秘密

クロノヒョウ

第1話



「なあ、今日お前んち行っていい?」


 下校中の電車でそう切り出した七瀬大輝ななせだいきは隣に座っている里見浩二さとみこうじの顔を覗き込んでいた。


「いいけど」


 高校に入学し同じクラスになって知り合った対照的な二人。


 持ち前の人懐っこさと明るいキャラで友だちも多く人気者だった七瀬に対して、里見は体格も良く綺麗な顔立ちをしているものの無表情で寡黙で人と話すことを避けていた。


 里見がそうなったのには理由があった。


 父親殺し。


 そんな噂があるために昔から里見のことを知る同級生らは誰も里見に近付こうとはしなかった。


 そればかりか何も知らずに話しかけようとする者がいればあいつは人殺しだから危ないぞと陰口をたたいた。


 高校生になってもそれは続き里見の噂はすぐに学校内に広まった。


 誰もが里見を怖がり里見の存在すら無視しようとする中、七瀬だけは違っていた。


 七瀬は毎日笑顔で里見に話しかけ続けた。


 朝から里見を見つけると「おはよう」と言いながら駆け寄り里見を驚かせた。


 授業でペアを作らなければならない時は常に里見に声をかけた。


 お昼休みは里見の姿を探し無理矢理一緒にお昼を食べた。


 帰る方向が同じだと知ると里見の横に並んで一緒に帰るようになった。


 そんな七瀬のことを無視し続けていた里見だったがようやく少しずつ七瀬の話に相づちを打ってくれるようになった。


 七瀬のそんな行動に最初は驚いて戸惑っていたクラスメイトたちも七瀬の明るく憎めない人柄もあってか誰も里見の陰口をたたく者はいなくなっていた。


 ただ里見に話しかけようとする者も七瀬以外にはいなかったが。


「えっ、マジでお前んち行っていいの?」


 当然断わられると思っていた七瀬は一瞬驚きはしたもののすぐに嬉しそうに笑っていた。


「ああ」


 電車を降り里見についていく七瀬。


 里見の家は古い木造の一軒家だった。


「お邪魔します」


 家の中に入るとすぐに階段を上って二階の部屋に通された。


「何か飲む?」


「ん、ああ、サンキュー」


 里見が部屋を出て行くと七瀬はベッドの横に座った。


 綺麗に片付けられていて清潔感がある部屋。


 なんとなくさみしい雰囲気が里見っぽい。


「お茶しかなかった」


「おう、ありがと」


 ペットボトルを受け取った七瀬の横に里見が座った。


「あ、家の人は?」


「婆ちゃんと二人暮らし。たぶん買い物かどっか行ってる。いつも夕方に帰ってくる」


「そっか、静かでいいよな。うちなんか弟が二人いるからすっげえうるさい。ねえ、いつも何やってんの?」


「べつに、ゲームやったりスマホ見たり」


「はは、だよな。俺も同じ」


「……何で」


「えっ?」


「何で……七瀬は俺に話しかけてくるの?」


「何でって……」


「怖くないの? 俺のこと」


「べつに怖くねえよ」


「人殺しなのに?」


「はぁ? そんなのただの噂だろ?」


「噂じゃない!」


 突然大きな声を出した里見に七瀬は目を見開いて驚いていた。


「噂なんかじゃない、俺はあの男を殺したんだ!」


「ちょ、ちょっと待てよ里見。いったい何があったんだよ」


 七瀬が里見の肩に手をおくと里見は泣きそうな顔をしながらうつむいた。


「……俺が小さい頃、両親は離婚したらしい」


 里見は母親に引き取られた。 


「母親は昼も夜も働いて俺を育てるために頑張ってくれてた」


 そして里見が十歳になった頃、母親が再婚した。


「あの男はどうしようもないクズだった。働きもせずに母親のお金をむしりとり母親に手を上げた」


「そんな……」


 ある日学校から帰ってくると父親が母親に殴る蹴るの暴行をしていた。


 里見は思わず父親に飛び掛かったが力でかなうわけがない。


 父親は里見を弾き飛ばすと母親の髪の毛を掴み当時住んでいたアパートのベランダへと引きずった。


「必死だったんだ……母親を助けなきゃって」


 里見は両手で顔を覆うと声を震わせた。


「あの男は知らなかったんだ。ベランダの手すりが壊れていたことを」


 里見は泣きながら父親に向かって走り出し、ありったけの力で体当たりした。


 不意を突かれた父親の体は意図も簡単に手すりもろとも三階から落ち、運悪くアパートの門の鉄の柵に突き刺さった。


「俺が……殺した」


 里見の肩は震えていた。


「里見……」


 七瀬はそんな里見を思いきり抱きしめた。


「殺したんじゃない、里見はお母さんを助けたんだ」


「……うっ」


 里見は声をあげて泣いていた。


「よく話してくれたな。ありがとう」


 泣き崩れる里見を抱きしめたままその背中を七瀬はしばらくさすっていた。


「なあ、もう泣くなよ。大丈夫だって。俺が里見のそばにいるから」


「七瀬……ありがとう……」


「いいからほら、顔上げろって」


 里見は涙をぬぐいながらそっと顔を上げた。


 その瞬間、七瀬は里見の唇にキスをした。


「わっ」


 一瞬の出来事に何が起きたのかわからないという顔をして里見は七瀬を見つめた。


「な、に……」


「はは、やっと泣き止んだな」


「七瀬……お前なにを」


「里見がずっと泣いてるから。ほら、涙も止まっただろ?」


 まだ驚いている様子の里見に七瀬はにっこりと微笑んだ。


「このことは二人だけの秘密な。里見の話も誰にも言わないから」


「……ああ、わかった」


「何か文句があるヤツがいたら勝手に言わせておけよ。俺が里見のそばにいるからさ」


「七瀬……」


「な?」


「でも俺なんかと一緒にいると七瀬が変な目で見られ……」


「そんなのどうだっていい! 俺は里見が好きだから一緒にいる。ただそれだけだ。里見は俺のこと嫌いか?」


「嫌いなわけないだろう!」


「じゃあそれでいいじゃないか」


「七瀬……ありがとう」


「おう」


 七瀬は里見にもたれかかるようにして里見の肩に自分の頭をのせた。


 これでもう里見の心の中は自分でいっぱいになったことだろう。


 自分が、俺だけが里見の秘密を知っている。 


 俺だけがたったひとりの里見の理解者だ。


 七瀬が欲しかったもの。


 それは自分だけに向けられる特別な愛。


 いくら友だちがたくさんいようともクラスで人気者になろうともそんなものは七瀬にとっては特別でも何でもなくどうでもよかった。


 七瀬もまた幼い頃に事故で両親を失っていたのだ。


 施設で育った七瀬は周りの子どもたちと平等に愛を受け育った。


 何も不自由だとは思わなかったし辛くも寂しくもなかったが、唯一七瀬はみんなと同じ愛ではなく自分だけに向けられる愛が欲しいと思うようになっていた。


 小学生の時に今の両親のもとに引き取られてからしばらくは両親の愛をひとりじめすることが出来た。


 だがそれも長くは続かなかった。


 両親に子どもができたのだ。


 両親の七瀬に対する愛は何ひとつ変わらなかったが七瀬の心の中の特別な愛は大きく音を立てて崩れていた。


 それからの七瀬はとにかく愛されることを求め続けた。


 中学生になってどんなに仲の良い友だちが出来ても女子に好きですと告白されてもその愛はすぐに薄れていくということを知った。


 そんな軽い愛なんて何も意味がない。


 自分が欲しいのはもっと自分だけに向けられた深く大きく永遠に続くような愛だ。


 そして高校生になって出会ったひとりぼっちの里見。


 誰とも話さない、誰にも心を開かない里見を見て七瀬は胸が震えた。


 里見だったらもしかすると自分だけを愛してくれるかもしれない。


 そう思った七瀬は里見に声をかけたのだった。


「好きだよ里見。俺がずっと一緒にいるからな」


「……ああ、俺には七瀬しかいないよ」


 その言葉を聞いて七瀬は満足そうに微笑みながら里見の手を強く握りしめた。



           完





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