第17話 化粧(三つ目の扉)

(何かしらのトラウマを抱えている方には辛い表現があるかもしれません。ご注意ください)



 扉を開けた先に見えたのは、行儀良く椅子に腰かける子供達。

 横に長いそれに、皆はならんで自分の手を絡ませ、俯いて目を瞑っていた。


 その様子を前から熱のこもった目で見つめるのは、牧師様と呼ばれていた中年の男。

 親を知らない子供達にとって、男は絶対的で、ここが世界の全て。


 その男に別室へと呼ばれた女。男はじっくりとこちらを眺めている。いつもの慈悲深そうな、目と口だけ曲げた笑顔を浮かべながら。

 ここで、何を話したのだったか。


 唐突に衝撃が走り、世界が横を向く。地と水平になった目線で、必死に幼い頃の女は考えた。


 今、なぜ男が自分に拳を振るい、汗ばんだ全身で自分を押さえ込んでいるのか。悪いことをした覚えはない。他の子と同じように、良い子として過ごしていたはず。

 自分の感情は神の望むものに、そして、神の望むものは、男が教えてくれる。


 暗幕が張り、世界は暗くなって、また景色に色が付く。

 薫る匂いは桜から金木犀になっていた。


 じっと、元通りの椅子で、幼い女は男を見つめている。男はそれを受け止めるどころか、どこか避けるように目を忙しなく動かし、早めに話を切り上げて奥へと歩いていった。

 それを一通り観察して立ち上がった女に、皆が目を見開く。

 今まで女が皆の視線を奪うような行動をしたことは一切なかったのだから無理もないことであろう。


 ステンドグラスから迷い込んだ日の光が、男を鮮やかに照らし出す。

 まさに、この時だけは、神のようであった。


 女の口元が微かに動き、数秒だけ身体は自然とも言えるほど慣れたような動作を見せる。

 ゆっくりと男が崩れ落ち、変な吐息と共に吐かれた赤いものを見ても尚、子供達は動くことが出来ず、女に魅せられていた。


 返ってきたそれでぬらりと染まった女の顔には、目一杯の歪な笑みが浮かんでいた。



 日が陰り、また昇ったとき、子供達のいた白い建物の中はガヤガヤと騒がしくなっていた。


 大慌てで子供達を綺麗だと思っている外へと連れ出そうとする大人と、一人血を浴びていた女をどう扱えばいいのか距離を測りつつ、会話を試みる二人の女性警察官。


「私達は警察だから、もう心配しなくていいのよ」

 優しく語りかけるその人に、女はふんわりと首を傾げる。

 どこまでも自由になった女の表情は、女の意思により固まっていた。


「けいさつ、ってなに?」


 目を見合わせる、見たこともない衣装を着ている二人に、女は笑みを浮かべる。戸惑っている二人が、とても人間らしくて、好きになった。


「テレビとか、見たことないかな?」

「てれび、も分かりません」

 なるほど、と会心いった様子で、悲しげな表情で頷いた二人に、女はひょいと言葉をかける。


「あの人、ちゃんと天国へ行きましたか? 私が送ってあげたの」

 ギクリと動きを止める二人。

 一瞬考えたあと、二人の表情は女を探るものと変化していて、それを見るのが楽しかった。



「かなり色々聞かれたっけな」


 大人になってから、新聞の一面で自分のことを見つけて驚いたことも思い出す。


 周りがどんどん色鮮やかに変化する様子が、とても綺麗だった。


「結婚は上手くできなかったわね」


 この人とならと思っても、どうしても、結末はあの時と同じになってしまうのだった。


「あまりにも、楽しくないのよ」


 刹那、女は目を見開き、野生動物のような俊敏さで周りを見渡した。

 自分の上に視線を固定し、何かにじっと耳を澄ませる。


「分かったわよ」

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