第12話
「あー、やっぱ遠いなー」
真夏みたいな久々の休日、僕は自室にて黙々と一人パソコンをいじっていた。
近場のプールはどこもすこぶる立地が悪い。
こんな季節に徒歩一時間近い坂を上るのはごめんだった。
「……使うかな」
網戸越しに、ベランダで眠る〝それ〝に目をやる。
変色したツタが絡みついている〝それ〝は、もはや放置自転車の域ではなかった。
汚れてもいい服に着替えてから、オンボロ自転車を抱えやっとの思いで廊下を縦断。
ドアストッパーを足で下ろして、玄関から外に出る。
と言っても、いきなり階段のある通路へ出るわけじゃない。
僕の住むマンションの各部屋の前にはちょっとしたスペースが用意されているのだ。
そこへ自転車をそっと下ろし、そばに古いタライをセットする。
中にはなみなみと水が汲んであった。
サビ取りに、空気入れ、使い古したタオルもそろえて準備完了。
いよいよ作業開始という時に、階段から足音が聞こえて来た。
一歩、少し休んでまた一歩と辛そうに上る足音の主は案の上君だった。
けれど、玄関前に止めたボロ自転車に気づくや否や、突然首を引っ込めてしまう。
「テール、どうかした?」
「……その自転車、乗る気?」
「え?」
テールが指さした瞬間、自転車が風でかすかに揺れた。
次の瞬間、ゾワッと不気味な効果音を立て、足がいくつもある虫がベルの裏側に引っ込む。
よくよく見れば、タイヤの隙間からもヒクヒクうごめく触角が飛び出している。
……見るからに、大物のそれだ。
「げっ…」
*
「うーん。痛い出費だな、こりゃ」
買ったばかりのママチャリはなんと六段変速だった。
荷台に人が乗っても壊れないくらい頑丈だからと押しに押されて買ったけど、よく考えてみたら当たり前なんじゃないか?
テールを後ろに乗せる夢を思い描かなかったと言えば嘘になるけど、まんまと乗せられてしまった感がある。
……自転車だけに。
寒いことを考えているうちに、公園の前を通りかかった。
「いい機会だし、練習してく?」
テールはピタリと足を止め、ゴクリと喉を鳴らした。
そして、さりげなく一歩後ずさる。
すかさず腕をつかんでひっ捕らえ、努めてやさしくたたみかける。
「ね?」
鬼だ悪魔だと騒がれながらやっとのことで敷地内に連れ込む。
幸い、炎天下の公園は貸し切り状態だった。
……言っておくけど、やましいことがしたいんじゃない。
驚くなかれ。
とっくに成人している僕の彼女は自転車に乗れないのだ。
「スカートなんだけど」
「ロングじゃん」
「……暑いんだけど」
「あとで何か買ってあげるから」
この後に及んでブツブツ言っている君をなだめ、自転車に乗るよう促す。
これも市民プールのためだ。
邪魔になると思ったのか、君はツインテールの結び目をほどき、後頭部で一本にまとめた。
「その髪型も似合ってるね。痛っ!?」
褒めたのに、強めにスネを蹴られた。
……女心はわからない。
「じゃ、後ろでちゃんと支えてるから、軽くこいでみてよ」
中々決心がつかないのか、うつむいたままつま先で地面をぐりぐりやり出す君。
「おーい?」
声をかけると、君はついにサドルから降りてしまった。
「……見本見せて」
恥ずかしいのか、今にも消え入りそうな君のお願いに、僕は首を横に振る。
「ごめん、無理」
目をまん丸くして驚く君に、僕は真実を告げねばならなかった。
「僕も乗れないから」
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