第2話 美談、それは禍い
儂の葬儀の後、息子の嫁洋子が、頼んでもいないのに、和代と同居することになった。
―――
「貴方、お義母さん一人じゃ生活できないわ。」
息子に嫁が話しかけている。
「施設、かなあ。」
「でも、施設って、お金がかかるっていうし、私が面倒みるわ。ちょうどうちの子供達も大きくなったじゃない?」
「いや、お前、遠いし、大変だぞ。」
「貴方がうちに住んで、私が此処に住むの。どう?家は空き家にすると大変よ?あなたは正社員だけど、私はパートなんだし、此処で仕事探せると思うわ。」
―――
一見美談だが、それは禍いだった。
早速のある日のことだ。
「お義母さん、食事にしましょう。今日はお寿司よ。」
和代はグルメである。江戸前寿司が大好きだ。スーパーで半額になった魚の入っていない巻き寿司は食べないのだが、そればかり、大量に机の上に置かれている。中身はかんぴょうと卵か。いや、この程度なら、出来合いの買わなくてもよくないか?
「食べるものがないわ。」
和代がつぶやく。
老人の胃は小さくなるのか、別に量は必要ない。どうでもいいものを多く食べるより、美味しい上質なものを少しずつ食べるのが好きだ。儂ら夫婦はずっと、旬の食べ物を必要なだけ料理して食べてきた。
「お義母さん、食べなきゃだめよ。」
嫁はやたらと大きな声で言う。その後、嫁は和代が食べないと、電話でひとしきり、友人・知人に騒ぎ立てた。和代を知らない、その友人・知人は、
「洋子ちゃん、大変だと思うけど、頑張ってね。」
とか
「貴女ー、偉いわー、自分のお母さんじゃないんでしょ。」
とか、見当違いのコメントしきりだ。同じ家にいる和代は、気分が悪そうだ。和代の耳は遠くない。聞こえてるって。そもそも、同居してほしいと、一言も、言っていない。
別な日のこと。
「お義母さん、洗い物してくださいね。」
和代は、元が不器用だ。茶碗を割るのは、しょっちゅうであった。なので、儂は和代に洗い物はさせなかった。案の定、コップを割ってしまう。
「あーあ、お義母さん、ちょっとどいてよ。片付けるから。」
無理にやらせておいて、嫁は仕切る。嫁よ。流しの下に組み込まれている食器洗濯乾燥機が見えないか。そして、また何処かに電話している。
「お義母さんに、リハビリとして、洗い物してもらっているんだけど、何個もコップダメにするのよー。」
和代は最初のうちこそ、嫁に合わせていたが、次第にふさぎ込むようになった。仲のいい友人が訪ねてきたとき、ついに、
「家の中に嫌な人がいるの。」
とこぼす。しかし、その場から一向に退散しない嫁が、
「もー、お義母さんたら、最近、いつもこうなんです。私がいないと、何にもできないのに。」
と会話に割り込んでいる。
あんた、その人と知り合いじゃないだろう。遠慮しろよ。和代にはプライベートな空間すら与えられないのか。まあ、あんたは、どこででも、大きな声で、どんな話でも、べらべら電話する性格のようだが、和代はセキュリティ完備の場所で、気の知れた人だけで話すのが好きな性格なのだ。
同居したがための嫁姑問題が、若いうちに同居しなかった故に今、発生していることに「善意」の嫁は気が付かない。もしくは、無神経か。嫁は、
「お義母さんの様子がおかしい。」
と騒ぎ立てる。
[それは、あんたが、和代の生活様式を理解しないで、自分の嗜好とやり方を押し付けるからだ]
とくまの中から、儂は唸っているのだが、勿論届かない。
こんなことなら、結婚に反対したら、よかったな。儂は後悔する。最も、息子が結婚するといって嫁を連れてきたとき、既に嫁の腹の中に子供がいるということで、人として、反対ができない状態だったのだが。息子も和代に似て、繊細、しかも、顔だちもなかなかいいほうだった。嫁の毒牙にかかり、仕組まれたんじゃないか。今となれば、そのようにすら、思えてくる。儂らと明らかに考え方が違い、ガサツだ。
今の社会で、こんなことをいうと、誤解され、まず怒られるから、言わなかったが、「育ち」が違う。文字通りの意味だ。何を食べ、何を大事にして生きるかが。
和代はみるみる、老人性うつと認知症を発症し始めた。儂なら、精神科か心療内科に連れて行くのだが、嫁は誰かに電話で吹聴するだけ。和代のメンタルケアは何もなされない。
和代が、失禁をするようになった。嫁がまた、大声で、方々に電話をかけ、ストレス発散をしている。布団の中で、和代が、声を殺して泣いている。
「そう、お義母さんがさ、紙パンツ嫌がるのよね。それで、脱いじゃうの。こっちは大変よう。洗濯物も増えるしさ。もう、コインランドリーに毎日持っててるよう。」
儂なら、先に布の尿漏れパンツを準備するがね。最近はおしゃれなデザインがいくらか出ているよ。なんでそう、短絡的な方向で物を考えるんだ、この馬鹿嫁は。インスタントな文化を好み、節約しているように見えて、安っぽい生活で金を失う典型的なタイプだな。こういう言葉もあるだろう。安物買いの銭失い。
嫁は泌尿器科を主治医にして、介護保険を申請し、うちにケアマネージャー(以後略:ケアマネ)が月一回来るようになった。和代を何も知らない者達、が偉そうな顔をして、和代を型通りの老人扱いする。
「おばあちゃん、どうですかあ。」
和代は孫以外におばあちゃんと呼ばれるのが嫌いだ。そして耳が全然遠くないのに、耳の近くで大声を出され、非常に迷惑そうである。
「デイサービスに行ってみましょうか、ねえ」
和代は、なんの特色もないデイサービス矛彩に連れていかれることになった。嫁はまた電話で方々に、苦労話を威張っている。
「もう、いろいろさ、手続きが大変なのよ。私、血縁じゃないでしょ。」
ああ、もともと同居もしてなかった他人だよ。
「手続きとか、お金のやりくり大変なのよねえ。」
財政面の管理できないなら、ほんと、やめてくれよ。儂は定年まで普通に働いていた。儂が死んでも、和代には遺族年金が出る。あと、儂は株をもっていたから、配当金とかあるときはあるし、証券会社で株の分、税金を納めるようにしていても、年間取引報告書をもって確定申告するもんだ。年金で源泉徴収票もあるだろう。確定申告。医療費控除とか、きちんとやっていれば儂の金で足りないなんてない。介護保険だって、支払金額は上限が決まっていて、超えた分は戻る仕組みだ。数か月後、月末に指定した口座に振り込まれる。
自転車操業で、手元のお金だけみる奴が、お金のやりくりなどと語るな。家計簿もつけずに、自己犠牲に酔うな。
そういや、この女、友人に儂等が孫等にやっていたお年玉をピンハネして貯金して孫の記念日に「おじいちゃんからもらったお金よ」といって渡す予定だとか抜かしていたが、いろんな面で馬鹿だな。
まず、儂等はその孫にとって、必要な時期に、必要な金額を渡していたつもりだ。だから、ピンハネの貯金は儂等の心遣いを台無しにしている。孫等にとって、儂等はけちな爺婆になってしまっているというわけだ。
次に、いくら孫の名義で貯金しようが、孫自身がその事実を知らなければ、贈与税かかるぞ。
「私もパートしなきゃ、だしー。」
そんなに中途半端な時間のかけ方をして。正しく、和代にかかる金と、そうじゃない金、わかっているのか。儂の金を、和代の金を節約して、どうなるか考えてるか。相続には相続税だ。和代の金は和代に、い・ま、現在、きちんとかけてくれ。ためたところで、意味はない。そして、あんたらの金は別にいらんのだ。混ぜなきゃいいんだ。
あんたが、パートで、はした金稼いで、苦労話して、皆あんたの自己満足だ。あんたは、うちにいなくていいんだ。いや、いらない。息子の家に帰ってくれよ。
儂がくまのなかから唸っても、勿論、全く効果はない。
和代は、朝9時頃、矛彩のボックスカーに、荷物のように、ぞんざいに乗せられて、矛彩に行く。昼になると、何処かで作った食事の温めなおしが給食のように配られる。歯が悪い人の為か、普通食でもべちゃべちゃだ。
老人=演歌とか、誰が決めたんだ。和代の好きなのはジャズなのに。幼稚園のお遊戯会のごとく、お歌を歌う時間になり、和代はとてもつまらなそうだ。
子供言葉でお風呂に入れられた後は、3倍に薄めたポカリスエットを飲まされている。お洒落でセンスの良かった和代が、サイズの合わない、だぼだぼのセーターと、どんな服にも合わない唐突なパステルピンクの介護シューズを着せられ、これではもう、「生ける屍」だ。
和代の元の状態をしらないケアマネが、
「介護するの大変だよね、大丈夫?もう少し楽していいんだよ。」
と嫁の心配ばかりするのが、嫁をさらに助長する。先に和代がちゃんとケアされていれば、その次の台詞に、その言葉はあってもいいが、和代はもはや、物言わぬ老いたペットか?気を遣う方向が違うだろうが。嗜好に合わないもの、あんたらに押し付けられて、どんどん弱っていってるんだよ!
泊りのオプションが使えるからと嫁は矛彩が気に入っている。嫁は週4で泊りオプションを使用し、
「これで私もやっと寝られるわあー。」
と満足気だ。いや、あんた、ここで何してる。小銭稼ぎに、こっちが少々都会だからというぐらいにしか、儂にはみえん。
介護サービスは、標準の部分はかなり手厚い。テレビで「介護、金がかかって…」と特集している人のスケジュールが公開されると、標準のサービスを全然利用しておらず、介護保険外サービスを利用して、金がかかるといっている。介護の費用を捻出するために、パートで働く?ナンセンスだ。その前に、当人の財産を確認しろよ。まあ、他の人は他の人の事情があるし、一律に議論できる問題ではない。ただ、介護の取り上げられ方は、ものすごく偏っている感を受ける。
儂の願いはただ一点、和代が、正しく介護されることだけだ。だけど、和代が日常生活に不満を漏らしても「認知症だから」の一言で片づけられる。専門医にみせられることなく、一般的な知識の推測で。
そして、和代は、何の特色もない施設、矛能尾に入れられることになった。嫁は「自分は介護頑張った。仕方なかった。」という顔をしていた。そうだ、電話で誰かに言っていたな。
「どうせ、自分の親じゃないしね。あはははは。」
しかと聞いた。
儂に言わせれば、和代の為の介護ではなく、嫁の独りよがりの介護体験だ。介護する側の負担というのを考えるのも結構だが、最初に本人あっての介護だろうが。
「いかんやろ!」
儂が思わず叫んだその時、儂のPHSに、阿乃世カスタマーセンターから電話がかかってきた。
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