いつかずっと忘れたくないから

越知鷹 京

大切にしているこだわり

1月1日


新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。というのは、嘘です。今年は僕にとって、最後の年になるでしょう。僕は、末期のがんにかかっています。医者には、あと半年もないと言われました。でも、それは私だけの秘密です。

妻にも子どもにも、何も言っていません。彼女らに心配をかけたくないからです。彼女らには、普通に暮らしてほしいからです。

僕は、この日記にだけ、本当の気持ちを書きます。



1月15日


今日は、新築に引っ越す日です。

子どもの頃、秘密基地が欲しくて、よく親にねだっていたのを覚えています。

妻と子どもと一緒に、近くの公園に行きました。子どもは、遊具で楽しそうに遊んでいました。

好きなことを好きだ、と胸を張って 口にする子どもは、とても楽しそうでした。妻は、僕に笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。僕は、幸せな気持ちになりました。でも、同時に、切ない気持ちにもなりました。

本当のことを 誤魔化してしまう 自分の弱さに、胸が痛みました。妻と子どもに「ありがとう」と言いたかった。でも、言えませんでした。言ったら、秘密がばれてしまいそうで。僕は、笑顔で答えることしかできませんでした。



2月14日


今日は、バレンタインデーです。妻は、僕に手作りのチョコレートをくれました。子どもは、僕に絵を描いてくれました。僕は、嬉しかったです。でも、同時に、悲しかったです。こんなプレゼントが、もうすぐ受けられなくなると思うと、涙が出そうでした。僕は、妻と子どもに「愛してる」と言いたかった。

でも、言えませんでした。怖ろしい闇が 僕を 包み込もうとしているからです。

僕は、張り裂けそうな胸の鼓動をあふれる涙で応えることしかできませんでした。



3月3日


今日は、ひな祭りです。妻は、僕と子どもと一緒に、お雛様を飾りました。子どもと一緒に お雛様にお祈りをしています。妻は、僕に優しく微笑みました。

僕は、感動しました。でも、同時に、後悔しました。

仕事へ行くふりをして 病院に行っていることに、罪悪感が湧きだしたからです。

僕は、妻と子どもに「ごめんなさい」と言いたかった。でも、言えませんでした。言ったら、秘密がばれてしまうからです。僕は、うなずくことしかできませんでした。



4月1日


今日は、エイプリルフールです。子どもは、僕にいたずらをしました。僕は、驚きました。妻は、私に冗談を言いました。僕は、笑いました。僕は、楽しかったです。

でも、同時に、寂しかったです。こんな笑顔が、もうすぐ見られなくなると思うと、悲しみが溢れました。

僕は、妻と子どもに「さようなら」と言いたかった。でも、言えませんでした。言ったら、秘密を話してしまいそうで。僕は、笑うことしかできませんでした。



5月5日


今日は、こどもの日です。妻は、僕と子どもと一緒に、鯉のぼりを飾りました。子どもは、僕に抱きついてくれました。妻は、僕に愛情を伝えてくれました。僕は、幸せでした。でも、同時に、苦しかったです。こんな幸せが、もうすぐ終わってしまうと思うと、息が詰まりました。僕は、妻と子どもに「いってきます」と言いたかった。でも、言えませんでした。明日から単身赴任で しばらく会えない と伝えました。

「それじゃあ」これが、僕の最後の言葉です。



6月30日


今日は、僕の最期の日。僕は、妻と子どもに、この日記を郵送しました。妻と子どもは、僕の秘密を知るでしょう。僕は、妻と子どもに、幸せになってほしいと願いました。

けれど、秘密にしていた理由が、愛されたいと思う気持ち と 妻の気持ちを試したいという心のせめぎ合い。誰かに傷つけられることを恐れているというなら、僕は、なんて狡い人間なんだろうか。見えそうで見えない秘密は 蜜の味。どうしても、試したかったのです。



すぐに、妻と子どもは、病院へ駆けつけてくれました。

泣きながら抱きついてくれました。


僕は、妻と子どもに「ありがとう」と言いました。

そして、「愛してる」と言いました。

そして、「ごめんなさい」と言いました。

そして、「さようなら」と言いました。



すると、妻も、僕に日記を渡してきました。

恐るおそる、ページをめくると、


――友だちの彼を好きになった――と書かれていました。



――前に好きだったひとが また夢に出てくる。

――会うたびに想いを隠して、抜け出せない迷路の中。


――二度と戻れない境界を越えてしまった。



――砂のお城でかまわないから、ずっと一緒にいて欲しい。



それは、子どもには言えない母の『秘密』。

僕たちを大切にしている、妻のこだわり。


学生の頃の思い出が、鮮明に甦ってくる。




……あぁ。僕は、こんなにも妻に愛されていたのか。




このとき、やっと、胸を張って口にすることで 、

未来を照らすことを教わりました。


僕は、妻と子どもに、「いってきます」と笑顔で別れを告げると、

静かに目を閉じました。



◇おしまい



こうして、父の幸せな結婚は、37歳という若さにして 幕を閉じたのであった。

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いつかずっと忘れたくないから 越知鷹 京 @tasogaleyorimosirokimono

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