「秘密」の万能たれ

桃山台学

「秘密」の万能たれ

 ネットで何でも情報が手に入るいまの世の中は便利なようでいて、それでいいのか、と思うようなこともある。たとえば、あこがれ。あの大学に入れたら、留学ができたら、あの会社に入れたら、あの国を訪れられたら、どのくらい素晴らしいだろう。そういうあこがれがあるから、昔の人は努力した。そのあこがれをかなえるために頑張った。でも、いまや、あこがれる先の内情が全部手に入る。ネットに体験談があふれている。

 

 だから、「秘密」なんてものは、世の中に存在しなくなってしまったのじゃないか、といった人までいる。だって、隠しているからこそ秘密であって、ネットを駆使すれば、あばかれない「秘密」なんてない、というのがその人の説明だ。でも、それだと人生あじけないじゃないか。少しは、「秘密」が存在したほうがいいように、ぼくは思っている。はたして、今の世の中に、「秘密」と呼べるものは存在しているのか。これは、そんなことを考えていて思い出したエピソードであり、実話である。



 これはもう、万能というよりない、というのが衆目の一致したところで、もう何が混ぜてあるのか作った本人さえもわからないのではないか、とまで噂されてはいるものの、ある店の料理長が店の誰にも見せることなく厨房で手作りでこさえて瓶詰にしている、というところまではどうも確からしい。


 どんな料理にかけても、美味しくなるのだという。だから、重宝されるのだろう。和風にいうと、たれ、であるし、洋風にいえば、ソース。まあ、野菜にかけるよりは、魚や肉にかけたほうがいいというから、ドレッシングではないのかもしれない。しかし、野菜にかけたとしても、そこそこ美味くなるらしいのだ。まさに、万能。


 ある人によると、百種類ぐらいの材料を大型の鍋でことこと煮ていって、瓶に詰めるために取ったぶんだけ、何かをつぎたすのだという。だから、瓶によって、微妙に味が違うといわれたりもする。材料を特定するのはさすがに不可能で、手に入れて数種類までは解析した物好きな科学者がいたらしいが、前述の説が正しいとすると、足す材料によって日々変化しているというのだから、あまり分析することに意味はなさそうだ。とにかく、絶妙のバランスでもって、そのたれというかソースは作られているらしい。


 一説には、料理長本人ではなく、魔女の力を借りて作っているという話もあったし、いやいや、大切なのは鍋のほうであって、魔法の大なべによって、万能性を持つに至っている、とまことしやかにツイートする輩もいる。


 ともかく、ある程度の食材であるなら、そのたれまたはソースをかけると、各段にうまくなることは間違いのないところらしいのだ。


 となると、予想されることだが、現物に対しては争奪戦が起きる。ラベルがついているわけではないから、偽物も出回る。だから、どれが本物なのかがわからなくなって、半分都市伝説になってしまったようなところもある。だって、店に並んでいるわけではないのだ。ネットでも買えないし、フリマサイトになどもちろん出品されない。これは、人のうわさでしか、成り立っていない話なのかもしれない。今の世の中で、「秘密」なんて居場所がないように思えるのだけれど、案外こんなところに潜んでいるのかもしれない。


 それで、まあ、なんでこの話をしているかというと、うちの姉貴に関係があるからなのだ。というより、姉貴が結婚できたのは、この万能たれもしくはソースのおかげといっても過言ではないのだから。


 姉貴はまあ、好きな人ができて、いままでと同じように、いいところまではいった。いままでと同じように、というのは、過去に二度ほど挫折を味わっているからだ。それも、料理のことで、遺恨を残して。


 姉貴は当時、花嫁修業中というところで、料理教室に通ったりはしていたのだが、弟のひいき目からしても、そんなに料理が上手な部類ではなかったと思う。それで、まあ、三人目の本気のカレシの、というか今となっては義理の兄なのだけれど、その両親に、姉貴が手料理を振る舞うという段になったわけだ。姉貴にとってはもう、それは悪夢のような展開であって、寝込むくらいに憔悴してしまった。それは、見ていて可哀想なくらいだった。


 それで、姉貴は神頼みというか、より正確にいうと占い師のところにいって相談したらしい。そこで、例の万能たれまたはソースを手に入れてそれを姉貴がつくった料理に振りかけるがよかろう、という神託を得て、必死で頑張って、どこからか、あの万能たれまたはソースの入った瓶を手に入れた。よくわからないが、その前日に当時は学生だった僕から借金したほどだから、ずいぶんと頑張って買ってきたのだろう。姉貴にとっては、藁にもすがる思いで、投資をしたのかもしれない。


 翌日、本当に奇跡が起こった。姉貴の料理は大絶賛を博した。彼氏の両親が味音痴というわけではない。僕もその日料理を食べたからわかる。本当にびっくりするくらい美味しい料理になっていた。姉貴に驚いた顔をすると、ウインクして、指で瓶の形を作った。そうか、そういうことだったんだ。


 まあ、その後、姉貴は料理の腕をあげて、要所要所では瓶は使ったかもしれないけれど、配偶者から料理が下手だからという理由で別れるようなこともなく、まあ幸せにくらしている。あのときに貸したお金は、結婚祝いとして召し上げられてしまったけれど。


 ということで、僕はまあ、信じているのだ。その秘密の万能たれまたはソースの存在を。すべての料理を美味しくする、魔法の材料のことを。姉貴にどこで手に入れたのか、と聞いたら、一言、「秘密」と言われた。


 そう、今の世の中にも、「秘密」は存在するのだ。

                                    了  

       



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