第7話 香水〈場外〉

「結局、男は母親が猫を殺したと思っていたのに、本当は父親が、という単純な話なの?」


 つまらなそうに本の背表紙をなぞる。

 その表情と、机に足を載せた不格好な体勢からは想像出来ないほどの優しさで、なぞる。


 小さな少女がそうしているのだから、必然的にそっくり返ったような、まあいわゆる間抜けな情景なのだが、それでも何故かしっくりとくる貫禄が、少女には漂っていた。


 皺が一つもない、水も弾くほどの艶やかな肌。その中で唯一、その目だけが影を産み出す。


「そう思います?」

 人を食ったような笑みを浮かべ、青年が問いかける。

 チラリとその方を見て、少女は軽やかに首を振った。


「そんな単純なら、本にする価値なんてないでしょう」


 どうでしょうかね、とまた曖昧な言葉を重ねる青年に怒るかと思いきや、心底楽しそうに、荒々しく、笑った。


「いじめっ子? 母親? 父親? それとも」


 本を見つめたまま、目の光を消したまま、口に出す。


「彼自身?」


 何てことないように、様々な可能性を考える少女に、青年は嬉しそうに、いとおしそうに目をすがめ、少女の頬を撫でる。


「全員、と言うべきですかね」

「面倒ね」

 秒もかからず言葉を返す少女に、今度は苦笑させられる。


「まあ、あなたがヒントを与えてくれたことなんて、無いのでしょうけど」


 少女は姿勢を正す。椅子が不満を言うようにギシリと音を立てた。

 じっくりと時間をかけ、青年を観察する。


「彼女が襲いかかった後、どうなったか男は知らなかった。なら、男が帰ったときにはもう彼女は……」


 本を撫でる。

 何かを探すように、慎重に。


「ということは、男が誤解をしていた、母がやった、ということと合わせると」


 暫しの沈黙。


 その後、あーもう! と少女は頭を掻き毟る。


「分からないわね。今回もそうなんでしょ?」


 楽しそうに道化が笑う姿に、少女は隠しもせず舌打ちをする。


「僕にそんな態度が取れるのは、君くらいだよ」

 言葉と不釣り合いなほど楽しそうな声に、そうでしょうね、と不遜に返した少女は、高らかに笑う。


「まあ、どういう結末であったとしても、母親がやったことは許されることではないでしょうけど」


 でしょうね、と青年は下を向く。

 クスクスと体を震わせていることから、少なくとも憐れんでいるわけではなさそうだ。


「ずーっと一人で寂しい思いをして、さらに苛立ちを子供にぶつけるなんて、どういう想いを抱かれても仕方ないと思うのよ」


 少女の瞳は遠くを見ているように深く、それでいてつまらなそうに、霧がかかっていた。


 それを絶ち切るように、勢い良く視線を上げ、横に遣えるように立っている青年に視線を戻した少女は、いつもの人形のような綺麗な瞳を楽しそうに細めていた。


「あー! 今回も楽しかったわ!」


「こんな不安定なこと、よくしてられるよな」

 呆れたような、形だけの動作だけした青年は、徐に手を差し出す。


 はい、と気軽に渡された本を、今までのことが何もなかったかのように、暖炉に放り込んだ。


 赤々と燃えるそれに目もくれず、少女の目は輝いた。


「さあ、次の物語をちょうだい?」

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