末子捨て子伝説
真留女
米寿の祝い
高齢者施設(サ高住)に入っている叔母は今年88歳になる。
遠方に住んでいる私はその県に仕事で出かけたついでに誕生日には少し早いが米寿祝いにランチはどうかと連絡を取ってみた。
「うれしい! 私ステーキが食べたい!」叔母はまだまだ健啖だ。
その辺りでは有名なステーキハウスに予約を取って案内した。ランチとはいえコース料理である。始めのうちこそ気取っていた叔母だったが、〝自分を施設に放り込んだ〟息子夫婦の話になると声が大きくなった。
私は時折声量を下げるように注意する他はにこやかにその話を聞いているふりを続けていた。賛成も反対もしない。どうせ忘れるんだから。
(年金を盗られていると言うけれど、個室に三食風呂つきの暮らしはあんたの年金では足りないという想像力は…… 働かないのかね) 思っても言わない。
コーヒーとデザートが運ばれてくると、残り時間が少なくなった事に気付いたのか叔母は急に声を落として前のめりになった。
「ねえ、これはあんただけに話すんだけど……」
始まったよ。それとうに亡くなった私の母、叔母ちゃんの一回り上の姉ちゃんにも二人の間の兄ちゃんたちにも話しているよね。私のお祖母ちゃん、あんたの母親の妹である大叔母ちゃんの所まで言いに行って「〇子は頭がおかしくなった」って言われて大騒ぎになったのも知ってるよ。 みんなもう死んじゃったからね、結局私が一番聞いた回数が多くなってしまったあの話でしょ。
末子捨て子説 という言葉がある。昔は駄々をこねる子などに親が「お前なんか橋の下で拾ってきたんだ」と言うことが普通にあり、それをそばで聞いている兄弟たちが「わ~い お前は橋の下に捨てられてたんだ、おれは覚えてるぞ」なんて言い出す。
これは下の子が上の子に向かって言える事ではないから、末っ子ばかりが捨て子だと言われてしまうという話なんだが。こんな事大人になればどこでも笑い話になる。
ところが、還暦を迎えようかという頃になって叔母は突然「私はあの母親(私の祖母)の子ではない」と言い出した。証拠があると主張した。巻紙に流麗な筆書きの手紙を見つけたというのだ。その手紙は書道の師匠である女性からのもので〝この子をお頼みします〟という赤子の母親が我が子を託す内容であったというのだ。
そして、その子こそ自分だと言うのだ。
妄想なのか幻覚なのかその手紙を見た人間は他に誰もいない。さらに叔母は「お父さんは本当のお父さん」と言う。それでは叔母は不義の子であって、祖母はその子を手紙一本で押し付けられた事になる。
祖母は芯の強い人で、その強さがゆえに妄想癖のある叔母とはそりが合わなかった。叔母も元々祖母が好きではなかったのだろう。
私は祖母を愛していた。祖母は〝身内〟には限りない愛情を注ぐ人で、中国にいた祖父の生死も定かでない終戦直後も四人の子供を文字通り命がけで守り育て上げた。
もし、叔母が実の子でないなら、祖母にとって〝身内〟でなかったなら……
叔母が今生きていられるのは奇跡かもしれない。 祖母はそういう人でもあった。
何より、12歳離れた長女であった私の母が「お母さんのお腹が大きくなっていくのも、女学校から帰ったら真っ赤で不細工な〇子が生まれていたのも、私がこの目で見ている」と一笑にふしていたから、私もこの話は全く信じていない。
今日は書道の師匠がお茶の先生に変わっていたが、いつものように手紙の内容は寸分たがわず叔母はわが身を憐れむような眼で語り終えた。
「こんな事初めて聞いてショックやろ、ごめんな。でも誰にも言わずに死にたくなかったんよ」という最後のセリフまでいつも通りだ。
別に構わない、もうみんなこの世にはいないんだし叔母が残りの時間シンデレラであっても鉢担ぎ姫であっても、付き合ってあげる。
叔母を施設に送り届け、駅に向かうタクシーの中で私は母の言葉を思い出していた。
「もう、お祖母ちゃんも亡くなったから言ってもいいかな。本当はね〇子の下にもう一人女の子がいたのよ。戦後の栄養状態の悪い時だったからお祖母ちゃん、おっぱいが一滴も出なくてね、赤ん坊の時に死んじゃったの。小さい兄弟は怖がるからって、お祖母ちゃんと母さん二人だけで寺に預けに行ったの。よほど悲しかったのかお祖母ちゃんそのあとその子の事一度も口にしなかったから、母さんも誰にも話してなかったんだけどさ」
末子は捨て子? 祖母は鬼子母神? いやいや 叔母の御伽噺がいでしょう。
末子捨て子伝説 真留女 @matome_05
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