?」


「……はい?」


 そうやって誤魔化そうとしたとき、不意に天音は言葉を吐いてきた。その言葉を意識的にとらえても、一瞬混乱してしまって、素っ頓狂に声を高くして返事をしてしまう。仕方がないというものだろう。




 ──ここ最近の悩みとして挙げられることとしては、天音との距離感がつかめないこと。俺に対する呼び方もそうだし、腕を組んでくることもそうだし、こういった突発的な距離の縮め方に戸惑ってしまう自分がいる。




 対極を受容したことによって、封印されていた記憶は俺の中へと戻ってきている。当時の俺が体験していた過去から、葵よりも前に出会っているということも、俺はなんとなく思い出している。なんなら、天音は葵よりも幼馴染という表現を使うべきかもしれない。


 ……でも、だからといって、ここまでの距離感を詰めてくるのは流石におかしいのでは、と勘繰ってしまう自分がいる。


 いつも腕を組もうとすることも、俺が孤児院で他のシスターと会話をしていると割り込んでくることも、女の子の相手をしているときにジトっとした視線で見つめること、なんかおかしい。


 俺が対極を受け容れてからの天音の表情は豊かである。俺が彼女のことを思い出したことに気づいてから、魔法教室では真顔としか感じなかった表情には彩が生まれている。もしかしたら、この半年という時間をほぼずっと一緒に過ごしていたから、彼女の表情の変化に気づけるようになっただけかもしれないけれど、やはり以前よりも喜怒哀楽ははっきりしていて、球に甘えるようにすり寄ってくるのだ。


 そんな彼女に対して、どこか懐かしい感覚。


 代償行為のようにも感じられる、半年前に存在していた郷愁的に感じるなにか。


 ……それは、天音に対しても、葵に対しても失礼だろ、と心の中で考えたことを振り払う。


「ほら、お給料ももらったし、遊園地行こうよ」


「……」


 ──でも、俺はその郷愁に、代償行為という認識があったとしても、抗うことはできない。


 行こっか、と彼女に返答する。特に悩むこともなく、自然と返事が声に出ていた。


 きっと、これからも俺は天音と生きていくのだ。


 それならば、受け容れていかなければいけない。


 そんな不確かな実感を抱きながら、その後は彼女と一緒に予定を決める会議をひそひそと行った。



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