第21話 王都散策

 ディアとの失った時間を取り戻す!

 意識を取り戻したお兄さまはそう意気込むやいなや、わたしの腕を取って王都の街へと飛び出した。

 今日はアマーリエとお茶会のはずだったのに全く上手くいかない。

 お兄さまを突っぱねる気にはなれず、代わりに、仕方がないと言いたげなアマーリエたちもついてきてくれることになった。


 アマーリエって地位の割にフットワークが軽いけれど、きっとエインワーズ様のせいだよね。

 そう揶揄えば、アマーリエは顔を真っ赤にして「エインワーズ様に染まってなんていないから!」と叫んだ。


 王都は今日も活気に満ちている。

 行きかう人の顔には笑いが絶えず、どこからともなくにぎやかな歓声が聞こえてくる。

 さすがは王都。レティスティア男爵領は比較対象にもならない。

 まあ、故郷の牧歌的な雰囲気もわたしは好きだ。牧歌的といっても、わたしの記憶にあるのは森に分け入って動物や魔物と命のやり取りをする記憶ばかりだけれど。


「ほら、どう!? すごいでしょう? これがボクの流刑地だよ。……ああ、夢がかなった。ずっと、この街でディアを案内する日を夢想していたんだ。まさかこうして叶うなんて思わなかったよ。ああ、感動的だ!」

「よかったね」


 どうしよう。全く感激しない。

 だってもう何度も王都には足を運んでいるのだ。毎回脱走しては精霊に見放された土地に狩りに行くというのは芸がないし、飽きも来る。

 そんなわけで妃教育が終わって時間ができたあたりから、わたしはちょくちょく王都にも足を運んでいたのだ。


 一応、申し訳程度の変装はしていた。帽子を目深にかぶって眼鏡でもかけておけばそれっぽく見えるものだ。

 衣服だって男爵令嬢時代の服を着れば王都の平民の中に埋没する。

 それどころか、貧しい衣服過ぎて浮いていた。ダメじゃん。

 ……自分で考えて、実家の貧乏具合に涙が出そうだった。

 まあ、そうだよね。普通の貴族令嬢は肉欲しさに野山を駆け回ったりはしないよね。


 お兄さまが屋台の肉料理を買って手渡してくれる。こういうところで落ち着いて座れる店に入らないあたり、わたしたちは根っからの貧乏人だ。

 王都のお店はどこも格式を感じてなんとなく入りにくい。


 ここら辺ではこの屋台が一番肉の質と下処理にこだわっていて~とうんちくを披露してくれるけれど、全部知っている。

 だって、ここは私のお得意様でもあるのだから。


 屋台で肉を焼いていた恰幅のいい女性がウインクしてくる。

 腕を組んで歩いているし、デートだと思われたかもしれない……まあいいや。お兄さまと誤解されるのは耐えられる。これで相手がアヴァロン王子殿下だったら、きっと今すぐに投げ飛ばしていただろう。

 ああ、そもそも腕を組むのを生理的に拒絶しそう。

 ……あれ、でも、先日倒れかけたところを抱きとめてもらって、医務室に運ばれたときには触れられるだけで蕁麻疹が出るほどではなかった。

 あの時は毒でしびれていて、一応は緊急事態だったから本能が生存を優先したのだろうか。

 きっとそうだ。


 気づけばアマーリエたちは別の屋台の列に並んでいて、遠くにいた。

 わたしの隣にはただ一人。ちらちらと視線を送ってくるお兄さまだけれど、いまいち何を考えているかわからない。

「……ねぇ、お兄さま。怒っていない?」

「なんのことだい?ボクがディアに何を怒るって?」

「ほら、結婚の報告をしていなかったでしょ?正直、最初はわたしも振り回されていたからそんな余裕はなかったけれど……報告できるタイミングはあったの」


 手紙を出すことくらいはできた。それでお兄さまが怒り狂うか、勉学を投げ出してわたしのところに突撃してくることが予想できたから送らなかったけれど。

 ううん、本当は送りたかった。わたしの一生に一度の晴れ舞台をお兄さまに見てほしかった。

 でも、そんな舞台はなかった。

 だからきっと、お兄さまに手紙を送らなかったのは、こんなみじめな自分を、なるべくお兄さまに知られたくなかったから。


「うん、聞いたよ。もう半年ほど前なんだって?」

「ごめんなさい」

「いいよ。すぐに結婚のお祝いを言えなかったのは心残りだけれど、少なくともいつかは報告するつもりだったんだろう?クローディアは意外と頑固だからね。ボクの妹離れのためを思って言えずにいたんだろう?きっと、ボクがディアのことを心配しすぎて勉強に手がつかなくなってしまうって」


 正しくは王城に乗り込んでき王子殿下に暴言暴行を働いてしまうだろうと懸念していたからだけれど、それは言わなくてもいいだろう。

 そういえば、お兄さまはどうしてアマーリエのお屋敷に来ることができたのだろう。友人のようだったしエインワーズ様に用事があったのだろうか。


「ん?そんなのディアの気配を感じたからに決まっているだろう?」


 何を当たり前のことを、ときょとんと聞いてくる。

 そういえばお兄さまはこういう人だった。いつだって、わたしの居場所を第六感のようなもので察知してやってくる。

 おかげで、昔は、森で迷子になっていたところを助けてもらったこともあった。


 恥ずかしい言動も多いけれど、わたしにとってお兄さまはお兄さまなのだ。


 どこかふらふらとした足取りで近づいてきたフィナンが、わたしとお兄さまの間で視線を行き来させる。少しずつ、その頬が赤く染まっていく。

 可愛い。


「……お、往来で引っ付きすぎではないですか?」

「あの二人に比べればなんてことないと思うけれど」


 屋台が並ぶ広場の端、互いに料理を食べさせあっているエインワーズ様とアマーリエの姿が見える。

 茹で上がったように頬を赤く染めるアマーリエが、髪を耳にかけながらエインワーズ様が伸ばすスプーンへと顔を近づける。

 はむ、と。わずかな勢いをつけて、あーんをする。


 うん、甘ったるい。もうすぐ結婚するのだったか。

 お幸せにという言葉しか出てこない。


 行きかう人も微笑を浮かべながら二人を見守り――あ、野次が飛んだ。

 おかげでアマーリエの羞恥心が許容値を超えて目を回している。


 しなだれかかったアマーリエの腰を抱いて受け止めるエインワーズ様がすごくうれしそうだ。


「……いいなぁ」


 思わず、そんな言葉が口に出ていた。


 うらやましかった。

 二人のように、わたしもいつか大好きな人と一緒に時を過ごしたかった。

 でも、わたしはもう結婚している。ゆっくりと関係を作って、互いにステップを踏んで人生の階段を上っていくなんてことはできない。


 婚約者であり恋人であるなんていう甘い展開は、わたしの人生にはもう、決して訪れることはない。


「……ディア?苦しいのかい?」

「どう、だろう。わかんないや」


 苦しい――その表現は、わたしの中にあるもやもやにピッタリ当てはまった気がした。流石はお兄さま。わたしのことをよく見ている。


 けれど、わたしはごまかし、お兄さまからもフィナンからも、アマーリエたちからも視線を逸らす。

 顔を上げる。わずかなうろこ雲が広がる空がにじむ。


「大丈夫だよ、ディア。ディアはきっと幸せになる。このボクが保証するよ」

「……うん」


 そっと抱きしめてくれたお兄さまの胸に顔をうずめて、わたしは少しだけ泣いた。

 脳裏によぎる、彼の一挙手一投足を思い出しながら。

 わたしのことを嫌っていたはずなのに、それでいて紳士で、どこかおかしい氷の王子様。


 どうしたらいいかわからなくて、苦しくて、つらくて、途方に暮れて泣いた。


 お兄さまの腕に抱かれながら、昔のことを思い出した。

 もうずいぶんと前、森で一人ぼっちでいた私のところに現れたお兄さまは、あの時もこうやってただ静かに抱きしめてくれた。


 大丈夫。困ったときにはお兄さまに相談すればいい。

 わたしには、頼りになるお兄さまがいるのだから。


「……私も、いますからね?」


 うん、ありがとう。

 フィナンも、すごく頼りにしているよ。

 あの場所に友人がいるってことが、すごく救いになっているの。


 うん、大丈夫。わたしにはたくさんの大切な人がいる。みんながいれば、寂しくない。

 もういいのかと尋ねるお兄さまに、わたしはきっと屈託のない笑みを返すことができた。





 その後、お兄さまはやってきた婚約者に引きずられて去って言った。

 そう、お兄さまにはちゃんと婚約者がいるのだ。


「ディアァァ~、またすぐに会いに来るからねぇぇぇぇ!」


 大通りでわたしに愛を叫ぶお兄さまの姿は、さすがに恥ずかしいものだった。

 身内の恥を前に、わたしは顔を隠しながらフィナンの腕を取ってその場から逃げて――


「……スミレの乙女?」


 雑踏の中に呆然と立ち尽くすアヴァロン殿下に遭遇した。


 ……スミレの乙女って何?

 前はファントムなんていう風にわたしのことを呼んでいたよね?

 というか王子殿下が護衛もなしにこんなところにどうして一人でいるの?


 パニックになりかけたけれど、それ以上に隣にいるフィナンが混乱の極みに達して目を回していたから我に返った。

 まあ、そうだよね。妻を捕まえて「スミレの乙女」呼びって、恋愛物語にかぶれた夢女子のようだよね。


 殿下と視線を合わせながら、神様か精霊に尋ねるように心の中でつぶやく。


 ……本当、どういう偶然なの?


 その言葉は、呪いのような気配をまとっていた。

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