第23話 拒絶
アヴァロン王子の姿が目に入って、頭の中のあらゆることが吹き飛んだ。
それはお兄さまの醜態に対する羞恥であったり、王都に一人でいるという不思議な高揚だったりした。
続いて、白く染まった思考を困惑が塗りつぶす。
それらは全てが、王子殿下に対するもの。
どうしてこんなところに居るのか。
どうしてそんな、泣きそうな顔をしているのか。
にじんだ視界の中、殿下は確かに、今にも泣きだしそうな幼子のように立ち尽くしていた。
自然と止まった足は、その場に縫い付けられたように一歩を踏み出すことも叶わない。
殿下の視線が突き刺さる目元から全身に、彼の熱が広がっていくよう。
「……スミレの乙女?」
殿下が、誰かを呼ぶ。
わたしを、呼んでいる?
人違いだろう。だって、殿下はわたしに何の興味もない。
結婚しておいてほったらかし。
別にそれでよかったし、それ以上なんていらない。
でも、それなのに。
殿下の目は確かに、他の誰でもないわたしに向いている。
「ああ、ようやく会えた」
感極まった殿下の言葉が、気持ち悪くて仕方がない。
それこそ、多重人格なんじゃないかと疑うほどに、私を見る目が違う。
前は、無感動な、ともすれば冷たいと言える目をしていたはずなのに。
今では溢れんばかりの激情をはらんでいる。
思わず、伸ばされた手から逃げた。
空ぶった手の平は、行き場を失ってその場にとどまる。
どうして、と。
唇が戦慄くのを見て、怒りがこみ上げる。
それは、わたしのセリフだった。
「どうしてと、本気で言っていらっしゃるのですか?」
「何、を……」
わかっていた。
王子殿下はわたしに――クローディア・レティスティアに、何の興味もないということを。
それでも、心のどこかで期待していた。
殿下はただ忙しくてわたしに構っていられないだけなのだと。
妻であるわたしのことを、ちゃんと頭の片隅に留めていてくださっていると。
そう思わなければ、泣いてしまいそうな夜があった。
一人寂しく、孤独な夜。
誰でもいいから、わたしのことなんてどうとも思っていない人でも良かったから、温もりを求めた日があった。
でも、もう違う。
今のわたしは一人じゃない。わたしに会いに来てくれる大切な友人がいる。兄がいる。
だから、王子殿下なんて、どうでもいい。
「失礼します」
「……あ」
必死に手を伸ばすのを背後に感じながら、深くフードを下ろす。
いつまでも、いつまでも、背中に感じる視線は消えてくれなかった。
縋るようなそれから逃げるように雑踏に身を投げ出して、わたしはただひたすらに見放された土地へと走った。
今はただ、狩りをしていたかった。
気配を殺し、自然と一つになり、獲物を待ち構えてじっと息をひそめていなかった。
そうしないと、潰れてしまいそうだった。
彼から伝わり、わたしの中に宿ってしまった熱に、焼き焦がされてしまいそうだった。
*アヴァロン王子視点です*
フードの奥、鋭く細められたスミレ色の瞳に宿るのは、再会を喜ぶ想いではなかった。
『どうしてと、本気で言っていらっしゃるのですか?』
その声音には、怒りがあった。憎しみがあった。嫌悪があった。
私たちは、凶悪な魔物を共に撃退した戦友――友ではないのか?
それ以上の関係を、求めてはいけなかったのか?
必死に伸ばした手に、声に、彼女が応えることはなく。
その背中が雑踏の向こうに消えてからも、私はただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
失意の中、どれほどその場にとどまっていただろうか。
いぶかしげな視線は気にならずとも、ただ、この場にとどまるほどにスミレの乙女に拒絶された絶望が強くなっていった。
足は地面に根を張ったように動かず、けれどこのままずっとこの場にとどまるわけにもいかなくて。
重い体を引きずるようにして、私は城へと歩き出した。
「……またずいぶんな沈み様だな?」
「エイン、か」
執務机にかじりつき、逃げるように執務をしていた。
そんな私に声を掛けて来たエインは、苦笑と共に備え付けのポットで茶を沸かす。
顔を上げれば、強い日差しが目に差し込む。
気づけば一夜が明けてしまっていたらしい。
「……少し休憩にしたらどうだ。死にそうな顔だぞ」
「そう、だな」
確かに頭が働かない。
いや、頭はスミレの乙女のことで一杯になっていて、他のことを考える余裕がない。
昨日、無事に再会を果たした私の心に刻まれたのは絶望だった。
スミレの乙女の、明確な拒絶。
ベッドに入ろうと耳の奥で彼女の声が響き続け、寝るに寝られなかった。
こうしてエインの後姿をぼんやりと眺めている今も、心にあるのはスミレの乙女のことばかり。
私は、何を間違えたのだろうか。
「それで、スミレの乙女には会えたのか?」
「……会えた、と思う」
容姿、何よりあの特徴的な淡い紫の瞳は、彼女に間違い居ない。
精霊に見放された土地で戦いを共にした、美しき魔法使い。
……いや、庭園でのことからも、その予兆のようなものは感じていたような気がする。
あるいはどこかで、私に対してひどく憎しみを抱くような出来事があったのだろう。それはやはり、私には心当たりのないものだったが。
そう言えば、彼女はずいぶんと丁寧な言葉遣いをしていた。
それは彼女が常日頃からそういった言葉遣いをしているというだけでなく、まるで私が何者であるか知っているためにへりくだったようにも思えた。
私が、王子だと知っているのか。知っていて、私を突き放すのか。
――私は、王子として君に会っているというのか?
「……そういえば、スミレの乙女は城にいると言っていたか?」
「そうだな。それで、出会えたのか?」
「………ああ」
出会えたと言えば出会えたのだろう。
興味深げに目を輝かせるエインの視線を鬱陶しく思いながらも、仕方なく私は昨日の出来事を語って聞かせることにした。あるいは、聞いてほしかったのかもしれない。
言語化できないこの鬱屈した気持ちが、説明することによって少しは解消されるかもしれないと、そう期待していた。
果たして、エインは私の話を聞いて爆笑した。
「ま、まあ落ち着けって。そんな頬を膨らまして拗ねた顔をするなよ。ますます笑えるだろうが」
「私はそんな顔をしてはいない」
「はいはい。オレが悪かったって」
降参だと両手を上げるエインは、それからのんきな顔をして紅茶を啜る。
ソファに腰を落ち着けて香しい紅茶を楽しむその姿には、余裕が満ちている。
……私とは違って。
ジト目を向け続ければ、仕方ないとばかりとばかりに肩をすくめて口を開く。
「さすがに少しじれったくはある、か?」
「そろそろ彼女が何者か教えてくれてもいいだろう?彼女はやはり、父の――」
「はぁ。マリーから仕返しに秘密にして置けと言われていたんだけどな」
やれやれと首を振ったエインは、しばらく悩んでから指を突き付けて言う。
すなわち。
「もう一度庭園に向かえ」と。
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