1-2 というわけで、本当に魔法なんです


「……怒らないから、誤魔化さずに話してよ」


 葵の言葉を咀嚼して、改めて返した言葉はそんな一言だった。


「……いや、本当に魔法なんです……」


「……」


 彼女の様子を目で捉えてみる。


 幼い頃からの関わりのある彼女。こんな場面で誤魔化すようなことは確かに言わない。それでいて、今は特に嘘をついている、という様子も見られない。


 ……でも、魔法?


「……すいません、よくわかりません」


「……ですよねー」


 葵も困ったように苦笑する。まあ、そりゃそうだよな、という顔をしている。彼女自身、この言葉を話すことを躊躇っていたのだから、容易く僕が信じるということは想像できなかったのかもしれない。


 ……もし、彼女が誤魔化すことはなく、嘘も含めることがなく、端的に魔法という言葉で説明したのなら……。


「……それなら、その魔法とやらを見せてよ」


 それならば、実演をしてもらうしかない。実演してくれなければ、僕も信じることなんてできやしない。もし、それで誤魔化すようならば、魔法というのは幻想で、実は闇医者か何かが関係している、ということで心の中で納得してやる。


 そう思っていたのだけれど。


「あ、そうだね!目の前で見せれば早いもんね!」


 そう言って彼女はるんるんと目を輝かしながら──ポケットからナイフを取り出して──。


「え?なにしようとしてるの?!」


 僕の動揺をよそに。


 ──腕に一筋の赤い線をナイフで描いた。


 ──勢いよく血液が垂れて。


「え?え?」


 僕の動揺は彼女に聞こえていない。そして、そんな動作を彼女は取ったのに、慣れているとでも言わんばかりに、苦悶にあえぐこともなく。


「──Enos Dies, Magna Dhiorr」


 よくわからない言語を饒舌にしゃべり、そして……。


 ──彼女の手元に、火球が現れる。


 彼女の手元には何もなかったはずだ。それなのに手品のように彼女の手元には火の玉が、野球玉と同じくらいの大きな球がそこに現れている。


 気が付けば、垂れていたはずの血も跡形もなく消え失せていて……。


「あ!どうやって消せばいいんだろう?!」


 ……知らねぇよ。




 ◇


「というわけで、魔法なんです」


「……はあ」


 彼女は適当に火の玉を窓の外に放りやって、そうして何事もなかったようにそんなことを言い放つ。その火の行方が気になったけれど、特に何かに引火するという可能性はなさそうだ。彼女が引火しても気に留めないほどの図太さを持っていなければの話だが。


「……納得できた?」


「……正直、手品かなって思ってます」


「……そこは納得しようよ」


 葵は呆れるように首を横に振った。


 ……納得したいのは山々ではあるのだけれど、なんというか、本当に突拍子もないからちょっと理解が追い付いていない。手品、と言われればすんなり納得がいくと思うけれど、それでも彼女は魔法だというのだから、理解が追い付かない。


「というわけで、魔法で環を助けたのです。納得してください」


「……うん」


 腑に落ちない部分は数あれども、彼女が譲らないのだから、どうしようもない。


 納得はできないけれど、まあ、一応理解を示す方向でいこう。一旦はそうする。


「……というか、痛くないの?」


「……?なにが?」


「……ほら、リストカットみたいなことしてたじゃん」


 僕がそういうと、彼女は思い当たるように腕を見せてくる。


「痛くないよ!ほら、元通り!」


 そうして見せてきた腕には、先ほど描かれていたはずの赤い線はきれいさっぱりに消えている。まるで何事もなかったかのように。


「……魔法ってすげぇ」


 とりあえず、そう返すしかない。それが魔法なのかわからないけれど。


 ──そんな感嘆の声を僕があげているときだった。


『──それだけじゃないよねぇ?葵ちゃん?』


 ……どこからともなく、男の声が空間に響いた。




 ◇


『いやあ、やっちゃったねぇ葵ちゃん。


 魔法を使って彼を救うところまでは理解を示してあげるけれど、それ以上に君はやっちゃいけないことまでやっちゃったよねぇ』


 人を煽るような口調で、男の声が聞こえる。男の声にしては少し高めで、同年代よりも若いと感じる雰囲気。だが、姿かたちは見えないし、寝ながらの状態で周囲を見渡してみても人の影さえおぼつかない。


 その声を聞いた瞬間、葵が「げっ」と声を漏らす。思い当たる節があるというように。


「……見てたんですか?」


 誰もいない空間に、葵はさも人がいるように話し出す。僕は理解が追い付かないから沈黙を決め込む。先ほどの魔法についても納得ができていないから、そのことばかりが頭をめぐっているし、目の前の状況もよくわからない。


『ああ、ばっちり見てたよ。ばっちりね。というか、ここは僕の職場なんだから当たり前っちゃあ当たり前でしかないんだよなぁ。君がそんなことに思慮も及ばない魔法使いだとは思わないけれど』


 饒舌に、その男は話している。


『……まあ、緊急事態だったんだろうね。君がそんなに焦るような状況は教室でも見たことがない。だから納得はしてあげよう』


 ずっと、饒舌に話している。


『──まあ、だからといって許されるわけではないんだけどね』


「……」


 葵はその言葉に沈黙した。


 ……よくわからない。よくわからない状況が続いている。魔法だとか、許さないとか、目の前のなにかとか、理解が及ぶ状況ではない。


「……何が、許されないんですか……?」


『──……え。僕の声聞こえていたりする?』


 男は少し戸惑うような声を上げる。


「……ずっと聞こえていますけど」


『……ほほう、それは凄く興味深いな。面白い。きちんと適切に返答をするあたり、僕の声は確かに君に聞こえているようだね』


「……はあ」


 冗長に話す男の声。少し鬱陶しいくらいに思うけれど。


『これも、葵ちゃんが君にした所以なのかな?ねえ?葵ちゃん?』


「……」


 葵は、いつまでも黙っている。


 ……うん?輸血?魔法とかではなく?


「……輸血ってなんですか?というか、あなたは今どこにいるんですか?」


 疑問を口に出す。だんだんとはっきりと声を出せるようになっている自分を認識する。


 男は僕の声を聞くと、


『ああ、これは失敬。君に聞こえていない前提だったから姿を消していたんだった、申し訳ないね。──人間ごときに悟られるとは思っていなかったからねぇ。いやあ、ごめんごめん』


 ──強烈な敵意を孕ませた言葉だと、そう思った。


 そんなことを思うや否や。


 ──僕の体の上に……、というかベッドの上に立って、僕を見下すようにしながら、彼はいつの間にかに現れた。


「……というわけで、立花たちばな あらただ。──よろしくねぇ?」

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