22-1-14 偽アポリナリアの書

【あらすじ】


 架空の十九世紀欧州。スモッグに覆われたフランスの工業都市メランで、孤児ギルギは義肢職人にして錬金術師トマの弟子としてからくり製作に励んでいた。

 ある日、彼らの家に少年の姿をしたオートマトン、レオンが落ちてくる。彼の製作者は奥義書『偽アポリナリアの書』を所有していたためにドイツ帝国の錬金術師同盟【鐘】に殺され、秘密を託されたレオンは旧友トマのもとに逃げて来たのだ。

 敵は既に迫っており、ギルギとレオンはトマが所属する秘密結社【燃ゆる車輪の兄弟】に助けを求める。欧州を跨いで活動する彼らの拠点である飛行船に招かれたギルギは初めて青い空を知った。

 残ったトマは【鐘】の指導者ドルンベルガーに殺されかけるが、その部下の工学者ヴァイデの提言により捕虜となる。機械を愛するヴァイデは「愚鈍な連中が科学を弄ぶのは不愉快だ」という理由で【鐘】より先にレオンを見つけようと目論んでいた。





【本編】


《きぇーー!!》

「くそ! なんなの?」


 おかっぱ頭の少女、ギルギは悪態をついた。


《きぇっきぇっ!》

「ロプロプ、静かにして」


 ロプロプはギルギが造ったオートマトンで、緻密なからくりと神秘的な魔術式に動物の皮を着せてできている。黒猫の前半身、鴉の脚、蛇の腹と尾、大蝙蝠おおこうもりの翼を繋いだ造形は、ゴシック建築のガーゴイルを真似たものだ。ギルギは気に入っていたが、養父のトマには「もう少し愛嬌が欲しい」と言われてしまった。

 今ギルギはロプロプに声を与えるべく、彼の喉に膏薬を塗った金属製のリード、小さな鍵盤キーと吹子を仕込んでいた。上手くいけば甘やかな声が出るはずだが、どういうわけか締め殺される猿のような音しか鳴らなかった。


「何がいけないのかな」


 彼女は床で大の字になった。

 養父がくれた家の三階は、今では立派な研究室となっていた──が、はっきり言って汚かった。机の上は書物や短剣や彫刻された骨、分解した金糸雀風琴スリネット、ちびた蝋燭や食べかけの林檎が乱雑に置かれ作業どころではないため、彼女は床でロプロプをいじっていた。炉にかけられた蒸留器アレンビックは沸々と泡を生み、棚には誕生日に貰った南国の甲虫の標本セット、壁にはピンで留められた図面や写真、大量のメモ。星座が描かれた天井には乾燥させた薬草、蓄光水晶入りのガラスドーム、熱気球の模型、そして大きな蜘蛛の巣がぶら下がっていた。


 ロプロプがギルギのそばに来て、首を傾げて彼女の顔を覗きこんだ。

 彼女は腕に留めた工具入れからピンセットを取り、からくりの喉を開いてリードを外そうとしたが、彼はひょいと飛び上がって逃げた。


「そのままがいいの? 静かにしててよ」

《きぇ》ロプロプは控えめに鳴き、黒い翼をバサバサさせた。


 ギルギは伸びをして起き上がった。


「喋るより飛びたいってわけね? トマに風袋を借りてこよう」

 


 ギルギは戦争孤児で、八歳の時に義肢職人にして錬金術師のトマ・デュシェンヌに引き取られた。六年の歳月を経て、好奇心旺盛な彼女はすっかり錬金術師の卵となった。

 トマはあまり愛情表現をしなかったが、折檻もしなかった。彼女が興味本位でいくつかのフラスコをいじり、小さな爆発を起こした時すら怒らなかった──無言のまましばらく惨状を眺め、小声で謝るギルギを尻目に「計算外の要素だった」とため息をついてから彼女の手当てをした。その後、彼は研究室にある面白げなものについて一つ一つ説明してくれた。それがどこからやって来て、どんな素質を持ち、どのように使われるか。彼は決して「触れるな」とは言わなかった。


「鍛冶屋になるには鉄を鍛えながら、だ」


 少なくない失敗を重ねながら、ギルギは色々なことを学んだ──錬金術だけでなく、養父のことも。


 トマはストラスブールの床屋外科医の家に生まれ、運良く大学を出てパリで研究した後、何らかの理由でメランに移ったらしい。彼は自分の過去を詳しく語らなかったが、独り身の男にしては妙に子供に慣れていた。もしかすると家族がいたのかもしれない、いつか教えてもらえたらいい、とギルギは思っていた。

 やがて彼女は彼を「パパ・トマ」と呼ぶようになり、彼ははじめ変な顔をしていたが嫌ではなさそうだった。トマの方もたまに彼女を「私のお馬鹿さんマ・グリブイユ」と呼んだ。


 トマの本業は義肢職人だが、この頃はガスマスクの注文も増えていた。一八五〇年代からメランの工業化が進み、外は常に工場や機関車から出る煙に汚染され、出歩くにはマスクが不可欠なのだ。また、金持ちの間ではスモッグの影響を受けないからくりを連れて歩くのが流行し、犬や猫のオートマトンは人気が高かった。大きな工房では全自動の馬車の依頼もあるらしい。

 メランで育ったギルギは絵画や彩色されたパノラマ写真でしか空を見たことがなかった。



 ギルギはロプロプを連れて螺旋階段を下り、二階にあるトマの研究室に入った。

 そこは彼女の部屋より混沌としていた。怪物的に大きく育っているアロエヴェラ(対話による植物への影響を観察中で、名前はキケロ)、埃まみれの棚には鉱物や硝子瓶に詰められた植物の種子、様々な動物の骨格標本がずらりと並ぶ。秘儀が描かれた稀少な写本の断片が散乱する作業台、熱された蒸留用双曲管セルペンテの中では没薬に似た香りを放つスミレ色の不穏な液体が蠢き、試作してはあちこちに放置された義手や声帯が落書きしたり呻いたりしている。どこぞで引き取った日時計の柱グノモンがスツールの役割を果たし、とある実験の結果新芽を生やし始めた天井の梁には完全なアンフィスバエナの剥製が吊るされていた。


「おっと」部屋に足を踏み入れた途端、ギルギは何かに躓いた。


 それはスピノザ──ヤマアラシの皮を着たからくりだった。この家にはトマが気晴らしに造ったオートマトンが何体も暮らしていた。スピノザはパリ時代の作品で、棘が折れてみすぼらしくなっているが思い入れがあるらしい。ちょっと抜けた性格で、あらゆるものをなぎ倒しながら徘徊するため部屋の散らかりに一役買っている。彼は後ろ歩きができず、今も骨相学の石膏像の狭間で立ち往生していた。

 ギルギはスピノザを引っ張り出しながら言った。


「パパ」


 白髪混じりの黒髪を雑に結えたトマは、緑青のわいたカルペパー式顕微鏡を覗いていた。


「種蒔く朝に沈むもの、プレアデス……ああ、何だい?」

「風袋を貸して」

「そのへんに【ナルボネ】がある──はずだ」トマは薬品箱のあたりを漠然と示した。

「……ふーん」


 トマは顔を上げ、決まり悪そうに言った。


「君だって少しは部屋を片付けたのか? この前は林檎にカビが生えていたが」

「菌を培養してるの」ギルギは澄まして答えた。

「……ほどほどにな」


 ギルギが雑多の山を物色しようとした時、頭上から凄まじい音が響いた── 振動でアロエや剥製が大きく揺れて天井から埃が降り、棚の瓶がいくつか落ちて割れ、漏れた薬品がシューッと煙を吐いた。


《きぇー!》ロプロプは叫びながらスピノザにしがみついた。


 トマは立ち上がってギルギを庇うように抱きしめた。


「タレス!」


 彼が叫ぶと、ロバの姿のからくりが燃えている『哲学者の薔薇』に向かって水を吐いた。

 上からはさらにガラスや煉瓦が散らばる高い音が聞こえたが、間もなく止んだ。


「……屋根裏に何か落ちたな」トマはギルギの頭に付いた塵を払った。

「望遠鏡、無事かしら」とギルギ。


 トマは険しい表情でガスマスクを手に取った。


「期待しないでおこう──様子を見てくる」

「私も行く!」


 トマは少し逡巡してから頷いた。


「マスクをして。きっとスモッグでいっぱいだ」


 二人は慎重に階段を上った。

 トマの作ったガスマスクはスモッグを見通せるよう錬金術で拵えたレンズがはまっていた。黒い霧が階段を伝い降りていたが、三階のギルギの部屋は無事だったので彼女はほっとした。

 天体観測に使用していた屋根裏は見るも無惨な状態だった。洒落た丸窓は派手に破壊され、落ちた煉瓦によって望遠鏡も天球儀もひしゃげてばらばらになり、星図の多くは引き裂かれていた。

 そして、瓦礫の中に座り込んでいたのは──


「人……?」ギルギは呟いた。


 その人物はマスクをしていなかった。髪も服も汚れていたが、彼女と同じ年頃の少年に見えた。

 彼は奇妙な装置を背負っていた。葉のような形に曲げた鯨の髭に皮を張った、繊細な部品を何枚も重ねてできた──翼?

 まさか、彼は飛んで来た?

 ギルギの目は装置に釘付けになった。それは破れたり折れたりしていたものの、どこか天使めいた優雅さがあった。体の周りにベルトで留めた機械から伸びるワイヤーで操作するようだ。


「怪我は?」トマが落ち着いて尋ねた。


 少年はあり得ない角度に曲がった足首を指差した。

 大変、と思ったギルギは彼に駆け寄って腕をとった。肌は滑らかで妙に冷たい。


「大丈夫?」


 少年は頷いた。痛みに耐えている様子もなく、完全に無表情だった。

 ギルギは違和感を覚え、そして少年の折れた脚を見た。

 血が出ていない……。

 さらに、掴んだ腕から伝わる振動。心臓が鼓動を打つのとは異なる、硬く、あまりにも規則正しい動き。


「まさか」ギルギは思わず彼の胸に耳を当てた。


 カチ、カチ──。

 全身の血が冷たくなるのを感じ、彼女はパッと少年から離れた。


「あなた……オートマトンなの?」


 これほどまでに精巧なものを、人間が造れるというのか?

 彼は袖で眼球・・に付いた汚れを拭い、じっと彼女を見返した。不思議な輝きを持つ緑の虹彩と淡い血管が描かれたガラスの球体……その奥の瞳孔はカメラの絞りのように開閉し、恐ろしいほどの技術の高さを伺わせた。

 少年は息を吸った──空気が管を通る微かな音がして、美しく、しかし風変わりな抑揚の声が響いた。


「僕はレオン」それからトマの方を向いた。「あなたがトマ・デュシェンヌ?」

「そうだ」

「僕を造ったのはあなたの友人、ステファヌ・エコシュール。彼は殺された」


 いったい誰だろう? ギルギはトマを見たが、マスクの下の表情は分からなかった。


「誰が殺した」トマの声は静かだった。

「三人の男。ドイツ語を話し、鐘の紋章の指輪をしていた」

「【鐘】……」


 トマは何か心当たりがあるようだった。

 彼は少年そばに膝をつき、身体に絡んだ飛行装置のワイヤーを外しながら言った。


「下に降りよう。君の修理をしながら話を聞くよ」






⚫︎結果

1位票:12

2位票:4

3 位票:5

合計:49pt


会場順位:同率5位/25

総合順位:同16位/100

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