第6話 結婚

 アヴァロン王子殿下、あるいはエインワーズ様の行動は迅速だった。


 あっという間に式を挙げる準備が終わり、契約の証のことが判明した日からちょうど一週間後には式を挙げることになった。


 わたしは焦燥のにじむ王子様付きの騎士に連れられて馬車で王都まで出荷されることになった。

 そう、気分はまさに出荷だった。

 どこか腫れ物を触るように、けれど関わり合いになりたくないという雰囲気を感じさせる騎士たちに馬車に詰め込まれて、休憩もほとんどなしに一路王都までひた走った。

 どうやら相当旅程が切羽詰まっていたらしい。

 何しろ、こうして王都に訪れた当日、どこにも寄ることなく神殿に足を運ぶことになったのだから。


 長旅で一層くたびれた――もとからかなりボロボロだった古着をはぎ取られ、お湯で体を洗われた。

 なんとシスターさん五人に磨き上げられた。正直すごく落ち着かなかったし、自分で洗わせてほしかった。けれど、シスターさんたちがひどく慌てた様子で、何かを言うことははばかられた。


 そのまま流れるようにドレスを着せられ、サイズ調整と同時に化粧を進められ、透き通ったベールをかぶせられた。


 鏡に映るわたしは別人のようだった。……馬子にも衣裳なんて、自分で思って悲しくなる。

 そこには少なくとも、森で得物を片手に動物や魔物を狙うクローディア・レティスティアの面影はなかった。


 そのまま、出荷されるようにシスターさんに誘導されて式場に連れていかれた。

 式場といっても、そこは大勢が集まるような会場ではなかった。

 通常の王族の結婚式がどういうものかは知らないけれど、今回の式はひどくこじんまりしていた。というのも、参列者が一人もいない。


 教会の片隅、まるで臭いものには蓋と言わんばかりに狭い部屋。

 小さな部屋で待っていたのは神父様とアヴァロン王子殿下のみ。まあ、大勢の前でありもしない愛だのを誓うのは苦行だっただろうし、殿下が配慮してくれたのかもしれない。……この殿下が、わたしに気を遣う?ないよね。


 再会した殿下はわたしを一瞥し、何も言わずに老年の神官さんに目を向ける。ぴったりとした真っ白いスーツはアヴァロン殿下のたくましい体の起伏をはっきりと示していた。

 細いけれどすごく濃密な筋肉。相当の鍛錬の気配を感じた。

 早くしろと無言でせかす気配がして、わたしは転ばないように気を使いながら進んで殿下の隣に並ぶ。慣れないドレスは動きにくくて、靴はサイズがあまりあっていなくて痛い。靴擦れで皮がめくれかけていた。

 わたしの遅さにいらだったのか、冷徹な氷の瞳はもう、わたしを見ることもしなかった。


「新郎アヴァロン殿下、貴方は新婦クローディアさんを妻とし、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、これを助け、これを慰め、精霊の元にその命のある限り心を尽くすことを誓いますか」

「ああ」


 ぶっきらぼうな返事に少しだけイラっとした。

 わたしに相談もなく結婚式を強行しておいてこれだ。その声には慈しみの一つもありはしない。

 けれど、そんなものだ。

 だってわたしたちが顔を合わせるのはこれで二度目。少し違うかもしれないけれど、これはある意味で「契約」結婚なのだ。

 古の精霊の契約に基づいて、わたしたちは今、人生を強制されている。その選択から逃れることはできなくて、どれだけ嫌だと声高に叫ぼうと状況が変わることはない。


 だったら、諦めて惰性で受け入れるしかない。


「――精霊の元にその命のある限り心を尽くすことを誓いますか」

「……はい、誓います」


 わずかなためらいを飲み込み、わたしは覚悟とともにその言葉を紡いだ。

 神父様に差し出された書類に名前を記入する。これで本当にわたしたちは夫婦だ。

 互いのことを何も知らず、ただ筆を進める。


 わずかに文字がゆがんだ。それを後悔することはなかった。ずっと残る書類かもしれないけれど、どうでもいい。

 早く終わってしまえと、そればかり願っていた。

 何しろこの場は、わたしにとって獅子の面前だったから。一歩行動を間違えればたやすく首をかみ砕かれかねないような状況に長居はしたくなかった。


 そうして契約は交わされた。


 結婚は、もっと価値のあるものだと思っていた。

 貴族なのだから、まったく家の都合が入らないとは思っていなかった。それでもいつまでも幸せそうなお父さまとお母さまを見ていると、自分もいつかあんな風に夫婦になるのだと、そう根拠もなく思っていた。

 けれど、これが現実。

 祝福の言葉を投げかけてくれる者はただの一人もおらず、契りを交わした相手はわたしに何を告げることもなく背を向けて歩き去っていく。


 気が付けば誓いの場にはわたし一人が残されていた。


 ベールに手をかけ、床にたたきつけた。


 無性に泣きたかった。歯牙にもかけられない己に、自分で自分の人生を選び取ることもできない情けない自分に、腹が立って、悔しくて、みじめで仕方がなかった。

 泣いてやるものかと、目に力を籠める。あんな冷徹な男のために流す涙はわたしにはなかった。

 泣いてなんて、やらない――そう、思っているのに。

 孤独が足の裏から這い上がる。誰もいない。アマーリエをはじめとする友人も、お父さまもお母さまもお兄さまも、誰も、いない。


 心が叫ぶ。

 寂しいと、苦しいと。

 頬を、一筋の涙が伝った。にじむ涙をこれ以上こぼすまいと天井を仰ぎ見た。

 煌々と輝く魔法の光が、ひどくまぶしかった。


 そうしてわたしはアヴァロン殿下の妃になった。流されるまま、どうして自分が妃になったのか、その本当のところもわからぬままに。


 けれどわたしにはまだ拠り所があった。どこへ行っても、身に着けた力が失われるわけじゃない。

 わたしという人間の本当の価値がなくなったわけじゃない。

 契約の証などというレッテルでは消しきれないわたしという人物の存在証明を胸にわたしは王城へと足を運んで――


「魔法を、使ってはいけない?」


 教育係に告げられた言葉に、わたしは今度こそ心から絶望した。


 王城は、牢獄だった。地獄だった。

 わたしは、魔法という己の半身をもがれて、悪意に満ちた王城での生活を始めることとなった。


 あぁ、やっぱり、この右手にあるのは世界樹の紋章なんかじゃない。

 わたしの人生を破滅に導く烙印――精霊のいたずらなんだ。

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