第9話 手紙(一つ目の扉)

 暗い廊下を、青年の手だけを頼りに進む。

 その手だけが自分以外の存在を示す道標だった。


「怖いですか?」

 暗闇からこちらを見る視線を感じ、立ち止まる。

 だが、歩き続ける青年の手に少し引かれた途端、弾かれるように歩き出した。


「すみません。大丈夫です」

 ふふと楽しそうに笑う声が聞こえる。どこか暖かみがあるそれに、安堵した。


「ここで偽って、何になりましょう」

 クスクス音を立てる青年に、男も面白くなってしまう。

「確かに」


 深く、深く息を吸う。何故かまだ少し息苦しい。


「吸ったら、吐かないと」

 ゆっくりと、こちらに合わせるように紡がれた声量に、男はゆっくりと吐き出す。


「あの、僕の話を聞いてくれますか?」

「一々聞くところがまた、お人好しというかなんというか」


 明け透けに放たれた言葉は、むしろ安心できた。

「なぜ?」


 知らぬうちに口に出していたのか、青年が問いかけてくる。


「耳障りの良い言葉は、本当か嘘か区別しなければならず、面倒だったので」

 質問したものの興味は無さそうな声を向けられ、するりと言葉が出た。


 ああなるほど、と意外そうな顔をして、顎に片手を当て考え込む青年。気負わない緩やかな表情に、方の力がさらに抜けた。


「着きましたよ」

 立ち止まる青年に、男は目の前に突然現れた扉を見つめる。


「いってらっしゃいませ」


 それは今までの洋館の雰囲気とは全く異なり、それを差し置いても違和感しかない扉だった。

 まるで、というより男の覚えている扉そのものだ。

 白い無機質な、機能性しかないそれは、男が通っていた大学でよく使っていた部屋の扉。


 自身がごくりと唾を飲む音が聞こえるほど静かなこの緊張感は、大学独自のものだなと懐かしく思った。

 社会人になってからはまた違った、緊張感というよりはもはや動揺より先に動かなければならないような環境だったから。


 先程学んだように、息を深く吸って、吐く。


「よし」


 手に力を込め、扉を開ける。


 当時より重く感じるそれの先にあったのは、揺れ動く小物の数々。

 予想もしていなかった光景に呆然として、何気なく後ろを振り返り、驚きの声を上げてしまう。


「扉が……」

 なくなっていた。それどころか、周りに壁や地面、境目が全くない。

 ただただ白い空間にいた。


 それでも心細くなることはなく、ただ不思議に思うだけだった。

「あ……」

 思わず出た声は、いつぶりだったろう。本心からの声。久しく聞いてなかったそれは、何だか感慨深かった。


 改めて漂う物に視線を移すと、どれも見覚えがあった。


 二つに裂けたシンプルな封筒に入った手紙、可愛らしくリボンの巻かれた香水瓶、色とりどりな大きいパフェに、ブラックコーヒー。


 懐かしいな、と目を細めていると、目の前が真っ暗になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る