第60話 フィナンと出会い

「見舞いの品は、やっぱり甘味がいいかしら」

「そうですね、甘いものは正義ですよ」


 何を想像しているのか、今にもよだれを垂らしそうなだらしのない顔をするフィナン。

 その視線が向かうのは、香しい匂いを運んでくる露店……の串肉。

 驚異的な嗅覚でタレの味付けを判断したのか、いくつかの果実の名前をつぶやき、その果肉をかみしめて果汁が口の中にあふれる瞬間を想像しているらしい。


 果実は悪くないけれど、見舞いの品として持っていく相手はぎっくり腰で動けない。手間なく食べられるものの方がいいだろうか。


「甘い……日持ちのするもの? 足が早いものでもいいのなら、今日中に食べないといけないようなクリーム系かしら」

「クリームっておいしいですよね。ああ、なんであんなに甘いんでしょうね……」


 今度はクリームのたっぷり乗ったお菓子を想像するフィナンは、背中に翼が生えて空に昇って行ってしまいそうな喜びに満ちた表情。いや、もはや恍惚とした、なんて表現が正しいかもしれない。

 その妖艶な顔に、前を通り過ぎようとした男の人がぎょっと目を見開き、立ち止まって二度見をして、真っ赤な顔で逃げるように去っていった――やや前かがみに。


 今のフィナンを一人にしたら危険だ。というか、往来でそういう顔はやめなさい。


「いいですよね、クリーム。甘くて、甘くて、甘くて……」

「大量に砂糖が入っているから甘いのは当たり前でしょう、って甘さ以外は何もないのね」

「甘さは正義ですよ! 口の中が幸せいっぱいになるあの瞬間のために働いていると言っても過言じゃないです……ああ、つらい仕事なんてなくなってしまえばいいのに……ッ」

「仕事が無くなったら甘味を購入するお金も入らないでしょ。それに、太らない?」

「ああああ~~、そんな正論聞きたくないです!」


 両手で耳をふさいで「嫌嫌」と首を振るフィナン。

 今度は前を通りがかった母娘が「見ちゃいけませんっ」と子どもに注意しながら足早に逃げていく。

 明日には奇行に走る女の目撃情報がこのあたりに広がっていそうだ。その場合は、奇行に走る女の隣で所在なさげに立っているわたしのことも噂されるのだろうか……。


 ああもう、とりあえず少し落ち着いて……こうおかしな注目をされるとわたしだって恥ずかしいんだから。というか、フィナンはトリップしているし、もしかしなくても恥ずかしいのってわたしだけじゃ――


 ドゴッ。


 思ったよりもいい音が響いた。

 頭頂部に振り下ろした手刀はフィナンを涙目にさせ、頭を抱えてうなっている。

 わたしも手が痛い。ついでに心も痛い。


「今はフィナンの趣味はどうでもいいわよ」

「~~っ、何するんですか!?」

「フィナンを守ろうかと。往来で恍惚な顔をするのはさすがに行き過ぎでしょ」

「こっ……!? まさかそんな顔してませんよするわけないじゃないですかねえそうですよねそうと言ってくださいよ!?」

「そう……思っておいた方が幸せね」

「ああああああああ!?」

「うるさい」


 ズビシッ。

 今度は手加減が決まった。


 やっぱり頭を抱えてうめくけれど、少し大げさじゃ……ああ、もしかしてさっきの一撃でできたコブに追撃された感じ? うん、ご愁傷様。

 涙目で見上げながらわたしをにらむフィナンは可愛い。

 ゆるり、と頬が赤くなったのは、自分の見せていた顔のことを思い出したからだろう。残念ながら記憶が飛んでいくことはなかったみたい。


「まあ、フィナンの羞恥心はさておき」

「さて置くようなことですか!?」

「じゃあフィナンのクリーム好きはさておき?」


 どうでもよくなんてないですと叫ぶフィナンは、そこから滔々と甘味のすばらしさを語る。


 わたしも甘いものは好きだし、精霊の対価としてかなり大事に思っているけれど、フィナンほど熱くは語れない。


「そういうわけで、クリームは至高の甘味なんですよ!」


 肩で呼吸をしながら言い切ったフィナンの頭からは、すでに先ほどの顔芸のことは忘れ去られたらしい。わたし、ナイス。

 なんて、そんなことを心の中で思っていると、突然視界に人影が映り、まっすぐにフィナンへと歩み寄る。


 警戒は、続く歓喜の声を前に杞憂に終わる。


「わかるわ!!」


 クリームのすばらしさを語り終えたフィナンの手を、行きずりの女性ががっちりと握る。

 突然の接触に目を白黒させるかと思いきや、フィナンは同士を得たと色めき立つ。


「わかりましたか!クリームは素晴らしいんです!」

「そうね、クリームは最強よ」


 二人できゃいきゃいと盛り上がり、クリームのすばらしさを語る。その勢いは、周囲の者の視線を集め、当然、わたしもまた注目にさらされる。

 ああ、目立っていいことなんてないのに。というか、一応は王城から脱走している身だということをフィナンは覚えているだろうか……忘れていそうだ。


「わかった? クリームこそ至高なの!」

「クリームのたっぷり乗ったお菓子は究極の癒しなんですよ!」


 意気投合した二人の圧に折れて―ーというか、早くこの注目された状況から解放されたくて、何度もうなずく他なかった。


「……わかりました。見舞いの品はクリーム系にしますよ」


 やったぁ、と手を合わせる二人。それはまるで、儚い思いを寄せる劇団員がファンレターに答えてくれた瞬間のよう。アマーリエの友人の高ぶりを思い出して、遠い目にならざるを得なかった。

 うん、趣味があることも、それに熱中できることも素晴らしいと思う。わたしだって狩りという趣味に熱中しているわけで、他人の趣味を否定なんてしない。

 でもさ、ぶっ通しで一時間も二時間も自分の趣味を語られるとさすがに辟易するよね。

 わたしも同じように語って困らせていたりは……ああ、故郷ではお兄さまという、わたしのすべてを許容する言葉のサンドバックがいたから問題なかったのかな。

 つまり、わたしはお兄さまに足を向けて寝られない……?


 頭の中でお兄さまが「ディアに足を向けられるのだってぼくにとってはご褒美だよ」と気色の悪いことを言い出したので、とりあえず頬を軽く叩いて気持ちを切り替える。


 そんなわたしをよそにいそいそと互いの情報交換を進めた二人はしばらくして別れ、フィナンはうきうきした様子でわたしの隣に並ぶ。

 なんとなくあの場に留まって居づらくて、自然と二人並んで歩きだす。


「友達ができました!」


 友達がいなくて可哀そう……とは言わない。同僚に心を許せないフィナンは確かに可哀そうだと思うけれど、友達がほとんどいないのはわたしも同じ。

 まあ、今では同じような立場になったアマーリエという親友がいる分、わたしの方がフィナンよりもましだ。


 つまり、今わたしはフィナンに並ばれた……?


「よかったわね」


 ボッチフィナンと同レベルに自分が居ることを改めて突きつけられて足元が揺らぐような気持ちになれど、ひとまずは心からフィナンを祝福することができた、と思う。

 口の端が引きつっていたような気がするのは、きっとの気のせい、のはず。


「宮廷魔法使いのユズリアさん、覚えました!」


 先ほどの女性は、ユズリア、というらしい。

 白髪灰色の瞳の、神聖さすら感じられるような見た目をした美人。

 おっとりとした見た目とは裏腹に一度口を開くととてつもなくハイテンションになる女性だった。あるいは、甘味のことになると興奮するのだろうか。


 とにかく、一度出会ったら忘れられない人。


 それよりもついそわそわしてしまったのは、彼女がなんと宮廷魔法使いだというから。くっ、先ほどの自己紹介の時にお兄さまのことなんて思い出していなければ、その場で自己紹介できたのに。

 自己紹介……できただろうか。なんと自分を紹介すればいい?


 王子妃であるクローディアとしては名乗れない。だって、それをしてしまったら王城を抜け出してきていることがばれてしまう。

 何より彼女は宮廷魔法使い。つまり、王城務め、国に仕える魔法使い。

 立場上、わたしのことを知れば報告せずにはいられないだろう。


 ……つまり、わたしが名乗れなかったのは仕方のないこと。


 わかるけれど、先を越されたというか、フィナンが羨ましい。くっ、楽しそうにスキップなんて踏んじゃって。

 転んでしまえばいいのに――あっ。

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