5年後の自分へ。元気ですか。部活は何に入っていますか。恋人はいますか。

宮園瑛太

5年後の自分へ。元気ですか。部活は何に入っていますか。恋人はいますか。

 うららかな春の陽気が差し込み、桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。太陽もちょうど僕らの真上付近で輝いているそんなある日のこと。


 今日は始業式。午前中で学校が終わりなのをいいことにさっさと家まで帰った僕は、いつものようにポストの中に郵便物がないか確認する。最近はSNSの発達で手紙を送る人なんてのは滅法いなくなって、届くのは企業からのパンフレットとかそんなのばっかりだ。今日もそういうのばかりがたくさんだった。そんななか一通の封筒がひらりとパンフレットの間からこぼれ落ちる。僕は慌ててそれを拾い上げた。誰からの手紙かと裏返してみると、それは5年前の自分が書いたものだった。


「ああ、こんなこともあったけ」


 僕は当時のことが走馬灯のように脳裏に浮かんだ。


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「5年後の自分に手紙を送りましょう」


 小学6年生。卒業もいよいよ近くなったある日のHR。担任の先生は手紙用紙を僕らに配っていった。


「先生、手紙なんて書いたことないんですけどどうしたらいいんですか?」

「先生、何を書けばいいんですか?」


 次々に質問が先生に向かって飛び交った。


「はいはい。静かにしてね。そうね。単純に元気にしていますかとかでもいいでしょうし、5年後自分が何をしているのかとか聞くのもいいかもしれませんね」


 先生は軽く手紙を一回も書いたことのない僕たちに向けて軽く教えると、残りの時間はこの手紙を書く時間に充てられた。しかし急にそんなものを配られたものだから、何を書けばいいのか僕はさっぱり思いつかなかった。


 そんな僕を尻目に早いやつは5分くらいで書き上げてしまうとどこかに行ってしまう。確か先生は書けた人から外に遊びにいっていいよと言っていたはずだった。だから元気なやつはさっさとこんなの終わらせて遊びに行ったのだろう。別にその程度で許されるのならばそんなに真剣に考えて書く必要もないと今ならばそう思うのだが、このときの僕はちゃんと書きたいと思ったのかもしれない。


『お元気ですか。今、何をしていますか。どこの高校に行っていますか。部活は何に入っていますか』


 そんなありきたりのことを書いては消し、また書いては消していた。全くどうしたらいいんだ。僕は頭をくしゃくしゃとさせていると後ろから声がかかる。


悠人ゆうとはどんなことを書いたの?」


 パッと振り返ると、それは後ろの席に座っていた目黒めぐろさんだった。


「いや、全然何書いたらいいか思いつかなくて悩んでいたところ」

「よかった〜。私も似たようなところ。みんなすぐ書き終えちゃって、外に遊びにいっててすごいね」

「ホントだ……。ずっと考えてたからほとんどみんないなくなってるのわからなかった……」

「ふふ。悠人、ずっと集中してたもんね」


 コロコロと笑う彼女の笑顔に僕は撃ち抜かれる。それは僕にとってまるで天使が微笑んだかのようであった。当時、僕が彼女に惚れていたから余計にそう見えたに違いない。


 僕と目黒さんは所謂いわゆる幼なじみであった。それも家が隣同士というベタなタイプの。物心ついたときから僕らは一緒にいてそれは小6になっても変わらなかった。朝、僕の家まで彼女が迎えにきて一緒に登校するのは当たり前だったし、下校もそう。クラスでもペアを組むときには大体一緒に組んでいたかもしれない。


「やーい、夫婦だ〜。夫婦だ〜」

「早く付き合っちゃえよ〜」


 当然、そんなに距離が近いと揶揄からかわれることも多かった。


「い、いや……。め、目黒さんとはそういうのじゃないから……」

「……」


 その度に僕は揶揄からかってくるクラスメイトにそう返していた。僕がそんな風に答える度に、彼女はどこかむすっと頬を膨らませていた。しかし、僕には何でそんな顔をするのかよくわからなかった。そもそも本当に彼女とは付き合ったことなんて一度もなかった。僕らは住む世界が違うと思っていたから。


 彼女と僕を比較してみる。彼女はクラスの児童会にも所属していたリーダー的存在。いつも頼りにされていた。


奈緒なお〜、ここわかんない〜。教えて〜〜」

「わかった。わかった。今から教えるから」


 休み時間になるとこんな会話がしょっちゅう聞こえてきた。勉強はもちろんできたし運動もだった。


「奈緒、また50メートル走一着だって」

「男子もいたのに?」

「そう、すごいよね〜」


 そんな会話がたまに体育のときに聞こえてきた。他をとってもいつもクラスの中心には彼女がいた。


 対して僕はどうだ。何をしても平均かそれ以下の存在であった。


「おーい、佐々木ささき。そっちにボールいったぞ〜」

「わ、わぁ〜」

「お、おい。また佐々木エラーしてるよ」

「使えねえなあ〜」


 僕はこの頃、野球教室に通っていて週末はよく練習していたけれどもいつもこんな感じだった。三振は当たり前。内野を守ればエラー。外野を守ってもエラー。キャッチャーをやらせても後逸。ピッチャーをやらせても暴投。


「ナイスボール!」


 僕より後に野球教室に入った子に三振を取られたときは悔しくて悔しくて仕方なかったけれども涙すら出てこなかった。


 そしてそのとき僕は初めて悟ったのだ。人間は平等にはできていないということに。僕と彼女には大きな差が存在するということに。だから僕が彼女と付き合うとかそんなのおこがましいのだと幼心ながらにそう思っていた。なんでもできる目黒さんと、なにもできない自分。どこか僕は彼女に対して劣等感みたいなものがあったのかもしれない。


 そういえばこの頃からだったか。昔は下の名前で呼んでいた彼女のことを『目黒さん』と名字で呼ぶようになったのは。


 そよ風が僕らの間を駆け巡る。爽やかなどこか春の訪れを感じることができる風。あと少しでダウンジャケットもいらなくなりそうだ。窓の外を見てみると、さっさと手紙を書き終えたクラスメイトが運動場で元気よく駆け回っている。教室の中を改めて見てみるとほとんどが外に出ていて、僕と目黒さんとあと数人しか残っていない。最近はちゃんとした授業も減って、こういう時間が増えたような気がする。卒業が段々と近づいている。


「よし! 書けた!」


 後ろから声がする。彼女はご機嫌そうに先生に手紙を渡すとこしょこしょと何やら話している。先生は最初少し驚いたような顔をしつつも、にやりと不適な笑みを浮かべた。


「何かあったの?」


 僕は気になって戻ってきた彼女にそう聞いてみる。


「うーーん。秘密!」


 彼女は早く書いて外に遊びに来てよねというと、そのまま駆け出してしまった。少し頬が赤らんでいたのは気のせいだっただろうか。一人取り残された僕は、そこから数十分一人で悩みに悩み、書き終えた頃にはちょうど無情にもチャイムが鳴ってしまっていた。


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 僕はそんな頃もあったなと懐かしく微笑ましく感じた。すぐに読んでみたくて僕はその場で手紙を開ける。小学生らしい少し拙い文字でつらつらと書いてあった。


『5年後の僕へ』


『元気にしていますか』


 ____まあ、そこそこ元気にやっているんじゃないかな。


『どこの高校に通ってますか。A高校にはいけてますか』


 ____地元の家から一番近い学校だね。A高校は偏差値が高すぎて僕には到底届かなかったよね。


『部活は何に入っていますか。野球は続けてますか』


 ____今は帰宅部だね。野球は中学に上がると同時にやめてしまったな。結局ずっと馴染めないままだったし。


『勉強はどうですか。難しいですか。簡単ですか』


 ____まあ、難しいよね。最近も数学で赤点とったばっかりだし。追試ばっかり最近は受けているような気がする。あの頃の勉強がいかに楽だったか身に染みて感じているよ。


『好きな人はいますか』


 ____どうだろうな。昔は少なくともいただろうけど、今はどうなのかよくわからないや。


『恋人はいますか』


 ____なんだか嫌な予感しかしないんだけど。


『奈緒には告白できましたか』


 ____散々悩んでこんなこと書いていたんだ……。すっかり忘れていたな。できるって思っていたのかな、当時の僕は。どんな気持ちでこれ書いたんだっけ。思い出せないや。


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 それまでずっと学校が一緒だった、僕と目黒さんだったが中学に入るとお互い違う学校へ通うことになった。それはどちらかが引越しをしたという訳ではなく、彼女が中学受験をして中高一貫の進学校へ進むことになったからだった。


 だから僕は卒業までにこの淡い恋心を打ち明けると決めていた。卒業したら今までのようにはいかないってわかっていたから。疎遠になってしまう前に。絶対に。


 卒業式当日ではベタすぎるし何よりそんなことをする暇がないと思った僕は、それまでには告白すると決めていた。しかし、当時から僕はここぞと決めたときに何もできない人だった。今日こそはと決めていっても、彼女の顔を見るたびにどうしてかやっぱり無理だと諦めるのを何回も何回も繰り返していた。そして気づけば卒業式前日にまでなっていた。僕はあたふたと心の中で焦りが募るばかり。その日はほとんど寝付くことができなかった。


「おーい、悠人まだ〜?」


 外から大きな声が聞こえる。窓を開くといつも通り彼女が家の前まで迎えに来ていた。


「早くしないと遅刻するよ〜」


 いつもなら慌てて準備をして一緒に向かうのだが、今日はそんな気分になれなかった。告白するならもう今日しかない。そんな日に一緒にいたら……。僕の心臓が破裂してしまうに違いなかった。今も壊れそうなくらいにドクドクと鳴っているし。


「今日はいいよ。先に行ってて」

「え〜。なんで〜?」

「なんかそういう気分だし」

「どういうこと? 全然待つよ、いつものことだし」

「いや、いいよ」

「なんで? なんで?」

「いいから! そういう気分だから!」


 いつになく僕は強い口調で彼女にあたってしまう。そんな風にするつもりなんてなかったのに。


「…………」

「…………」


 彼女がそんな僕の強い口調にビクッと肩を震わせたような気がした。しかし、特に反論したりといったことはなく俯いたまま黙ってしまった。気まずいような静寂が僕らの間を覆う。もう春だというのなんだか僕は真冬の中にいるような寒気を感じる。


「…………。そう。わかった。じゃあ、いくね……」


 彼女はどこかいつもの活発で明るいそれとはかけ離れた掠れたような声でそう言い残して走り去っていく。俯いた彼女がどんな表情を浮かべていたのか、そしてどんな気持ちだったのか、窓から眺めるだけでは何もわからなかった。僕はどうしてこうなったと頭を抱える。どうして。どうして。告白をしようと決めたときに限ってこんなことになっちゃうんだろう。ほとんど喧嘩らしい喧嘩なんて今までしたことがなかったのに。僕は自分自身のことを呪った。


 卒業式前日だった今日は、授業はほとんどなく卒業式のリハーサルをみっちりやると午前中でそのまま解散となった。僕は午前中ずっとどこか上の空であったせいで、リハーサル中大事なところのセリフで言い間違えて先生に怒られてしまいもうメンタルがボロボロだった。でもここから挽回するしかない。何しろ僕には後がないのだから。


 僕は気合いを入れ直して、いよいよ後ろにいるはずの彼女に声をかけようと振り返る。しかし、そこには彼女の姿はなかった。どういうことだとあたりを見渡すと、クラスの中でスポーツができて結構カッコいいよねと言われていた滝野くんが彼女を連れてどこかに行ってしまうのが見えた。何があったんだと少しではないくらい混乱しているとクラスの中で噂話が耳に入ってくる。


「滝野、目黒さんに告白するらしいよ」

「マジで?」

「昨日、サッカー教室でそんなこと言ってたし本当だと思う」

「はえ〜。すげ〜」

「でも、滝野くんと目黒さんならお似合いって感じだよね」

「だよな。美男美女カップルって感じ」

「おい! あいつら校舎裏に行ったらしいよ! 折角だから様子、見に行こうぜ!」

「マジか! 行くぞ!」

「どうする? 見に行く?」

「うーん、私はいいかな」


 何人かが校舎裏へと様子を見に駆け出して行き、何人かが教室にいつもよりも長く残って二人の帰りを待っているようであった。


 僕はそれを眺めながら愕然とする。ああ。終わったな、と。


 肩から崩れ落ちそうになるのを必死で堪えて、僕はふらふらとよろめきながら教室を出る。


「え? 佐々木くん大丈夫?」

「ほっといてやれ。あれは多分そういうことだから」


 後ろからクラスメイトが勝手なことを言っていることにすら気が付かなかったくらい僕はいっぱいいっぱいだった。全く生きた心地がしなかった。


 僕は告白する気力も失い、もちろん校舎裏へ様子を見に行く気持ちにすらならなれず、僕は重い足取りで家にまで自力で帰った。一人で学校から帰るのはこれが初めてだったかもしれない。僕はなんとか自分の部屋まで辿り着くと、ベットにそのままダイブして親にご飯だよと呼ばれるまでそのまま動くことができなかった。涙まで流したかすらもう覚えてはいなかった。


 結局、その告白が成功したのかは知らない。あれだけ野次馬がいたはずなのにそういう噂話を聞くこともなかったし、そもそも僕自身知ろうとも思わなかった。もしかしたら僕に気を遣ってくれて、僕がいる前ではそういう噂は話さないでおこうって思ってくれたのかもしれない。まあ、単純に彼女がみんなとは違う進路に進んだから噂しにくくなっただけだと思うけれども。


 その後僕らは二人で喋ることは一度もなかった。それは気まずかったから。主に僕が。卒業式の日も何となく別々に登校したし、その後もやはり会うことはすっかりなくなってしまった。最初は時折、彼女からSNSで連絡がきて心配してくれていることもあったけれども返信する気になれず全部無視していた。そんなことをしているとそのうち連絡も来なくなった。僕たちはこうして幼なじみという関係すら消し去ってしまいただの知らない隣人となった。


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 嫌な思い出が頭の中をよぎり慌てて消し去ろうとする。僕はなんとなく隣の家を見てみる。こうして思うと随分と遠くなってしまったなと感じる。家の距離はこんなにも近いのに、二人の距離はまるでどこか違う街に引越したかのように遠い。


 手紙の最後にはこんなことが書いてあった。


『多分うまくいかないことの方が多いと思うけどそれも含めて僕です。諦めて生きていきましょう』


 なんと当時12歳にしては生意気なこと書いているなと苦笑いしつつ、当時からこんな気持ちで生きていたなと懐かしく感じた。


 僕の人生というのは何か諦めてばっかりだ。勉強も、運動も、恋愛も。それは今でも全く変わっていない。


 今の自分を見て、5年前の僕はどう思うだろうか。多分、手紙にこんなことを書くマセた子供なんだ。ある程度いまの感じになると予想していたかもしれない。もしそうなら、結局こんな感じかと苦笑いするのかもしれない。まあ、それも僕らしいか。


 嫌なことも思い出してしまったけれども全体としてはいいものを読んで懐かしい気分になった。さてそろそろ家の中に入ろうとしたそのとき、パンフレットの中からもう一通自分のと同じような封筒がハラリと落ちていった。


 こんなのあったかなと不思議に思いながら拾い上げる。さっきのとは違い、裏を見ても差出人の情報が何もない。ただ表を見れば宛先が間違いなく自分であることだけはわかる。


 何だろうと思ってその場で封を開けるとデカデカとこう書いてあった。




『後ろを見て』




 僕はそれに従って訝しげに思いながらゆっくりと振り返る。


 風が吹く。5年前のあの頃と同じ春の風が心地よく僕らの間を通り過ぎる。


 僕はびっくりして鞄を地面に落としてしまった。


 だってそこには……。


「久しぶりだね」


 彼女奈緒 がいたから。5年ぶりに見る彼女は少し背が伸びて、髪をくるりと巻いていて、制服をおしゃれに着こなしていた。すっかり今どきの女子高生だった。そんな彼女がムスッとした表情で僕の目の前に立っている。瞳にありったけの液体を溜めて。


「どうしてここに?」

「今日は始業式だから」

「いや、そうだろうけど……」

「手紙、読んだ?」

「手紙ってこれ?」

「そう、それ」

「……。これって5年前の自分が5年後の自分に向けて書くものじゃなかったけ?」

「そうだけど先生に無理を言って悠人のもとに送ることにしたの」

「ど、どうしてこんなこと……?」

「……。まだ、わかんないんだ」


 怒ったように彼女はツカツカと僕のもとに近づいてくる。そしていつに間にか僕の目の前に黒い艶やかな綺麗な髪がある。何が起こっているのかさっぱりわからなかった。


「これでもわかんないの?」


 彼女のその言葉でようやく気づく。彼女はいま僕のことを抱きしめているんだ。彼女は僕の胸に顔を預けている。フローラルな甘い香りが僕を刺激する。大人に一歩近づいた彼女の刺激に僕は計らずして胸の鼓動が止まらない。どんどんと早くなっていく。どうにかなってしまいそうだ。そんな中、僕はぐっと歯を食い縛って絞り出すように声を出す。


「ご、ごめん……」

「そんな言葉が聞きたいんじゃない!」


 彼女は身体を僕に預けたまま、上目遣いで僕のことを見つめてくる。ポタポタと雫が落ちていって僕の制服を濡らしていく。彼女の瞳に僕が映る。思わず僕は目を逸らしてしまう。


「…………」

「…………」


 僕たちはしばらくそのままだった。彼女が何かを待っているというのはわかっていた。けれども僕は何をしたらいいのか全くわからなかった。僕は5年前と全く変わっていないのだ。そうやって逃げてばっかりだったから。


「ああもう、焦ったいな!」


 そういった瞬間。彼女の顔がゼロ距離にあった。


(え…………?)


 僕は頭の中が真っ白になる。今、僕は何をされたんだ。流れ込んできた情報の強度があまりにも強いものだから処理が全く追いつかない。たぶんたった3秒くらいの出来事だったはずなのに、実際には3分ぐらい経ったように感じた。


「もう一度」


 どこかに触れられた感触の名残が残るなか、まだ頭の整理が追いつかない僕のことを見て、彼女は二度、三度と顔を近づける。僕は何も抵抗できず彼女になされるがままにされてしまう。唇に熟れた果実のような柔らかく暖かい感触を感じる。今まで生きてきた中で一度も感じたことのない感触だった。


 四度目、彼女が顔を近づけたときにようやく何が起きているのか気づけた。僕は今キスをされている。顔を真っ赤にしている彼女に。


 それに気づいてしまうと僕は全身が熱くなるのを感じた。そして彼女のことがとても愛しく感じてしまう。過去のことだって諦めていたのに。鍵をかけて昔の感情を奥にしまっていたのに。彼女はそんな殻に閉じこもる僕を正面から蹴破って再び目の前にやってきた。嬉しくないわけがない。僕は今、世界で一番幸せものなのだろう。


 しかしこのままなされるがままというのは非常によくない。少しだけ冷静に判断ができるようになった僕は五度目を今まさに実行しようとする彼女を慌てて止める。


「待って、待って。わかった、わかったからもうそれぐらいにして……」


 心臓が破裂してしまうから。


 僕が少し力を込めてグッと彼女と距離を取ると、ようやく諦めて僕を解放してくれた。しかし、まだその顔は不機嫌そうなしかめっ面をしている。


「本当にわかったの?」

「た、多分……」

「多分ねぇ……。じゃあ私が聞きたいこと言ってみせて」


 わかっている。わかっているんだ。ここまで彼女がしてくれたんだから。何をすればいいのか。何を言えばいいのか。くよくよしている場合じゃない。あまりにも今更だと思う。けれども、ここで男をみせないと本当に彼女はどこかに行ってしまう気がした。


 声に出そうとしてもなかなか出てこない。ここまで彼女は僕のもとに降りてきたというのに。もう答えなんてわかっているのに。どうしてか声が出ないのだ。


 そんな顔が強張ってしまっている僕を見て彼女は一つ大きなため息を吐く。そして、再び僕のもとに近づいてきて肩をぽんぽんと叩いた。


「いつになっても仕方ないね。悠人は。ほら深呼吸をして」


 すー。はー。すー。はー。


 彼女に言われるがまま僕はゆっくりと数回大きく呼吸をした。


「落ち着いた?」

「多分……。なんとか……」

「そう。私、そろそろ我慢できないから早く言ってよね」


 彼女はさっきより違う優しい笑みを浮かべるともう一度少し距離を作った。彼女的には告白はこの位置で受けたいのだろう。


 僕はもう一度大きな深呼吸をする。ここまでされて何もできない男にはなりたくない。僕は腹の底から絞り出すように声を出した。


「ぼ、僕は……奈緒のことがす、好きです!」


 やっとだ。やっと。ようやく言えた。5年越しにこの言葉を。自分の秘密恋心をようやく今目の前で打ち明けることができたんだ。


「……」


 彼女はそんな僕を見てゆっくりと近づいてくる。


「この鈍感。意気地なし。ヘタレ。童貞。早漏」


 一歩一歩彼女が歩みを進めるたびに暴言が吐かれていく。でも最初の三つは認めるけれども、残り二つはいくらなんでもひどくないか……?


「でも、」


 そこで言葉を切ると、もう一度僕の前に飛び込んできた。


「ちゃんと言えたから合格」


 とびっきりの笑顔を携えて。その顔を僕は生涯忘れることはないであろう。初めて奈緒が秘密恋心を明かして見せる表情なのだから。


「私も好きだよ、悠人」

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5年後の自分へ。元気ですか。部活は何に入っていますか。恋人はいますか。 宮園瑛太 @masa_tugawa

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