第一部 魔法使い編

第一章 灰色の現実

1-1 ……魔法で助けました


 暗い世界にぼつりと佇んでいる。明かりがあれば少しは心細さも拭えるかもしれないけれど、ここでは心もとないろうそくの火だけが点々と浮かんでいる。確か、ここでは奇麗な明かりを見ることはできなかったはずだ。ここはそういう場所なんだと、誰かに教えられた記憶がある。


 そこには僕と、誰かと、誰かがいる。暗いからよく見えない。そもそも顔がないかもしれないと思うほどに視界の情報は鮮明ではなかった。けれども、確かにそこには僕を合わせて三人の人間がいた。


「────」


 なにかを言っている。僕に対しての言葉なのか、それとも誰かに対しての言葉なのかわからない。もしかしたら、神に対する祈りだったのかもしれない。僕は何を言っているのか、聞き返そうとしたけれど、行動することはできない。喉から声を発することも、指先を動かすことさえも、僕には禁じられていた。


「─────」


 誰かは言葉を呟きながら、僕の額を撫でていく。その撫でる指先には液体がついているようで、どこかぬめる感触が嫌に触覚を刺激する。心地のいいものではなかった。


「─────、────」


 最後に別れのあいさつを交わして、そうして僕の意識は闇の中に葬られる。


 いいや、きっとそれは闇なんかではなく、無の中に葬られたのだ。





「……」


 長い夢を見ていた気がする。終わらないようで終わるような、とてつもなく長い夢。白昼夢を見ていた感覚。自然と意識は目覚めていて、その感覚を認識している。


 目が覚めた、ということは先ほどまでは寝ていたということだ。でも、寝る前に僕が何をしていたのかは記憶がまとまらない。


 視界をゆっくりと開けば、そこに広がる白い景色……、というか天井。あんまり見慣れない天井だから、自室でないことは理解できたけれど、それで頭の整理がつくわけもない。


 なにかを思い出すべきなのかもしれないけれど、どうにも記憶がおぼつかない。僕は今まで何をしていて、そうしてどんな行動をしていたのだろう。それが、どうしてここで睡眠をとる、という結果につながっているのだろう。


 とりあえず、体を起こしてみよう。そして、周りのものを観察して、状況の把握をしてみよう。


「──っ」


 身体を起こそうとしたけれど、その瞬間に、体内へと電流が走るような激痛が襲って、嗚咽で喚くしかなかった。


「環っ!?」


 聞き慣れた声が近くで聞こえる。


 身体を動かすことができないから、右往左往として周囲を眼球だけで見渡す。


 ……近くに、葵がいる。今にも泣きそうな表情……、というか既に涙を零しながら、僕の顔をずっと見ている。


「……葵」


 出そうとした声が、思いのほかちいさくて、彼女に聞こえているかはわからない。


 それでも彼女は、うん、と頷いて、そうして僕の手を握るのだけれど、久しぶりに感じたような温もりが、僕にはとてもありがたかった。




「……そうか」


 葵から状況説明を受けて、そうして今の現状を理解する。


 僕は帰り道にトラックに撥ねられて、生死の境をさまよった。


 そして、なんやかんやで治療が終わったらしく、僕が今目を覚ました、ということらしい。


 ……紆余曲折を省略しすぎなような気もするけれど、まあ、想像の範囲内で事足りることなのだろう。特に葵から詳細な情報を聞く、ということはできなかった。


「……それで、トラックは……?」


 掠れた声で彼女に聞く。すると、彼女は困ったように、ごめん、とだけ返した。


「私、夢中で……。環を助けなきゃって……」


 ……まあ、彼女が尽力をしてくれたおかげで今の僕があるわけだから、彼女を責めるというわけにもいくまい。そもそも責める気さえ存在しないのだけれど。


「……それで、僕は何日後に退院できるかな」


 僕の家の経済状況は、あまりよくない。交通事故とかでの入院のケースはよくわからないけれど、それはそれとして入院費用とかはかかるだろう。


 実はそればかりが頭の中に反芻していて、それ以外の思考があまりまとまらない。こんな時に考えるのが、命が助けられた、ということよりもお金ばかりになるのが、劣等感を強くさせる。


「あ、ああ……、ええと、そのね……?」


 どこか気まずそうに葵は話している。それだけでなんというか、何日もこの病室に籠ることが確定しているようなものだから、少し精神的にしんどい。


「──ここ、病室じゃないんだよね」


「……え」





「今から突拍子のない話をします」


 葵は少しばかり躊躇った様子を見せた後に、僕に向かってそういった。


「信じられないこともあるかもしれないけれど、そこはとりあえず飲み込んでください」と、更に付け足して。


 僕は、はあ、とか細い声で返すしかない。とりあえず、彼女の言葉の続きを待つ。


「ええとね。トラックに轢かれたときときの環の体って、病院で治せるような状態じゃなかったんだよね……」 


「……それは、どんな具合で……?」


 葵はすごく気まずそうにしゃべる。


「ええと、……四肢欠損?みたいな?」


「……やべぇじゃん」


 ……え?四肢欠損ということは、僕バラバラになったの?え?思考が追いつかないのだけれど?


 そんな僕をよそに、葵はこほん、と一つ喉を鳴らした後、話を続ける。


「私はそんな死体を見て思いました。


『あ、これは普通の病院では確実に蘇生はできないな』、と」


 ……無理だろうな。某有名のツギハギのお医者さんでもいなければ。


「……なので、私が治しました! 以上!!」


「どういうこと!?」


 彼女は紆余曲折をまた省略して、更に思考をかき回してくる。


 こういうときの彼女は、何かを隠しているときだ。


「……正直に、話しなさい」


「はい……」


 彼女は諦めたようで、ため息をついてから、数秒間をおいて言葉を放つ。


「……魔法で助けました」

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