第16話 化粧(二つ目の扉)
「おかえりなさいませ」
また白に染まった部屋へと戻ってきたが、元の家庭の部屋が白い壁だったためそれほど目も眩まなかった。
何もない場所から現れた青年に動じることなく、女はただいま、と応じるが、その声に初めの自由さは失われかけていた。
ふむ、と青年が女の顔を覗き込む。
それで初めて女は、自分が俯いていることに気付いた。
「逆に、閉じ込められることもあるのですね」
ツチノコでも見つけたような楽しそうな声に、思わず笑ってしまう。
元の色に少しだけ戻ってきた女に、青年は満足そうに頷く。
「それでは、次へ向かいましょうか」
女の足は、まだ重い。
それでも女は少しずつ、一歩一歩を丁寧に踏み出した。
見えてきたのは、大きな扉。
洋風の造りに拘ったらしい旦那の友の家。日本にあることによりとても不均衡なそれは、ちょっぴり好きだった。
隣の家は確か何分も歩いた先にある日本家屋で、瓦屋根が古めかしく、かっこいい。広々とした庭と隣の畑が、両家を明確に分けているようだった。
そこまで思い出し、扉に手をかける。何となく居心地悪くなり、青年に目をやると、にっこりと笑ったまま頷いてくれた。
扉にかけた自分の白い繊細な手を見て、目を閉じる。
よし、と声を出し、一気に扉を開ける。
見た目より軽く、扱いやすい素材で造られたそれは、女を拒むことなく迎え入れた。
肩をつけられるくらいの距離感で、男とその友が笑い合っている。その近くに女はいない。
リビングの方へ、猫なで声を追っていく。
ポカンとした顔で勢いに押されている女と、男の友人と同じ柄を着込んだ女性が肩を並べてソファに座っていた。
男の友が何かを叫ぶと、途端に女性の顔に影が差し、その厚化粧に上手に隠れた皺が明るすぎるリビングで浮き彫りになる。女は、この女性が好きだった。
しっかりと塗られた化粧は厚いが色が少なくシンプルで、髪は真っ黒。床に無造作に置かれたバックはデパートのプライベートブランドの物だと、男の友人に教えてもらった。
本人に教えてもらいたかったな、とそれだけは不満に思ったし、女性も同意見のように顔を引き締めていたが、ぐっとこらえる顔のまま、口は開かなかった。
「本当に、嫌い」
口に出ていたらしい自分の声に驚く。思いの外大きい声だった。
それほど自分があの友人に強い感情を抱いているとは思わなかった。あまり感情を動かされないと思っていたから、楽しくすら感じる。
ふっと息を漏らす音が聞こえ、近くにまだ青年がいてくれていることを知る。
失礼、と笑顔を見せる青年に、何だか力が抜けてしまう。
何に起こっていたのかすら、忘れられそうだった。
「すごく、どうでも良いわね」
意図的に、口を大きく開き、はっきりと言葉を発する。
そして何も言わずに佇む青年に頷いて、終わりを知らせる。
「それでは、参りましょう」
いつの間にか、白い廊下へと戻っていた。そして、目の前には扉が佇んでいる。
これは最後の扉だと直感した。
女の根本を彩るもの。荘厳な、一般家庭ではまず見られない、教会特有のヨーロッパ風の装飾が施されたもの。
ようやくこの屋敷に似合う扉が出てきたなと、他人事のように思いを巡らせる。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
軽く頭を下げて送り出す青年に、女は目一杯の笑顔を届ける。
それはひどく、今までで一番、歪なものだった。
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