第32話 ハンナとの出会い

 魔法のための甘味を買い求め、「太りますよ」などとフィナンに苦言を言われながら王都の散策を続ける。

 このお菓子のほとんどは精霊に捧げることになると思うのだけれど、それを口にすることはできない。だから言い訳できなかっただけなのだけれど、心にはしっかりと記録しておいた。


 フィナン、しっかり言ってやったぜ、という顔をしているけれど、わたしはちゃんと覚えているからね?


 それはさておき、一番必要な予定を済ませてしまった以上、あとは実に気楽な時間。

 アヴァロン殿下のことも妃という立場も忘れて、今はただ羽を伸ばしていよう。


 そんなことを思ったから、ふと、視界の中にわずかな違和感があることに気づいた。


 違和感というよりは、やけにしっくりくる感覚、と言えばいいのだろうか。

 そう意識してしまえば、視線が街並みの一角から離れようとしなかった。


 視線の先にあるのは、一見するとただの家屋。

 蔓が外壁の一部を覆って青々とした枝葉を伸ばすレンガ造りの建物。そのレンガも、長年の風雨にさらされたせいかあちこちが欠け、そこに蔓が根を張り、今にも崩れそうに見えた。


 そんな崩壊目前に見える建物は、街並みからやや浮いて見えた。

 まるでそこだけ、ずいぶん昔のまま時が止まってしまっているよう。

 隠れ家的、といったような感じだろうか。


 そんなことを思いながら足を止めていれば、先に進みかけたフィナンが不思議そうに振り返り、わたしの視線を追って先を見る。


「……どうかしましたか?」

「少し気になるお店……建物?を見つけたの。寄ってみましょう?」

「気になるお店、ですか?」


 きょとんと眼を丸くしたフィナンは、わたしと視線の先を行き来する。

 けれどその古びた建物は大して気にならないのか、一体どれのことかと聞いてくる。


「あれよ。あの、蔓が絡みついている、古い建物。こういうのを、趣があるというのかしら。森の中、朽ちかけた秘密基地でも見ている気分ね」

「蔓の、絡みついた……?」

「……? あれよ、あそこの」


 指をさして示すも、フィナンの眉間のしわが深まるばかり。

 一向にその建物を見つけられない様子で、何かがおかしいと、ようやく思えてきた。


 フィナンとわたしの違い。

 そう考えて真っ先に浮かぶのは魔法の有無。


 もしそうであれば、あの場所に向かうのはあまりよろしくない。


「そこの貴女。ワタシの店に何か用かな?」


 そう考えて踵を返そうとして。

 けれどそれよりも早く掛けられた声に、心臓が縮み上がる思いをした。


 低くしわがれていて、それでいてよく通る不思議な声。

 その声は思いのほか近くから聞こえて、首が痛みそうなほど勢いよく声のした方へと顔を向ける。


 果たしてそこには、紫紺に金糸で装飾の施されたローブを身に着け、フードを深くかぶって顔を隠した一人の老婆がいた。

 老婆、と思えるのはその背丈と杖、そして腰が曲がった様子から。


 片手に持つバスケットには深緑のワインボトルと市場で買ってきたらしい野菜や果実、パン。

 カツン、と杖が打ち鳴らされ、わたしの意識は混乱から立ち直る。

 まるで魔法でもかけられたように頭の中が冴えていた。


 まるで、なんてものではなく、実際に魔法が発動された気がした。

 言葉にするのは難しいのだけれど、わたしたち魔法使いは、周囲で、あるいは自分に向けて発動された魔法を感じ取ることができる。

 こう、精霊が魔法を使われたことを教えてくれているのか、何か直感的なものが働くのだ。


 事実、老婆の手に提げられたバスケットの中から、小さな果実が一つ消えていた。


 杖を突くだけで魔法を発動できる――ただ者であるはずがない。

 警戒しながらも、けれどなぜか、警戒する必要はないと告げる自分の直感との矛盾にくらくらした。


「ええと、初めまして。わたしはクローディアです。それから、この子はフィナンといいます」

「この子って……」


 どこか憮然とした様子でつぶやく。でも、人見知りの幼子のようにわたしの体に隠れる位置にいるのだから仕方がない。

 まるでその老婆を恐れているようなフィナンの反応が少し気になった。

 フィナンも、魔法に気づいたのだろうか……ああいや、顔を隠した相手に突然話しかけられたら怖いのが普通か。


「ワタシはハンナというしがない薬師だよ。こんなところで立って話というのもなんだから、お店においで」


 顔を見合わせるわたしたちは、結局好奇心が勝ってハンナについていくことにした。


 まるで何かに惹かれているかのように、進む足取りはお店が近づくほどに軽くなる。

 それはわたしだけのようで、フィナンは足を進めるほどに本当にこのまま家に招かれていいのかと、しきりにわたしの方を見てくる。

 そんな姿が可愛らしくて思わず頭を撫でてしまう。


 ぺし、とわたしの手をはじいたフィナンは口をとがらせ、けれどその表情にはもう恐怖はなかった。


「ありがとうございます」

「さて、何のこと?」


 恐怖を紛らわせるために一計を案じたと気づかれたのが少し気恥ずかしくて、笑みを浮かべてごまかす。

 そんなわたしたちの駆け引きが面白かったのか、ハンナはくすくすと小さく笑う。


「仲がよろしいことで」


 結構、結構、とうなずきながら、ハンナは肩を震わせる。


 顔を見合わせたわたしたちは、そろって首をひねる。

 それは決してハンナに笑われたことへの照れ隠しなどではなく、わたしたちは仲がいいのだろうか、という共通の疑問。

 何しろわたしたちの関係は、主人と使用人。あるいは毒を盛られた者と毒を盛った者。はたまたわたしと抱き枕。


「……今、何か変なことを考えませんでした?」

「気のせいじゃない?」


 意外とフィナンが聡い。意外、ではないのかもしれない。

 最近のフィナンはわたしの表情を読むことが増えている。


 顔をそらしてこれ以上思考が読まれないようにする。

 わたしをジト目で見つめているおかげで進路にいた通行人にぶつかりそうになったフィナンがよろめく。


「大丈夫?」

「すみません。少しよそ見をしていたので……って、マッチポンプですね」

「そうね、だからしっかり前を見て歩いて。まあ、もう着いたけれど」

「着いた? ……っ!?」


 接近したことが理由か、緑に包まれた建物まで残り五メートルほどのところで、フィナンが驚いたように息を漏らした。何に驚いたのか、わたしは呆けたように口を開いたフィナンの横顔を眺めるけれど、そこには驚きと困惑以外のものを読み取ることはできなかった。


 フィナンの動揺に気づいたからか、ハンナはちらとわたしたちの方を見て、フードの下でにやりと笑った――気がする。

 フードのせいで顔が見えないから、よくわからないけれど。


「やっぱりワタシのお客のようだね。――ようこそ、〈魔女の庵〉へ」

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