老人ですが、死ぬのやめます。

若阿夢

第1話 心配

 和代を残し、儂は死んだ。心筋梗塞というやつか。気が付くと、儂は死んでいた。


「行ってくる。」

 寝ている和代に向かって声をかけた後、家を出、朝のジョギングをしている最中のことだ。2023年の男の平均寿命は81.05年、齢80であれば、標準か。ただ、死ぬつもりが、全くなかったから、何の準備もしていない。この後も、和代と二人、のんびり暮らしをずっと続けるつもりでいた。


 和代は、少々足腰が弱っていて、気分の浮き沈みも激しい。そこで、ずっと、儂が家事をしていた。和代は、今後、うまく生きていけるのか。心配で、成仏どころではない。そこで、手元にあったPHSで、阿乃世カスタマーセンターに電話をして、昇天するBUSに乗る時間を遅らせることにした。


 何故、PHSが手元にあったのかは不明…ではないな。このPHSは昔、儂が使っていたもので、PHSという通信システム自体は、携帯が一般的になる前に普及したものの、携帯に押され、完全にサービス終了した。すなわちサービスが死んだのだから、あの世で有効活用しているのだろう。昭和の香りのするBUSもしかり。

 阿乃世カスタマーセンターの様子では、昨今の事件や事故で急死者が増え、あの世の受け入れ態勢が整わず、昇天の時間を遅らせるのは歓迎らしい。そんなわけで、儂は現世に、思念体として残っている。人からは見えないし、人に話しかけても相手は聞こえない。俗にいう幽霊というところか。


 儂は、道端の茂みの中に倒れこんでいて、丸一日発見されなかった。第一発見者は、20代の若者で、既に儂がこと切れていたため、警察に通報した。若者よ、この場を借りて、礼を言う。自分となんら関係ない儂の為、あれこれ警察で聞かれるのは時間ばかり取られ、なんら良いことがなかったろうに、有難う。

 警察は、儂が、身元の分かるものを一切、持っていなかった為、苦労したようだが、何とか儂の家と、息子の連絡先を突き止めた。息子は、隣県に住む会社員だ。男ばかり二人子供がいる。息子の子供はどちらも一人暮らし。確か、上は就職し、下の子が大学四年で今春、就職のはず。息子の家は持ち家、現在、嫁と二人暮らしだ。


 息子が、儂の家に入った時、全ては儂が出て行った時のままで、和代は電気もつけず、食事もとらず、風呂も入らず、布団の中に丸くなっていた。儂が帰らないことを心配してはいたが、電話を誰かにかけるということを、人に遠慮してしまって、できないたちなのだ。儂が死んだことを知ると、さめざめとずっと泣いている。さめざめ、でなければ、しくしくだ。わーわーと大泣きする女ではない。短時間に感情を爆発させる気性ではなく、長時間ずっと持続する気性なのだ。

 儂は、和代の肩に手を置いたが、当然、素通りする。体がないというのは、なんとなく所在ない。手を置くことは諦め、ソファの上にある、ブランド紅茶のくまのぬいぐるみに憑依することにした。昨年、百貨店で、買い物の途中に見かけ、購入したものだ。和代はいくつになっても、くまのぬいぐるみが好きなのだ。


 葬儀の前日、息子の嫁がやってきた。第一声が、

「何なの、ここ。ぐじゃぐじゃじゃない。」

 大きなだみ声がカンに触る。大きなお世話だ。洗濯物がカーテンレールに干されていようが、書類が方々で、曲がって積まれていようが、流しに多少洗っていない食器と鍋がでていようが、儂はすぐ戻るつもりだったんだ。来客なんぞ、全然考えていない。そして、誰も頼んでもいないのに、いそいそと片付け始めた。


「もー、冷蔵庫の中も、古いものばっかりよね。賞味期限切れてるし。」

と、冷蔵庫を開け、目についた卵を捨て始める。おいおい、この女、大丈夫か。確かに卵には賞味期限のシールが張られ、販売されている。しかし、それは25度で保管した場合に生で食べられる二週間の日付だ。


「ごはん、買ってきたから、食べましょ。まだ温かいわ。」

と、コンビニ弁当を出す。最初から作る気ないなら、冷蔵庫、開けるな。米なら米びつ、梅干しは棚、魚の切り身は冷凍庫に入っとるわ。調理器具は一通り、電子レンジもうちにある。儂は、息子のいつもの生活が不安になった。






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