17-1-11 Manic Pixie Dream Boy

【あらすじ】

「私はお前の期待通りの人間じゃない」

 大学に入る前に性別適合手術を受け、《女性》として生き始めて七年が過ぎた怜は、いまだに自分が何者であるか迷いがある。そんな時、男だった頃の親友から「久しぶりに会いたい」と電話がかかってくる。当時何の説明もせずに連絡を絶ったことを後悔していた彼女は会うことを承諾した後、今まで避けてきた現実や自分の内面に向き合おうとする。

 彼女を《受け入れられない》家族、あからさまに嫌悪する者、風変わりな友達を欲しがる者、本当に女なのかと勘ぐる者、不本意なアウティング、悪意のない偏見、マイノリティ・コミュニティとの温度差、さまざまな問題に悩みながら、彼女はいつも自分に言い聞かせる。

「でも、私はかわいそうじゃないし、謝ったりもしない」

★Manic Pixie Dream Girl:主人公の成長のためだけに存在する、小悪魔的でエキセントリックな女性キャラクター。





【本編】



 性別適合手術を受けるかどうか?


 個人的にはお勧めしない。骨が弱くなるとかメンテナンスにずっと金がかかるなどの身体的な理由も、友人関係や仕事関係がややこしくなるという社会的な理由もある。でも一番の問題は、それによって自分が何者なのか、より分からなくなってしまう場合もあるってことだ。

 私は十九歳の時に《女》になった。いわゆるバットとボールの野球セット・・・・・をとっぱらって……体についての話は、避けて通れないとしてもかなり気が滅入る。

 後悔はしてない。少なくとも、これで男ではなくなったとホッとした。

 では、かわりに何になったのか。


 本来、私は……あまり自分の苦しみや悩みについて話したくない。この手の話に限らず、個人的な悩みは他人に分かるようなものじゃないから。何度話しても、何を話しても。単純な無理解も疲れるけど、相手が共感や同情を示そうものなら「お前に何が分かるんだ」と言いたくなる。

 「性別を変えた人間である」ことについて、私が求めているのは共感でも理解でもない。セクシャル・マイノリティは特別扱いを求めてるんじゃない。あなたはただ、他人の一人として接すればいい。それだけ。

 これは受け入れるとか受け入れないとかの問題じゃない。あなたが認めなくても、私たちは既に存在している。事実以上のことに踏みこまなくていい。近づくのではなく、お互いに必要な距離を取るのだ。



++++++++++



 新宿二丁目の雑居ビルの一角にある、ジェンダーフリーのバー。

 カウンター席で一緒に飲んでいるのは一つ年下、私と同じく大学に入る前に手術をして《男》になった智也ともや。身長は一七〇センチ弱くらいだから、男としては大きくはないけど、気にするほどじゃないだろう。というか現在はバッキバキに鍛えてマッチョになってるから、元が女だったなんて信じられないくらい。

 彼とはジェンダーフリーイベントで出会い、方向は違えど性転換という経験をした同年代なので、数ヶ月に一回は飲みに行く仲になった。


「また一回りデカくなった?」

「そう? れいはまた細くなってない? ジム紹介する?」


 怜。親が付けた名前が中性的だったからそのまま使ってるけど、それはそれでデメリットもある。智也は大学入学の手続きは戸籍上女、名前も別だったので、講義のはじめに名前の間違い・・・をはぐらかすのが大変だったらしい。


「これ以上ゴツくなれねえよ」


 男友達といる時、私はなんとなく自分も《男感》を出す癖がある。気のせいかもしれないけど、その方が相手が……警戒しないように思う。

 私はハイネケンを飲みながら尋ねた。


「で、彼女とは最近どう」

「別れた」

「うそ」

「マジマジ」


 智也には四年ほど付き合っている彼女がいた。その子は彼がトランスだと知らずに告白し、事実を知ってからは色々と調べたりLGBTQのイベントに参加したりとかなり献身的で、仲も良さそうに見えた。

 年齢的に結婚なども視野に入る年齢だから、そのへんですれ違いがあったのだろうか。


「なんで?」

「えー、重かったから」


 それを聞いた私は……思っていたのと違う理由だったので、言葉を咀嚼するのに時間がかかった。意味もなくビール瓶の上の水滴をなぞりながら、私は言った。


「あ……お前が振ったんだ」

「俺が振っちゃだめなの?」

「そうじゃないけど……向こうは重くもなるでしょ」

「まあね。でもやっぱり重く考えすぎだったと思うなあ、なんか面倒になっちゃった」


 確かに、当事者でない人々は私たちについて大げさに考えていると感じることはある。マイノリティの多くは普通の、スタンダードな感覚を持っている。周囲や自分自身からの抑圧の反動で荒れたり、必要以上に自分らしさ・・・・・を表に出さなければならないという衝動にかられることはあるけど、大半はただイロモノ扱いされずに当たり前に生きたいと望んでいる。でも現実はそう上手くいかない……私たちは普通じゃないってことになっている。性別を変えたとか同性が好きだとか、色んなセクシャリティの部分が原因で。

 智也は上手くやってる方だ。トランス・ジェンダーの中には性別を変えてから上手くいかずに元の性別に戻す人もそれなりにいるし、悩み続ける者だって多い。まあ彼にも悩みはあるだろうけど、私みたいにうだうだしない。



 私の身長は一七七センチある。元々顔は綺麗だった。男の頃は普通よりだいぶモテたし、得をしている自覚もある程度あった。彼女も通算で五人くらいいた。はっきりさせておくと、私は男が好きなわけじゃない。かといって女が好きとも断言できないけど、当時は単純に相手に事欠かなかった。たぶん、普通にチャラ男だと思われていたはずだ。

 私は殊更にスカートやフリルに憧れはなかった。強いて言えばファッション全般は好きだ。外見ならモデルのジジ・ハディットみたいな、言いづらいが、自分と似た性質の、背が高くて顔が良い人たちが好きだ。でもこれが性的なものかははっきりしない。


 私が性別を変えたのは、もちろん体のこともあるが……周りからどう見られ、どんな扱いを受け、どんな期待をされるか……そういう一切が噛み合わなくなったから。

 手術にあたり、家族を説得するのは大変だった。金銭面よりも精神的なことで壁があり、特に「自慢のイケメンの息子」を失うことになる母親は、それはもう思い出したくもないほどの拒絶反応だった。意外にも、いつも無関心だった父親と、私のせいで割を食っていたであろう姉が味方をしてくれたので、私は浪人の陰に隠れて《女》になった。

 顔の良い長身の男である、という利点をちゃんと理解したのは《女》になってからだ。それでも、今の方がマシだと思っている。そう言い聞かせている。



 智也にそれ以上のことを聞くのがはばかられ、私は当たり障りない、仕事や筋トレの話題に切り替えた。

 アルコールが入って顔が火照り、私は顔のコンディションが気になってきた。脱毛してるから髭は生えないし、ホルモン剤も打ってるけど、一般的な体質として女性より男性の方が肌が脂っぽい。だから普通よりメイクが浮いたり、何かがおかしくなっている気がしてしまう。

 化粧は気分が上がるから好きだった。でもちゃんとやると女装男子と間違われる可能性がある。つまり、実際にそういうことがあった。

 私は男性としても大柄だったから、当然骨格はゴツいまま。脱毛はできても全身の骨を削るわけにはいかない。元から喉仏は目立たない方だったけれど、声は低い。

 胸は作らなかった。手術を受けた当時は本物の女になりたくて、出来るだけ全部正しく・・・したかったが、これ以上両親から金を出してもらうのが嫌で、自分でお金を貯めてやろうと思っていた。でも《女》として数年過ごしてみて、必要ないという結果に至った。なんならホルモン剤のせいで多少大きくはなったが、それすら不要だと思った。

 どうしたって私は不自然だ。


 最近になってやっと、どんな格好で出歩くかが定まってきた。メイクは薄くファンデーションを塗って、眉毛を描いて、自然な色のリップを塗り、目立たないアイシャドウとさりげないアイラインを引く。パーマをかけたショートボブに、産毛のない生え際を隠すために前髪を作る。基本的にシックなパンツスタイル。靴はサイズがないと割り切ってメンズ。ネイルはときどき、アクセサリーはユニセックスなもの。

 いったい自分が何に見えるのか、私には分からない。私は男でいるのが嫌だったが、女になることもできない。自分の目で見て、自分が女に見えない。そんな中途半端さだから、本当に・・・女なのかとつっかかってくる連中もいる。

 でも、迷いや悩みに触れずに付き合ってくれる人もいるから、それには救われる。


「怜さん、今日もアンニュイだね」


 智也がお手洗いに行ったタイミングで声をかけてきたのは、バーテンダーの柚月ゆづきちゃん。彼女は本人いわく《ビジネス・レズ》で、恋愛や自己表現において私以上に迷走している。男と付き合ってみたり女と付き合ってみたり、坊主にしていかつい服装をしたかと思えばロリータにはまったり。今は若干落ち着いて、赤いアイラインにあっさりしたメイク、青いインナーカラー、耳や眉に複数のピアス、派手なジャケットにダメージデニムという格好だ。

 この頃は「たぶんレズビアン寄りのアロマンティック」と言っているが、セクシャリティっていちいち表明しなきゃならないもの? ……恋人が欲しいなら、その必要があるかもしれないけど。

 ともかく、自分が悩みまくっているせいか、仕事柄か、彼女は話を突っこむ時と引く時の見極めが上手い。


「アンニュイて」


 空の瓶を見て、彼女は言った。


「何かいる?」

「同じやつ」


 普段、外ではあまり水分を摂らないようにしている。戸籍上男子トイレには入れないし、いまだに女子トイレは許されない気がするから、こういう場所でないと好きに飲めない。


 ビールが出てきたタイミングで、カウンターに置いていたスマホが鳴った。

 表示されているのは携帯の番号。こんな時間に営業ってことはなさそうだし、間違い電話か、登録してない知り合いか。

 放っておこうかとも思ったが、なんとなく気になった私は席を立って店の外に出た。


「はい?」

「……怜?」


 男の声だ。聞き覚えはあったが、誰だかは分からない。


「誰?」

「岡だけど……覚えてる?」


 一瞬、全身の血が流れを止めた気がした。

 岡。

 忘れるわけがない。どうして声を聞いて気づかなかったんだろう……男だった頃の親友に。





⚫︎結果

1位票:4

2位票:3

3 位票:3

合計:21pt


会場順位:7位/25

総合順位:26位/100




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