19-1-05 マンドラゴラと楽師なき楽団
【あらすじ】
音楽の神に祝福された西の島国ナスィルテは、言葉を語る生きた楽器を作る職人や、優れた手腕を持つ楽師によって栄えている。
かの島の放浪の楽団は職人とその見習いを連れて故郷から大都市へと旅をしていた。しかし一行は旅の最中に襲われ、楽師たちと職人が殺されてしまう。残された見習いと楽器たちが瀕死の敵の一人を捕え尋問すると、《言葉なき響き》なる教団が魔法を持つ声を集めておぞましい武器を作っているという。
見習いは誓いにより敵を縛って下僕とし、各地に散らばる仲間の手を借りながら、忌まわしき教団の目論見を阻止すべく茨の道を進む。
声を禁じられた見習いに代わって、楽器たちの視点から語られる冒険譚。
【本編】
遥か西の彼方に、音楽の神に愛された島があった。
ナスィルテと呼ばれるこの土地で名高いのは楽師よりも楽器職人たちだ。彼らは最高の技術と魔術でもって、材料の性質や性格にふさわしい唯一無二の楽器を作る。それぞれが固有の名を持つ楽器たちは生きており、歌うだけでなく言葉を語る。彼らは相棒となる楽師を選り好みするので、腕が良くても名高い楽器を手にできるとは限らず、時に奇妙な組み合わせもあった。腕の良い職人に作られた楽器は何百年も生き、何代も受け継がれる名器も数多く存在した。
ナスィルテの楽師の一部は遠くの地で音楽を集めたり、技術を広めるために旅に出る。
楽団リヨンテもその類いだ。七人の楽師と七つの楽器、職人とその見習い。彼らは南方の大都市を目指して海を越え大陸に渡り、十日かけて森を抜けている最中だ。
日は傾き、一行のうち人間たちは野営の準備をし、楽器たちは好き勝手に過ごしていた。天幕の前では二つの若い楽器が音色の口真似をして遊んでいる。
「ビャイビャイビィィン!」
「ピッピップゥ?」
まるで会話のようだが、ただ面白い音を立てて楽しんでいるだけである。
ビャイボは作られて七年ほどの琴のような楽器だ。台形の胴には十二列に三本ずつのフレット、計三十六本の弦が張られ、木製の爪で弾いて奏でる。さらに胴からしなやかに伸びた首には六本の共鳴弦が張られ、弾くほかにビャイボ自身が首を引っ張ったり喉に開いた穴を震わせることでビーンという音を鳴らす。
頭の装飾は大きな耳を持つ鳥のような形で、目の部分には綺麗な空色のガラス玉がはめられている。加えて胴の下には真鍮の猫足が四つ、歩いた時に傷つかないよう革製の靴まで履いていた。
ビャイボの相棒は《白樺》という若い楽師だ。低く少ししゃがれた声が彼の音に良く似合う。淡い金髪と薄い青の瞳を持っており、左目の横に小さな傷がある。これは人間が身体の一部を取り外せないことをあまり分かっていなかったビャイボが、宝石のような目玉をつつき出そうとしてできたものだ。人の目玉はつつくと駄目になってしまうと言い聞かされ、楽師の目が傷つかなくて良かったとビャイボは思った。
二人はお互いが初めての相棒だった。ビャイボは三年ほど熟練の楽師の元で自分の鳴らし方を学び、《白樺》と組んで自ら音楽を演じるようになって四年ほど。
彼と一緒に騒いでいるのは角笛のピッパルパッタ、長いのでパットと呼ばれている。捻れた牛の角に真鍮の猛禽の脚とアリクイのような歌口を持つ彼は作られて二年あまり、玄人の《松》の元で学んでいる最中だ。
おもむろに、パットはその辺りに生えていた
ビャイボが眺めていると、パットは「ッケ!」と奇妙な音を立てた後に自分の首をキュポッと外した。薄荷を詰まらせたようだ。
ビャイボは舌足らずな口調で言った。
「おばかさん」
これを可愛いと思ってわざとやっているので、あざとい楽器である。
パットは首から薬草を引っ張り出して、不服そうにブーッと音を立てた。
遊びに飽き始めていたビャイボは彼を放っておくことにし、しゃなりしゃなりと相棒の元へ戻った。
《白樺》は木に寄りかかって座り、指先の手入れをしていた。爪を丁寧に研ぎ、指に油を擦りこむ。彼の手は大きいが指は細く長い。彼の胸元には素朴で美しい仮面がぶら下がっている。これは楽師が演奏時に必ず身につけるもので、音楽の神の下僕であることを表し、内側には『我は汝が奏でる器なり』と彫られている。
《白樺》の膝に乗ろうとしたビャイボは、自分の靴に泥がついているのを見つけたので相棒の外套でそっと拭った。
若い楽師は楽器の気配に気づき、顔を上げずに尋ねた。
「パットと遊んでやらないのか」
「飽きちゃった。あの子、おばかさんなのよ。また薄荷を詰まらせたの」
《白樺》は自分の外套を見やって声を上げた。
「また僕の外套で汚れを取ったな!」
「ビィン?」
ビャイボは可愛らしく首を傾げてみせた。都合が悪くなると、この楽器は言葉を話さなくなる。
《白樺》は楽器に指を突きつけた。
「誤魔化しても無駄だ」
「ビャイビャイ」
楽師はビャイボの頭を突いた。
「ちゃんと喋れ」
「ア゛?」
低い濁声で答えると、《白樺》は吹き出し、それから声を上げて笑った。いつも可愛こぶっている楽器が不穏な音を出すと、相棒は怒りより面白さが勝ってしまうらしい。
ビャイボはグンと伸びをした後、相棒の膝の上に座りこんだ。《白樺》は楽器の弦を爪弾き始めた……。
その時、北の方から世にも恐ろしい歌声が響いてきた。
《白樺》がハッと顔を上げた。
「《樫》だ……盗賊の類か?」
たしか《樫》は薪を調達に出ていた。野営地にいる楽師たちは立ち上がった。彼らは歌で敵を恐怖に陥れ、狂わせ、殺めることもできる。ナスィルテで守られるべきなのは楽器たち、次いで職人だ。同じ楽器は二度と作られず、職人がいなければ楽器は作られることも修復されることもない。護衛の役目を果たすのは楽師たちなのだ。
声が二重になった。あの鋭い声はきっと《柊》だ。
《白樺》はビャイボを膝から下ろした。
「天幕に隠れてな」
ビャイボはおとなしく従った。
天幕にはすでにパットと、二連の太鼓ドゥムンドゥとティキタがいた。
戦の声はどんどん重なり、ビャイボの弦もその響きを拾っていた。楽師たちの歌は強い。いつもなら半刻で片が付く──が、今回は違った。
声が一つ減った。
それからもう一つ……。
楽器たちは顔を見合わせた。いったい何が起きている?
夜の闇が忍び寄り、不安が募っていく中、天幕の入り口がめくれて職人見習いの《
憔悴した表情の見習いに抱えられているのは大型のリュートのようなタンダラだ。六〇〇年ほど前に作られた彼は深い沈黙を纏っていた。
その後ろには馬のように大きなグーヴェルがいた。大蛇の腹に似た吹子ふいご、背中にはさまざまな突起や鍵盤を持ち、それを押したり引いたりして音を奏でる。彼が木製の膝をついて座りこむと、突起の一つに掴まっていたオカリナのウズヌィが飛び降りながら言った。
「《菩提樹》と《熊葛》が……」
「なあに?」
ビャイボが尋ねると、グーヴェルが続けた。
「殺された……《樫》も。何者かは知らんが、ナスィルテの技を盗もうという輩だろう」
彼の吹子は一部が大きく裂けており、そのせいで言葉には隙間風がまとわりついていた。《菩提樹》と《樫》はそれぞれタンダラとグーヴェルの楽師だった。
ビャイボはゆっくりと言った。
「《白樺》も向こうに行ったの。呼び戻さないと……」
グーヴェルが優しく答えた。
「もう遅い」
楽器のうち、シャンリムの姿がなかった。金属片を鈴なりに連ねた楽器で、普段はシャラシャラと鳴らないよう帯で留めているが、完全に静かになるのは難しい。動かずにどこかに隠れていると信じたい。
《恋茄子》は口笛で居場所がばれるのを恐れたのか、身振りで言った──右手を後ろに向けて扇ぎ、左胸を二度叩いてから手のひらを上に向けた。
『私は戻るべきでは?』
ドゥムンドゥが言った。
「お前にできることは何もない。お前は歌えないのだから」
グーヴェルが馬のような鼻先で見習いの肩をつついた。
「俺たちにはお前が必要だ。《熊葛》がいなくなった今、俺たちを直せるのはお前だけだ」
《恋茄子》は何度か深呼吸をし、立ち上がった。彼は微かに舌を鳴らしながら皮袋の水を地面に撒いて守護の魔法をかけ始めた。
ビャイボは水溜りを避けて地面にうずくまった。そしてじっと耳を澄ませ、相棒の声を探した。
やがて、すべての声が消えた。
空は明るくなり始めている。《恋茄子》が小さく口笛を吹いた。
『私が様子を見に行く』
グーヴェルが言った。
「俺も行こう」
ウズヌィが首を振った。
「みんなで行こうよ。どんな違いがある?」
天幕から出たビャイボはそっと相棒の姿を探した。彼は自分がカタカタと震え、共鳴弦が不協和音を立てているのを感じた。この森は深い。苔で覆われた太い木の根が地を這い、猫足では思うように進めない。
最初に見つけたのは《樫》だった。血溜まりに臥した相棒の上でグーヴェルが頭を垂れ、破れた吹子から唸りのような音が響いた。
二人目は《松》だった。
それから《白樺》を見つけた。
ビャイボの相棒は地面に仰向けに倒れていた。首は切り裂かれ、血はまだ乾いておらず、落ち葉や野草を汚している。
ビャイボは血溜まりを避けようとしてから、急に無意味に思われたのでピチャピチャと踏んで相棒に近づき、革靴はすっかり赤く湿ってしまった。くちばしで《白樺》を突いてみて、しなやかだった身体がこわばって
ビャイボは相棒を失うのが初めてだった。彼はしばらく《白樺》の周りをうろうろしていたが、結局いつものようにその腹に乗って座りこんだ。
《白樺》の青い目は開かれたままで、泥で汚れていた。こんなことならつつき出しておけばよかった、とビャイボは思った。
⚫︎結果
1位票:7
2位票:9
3 位票:3
合計:42pt
会場順位:同率6位/23
総合順位:同率23位/97
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