彼女と付き合うには条件がある

つばきとよたろう

第1話

 絶対という言葉は、使えば使うほどその言葉の意味が薄れてしまうのはなぜだろう。絶対守る。絶対する。絶対、絶対。乱用すればするほど、それはただのいい訳に過ぎなくなる。おいそれと口にしてはいけない言葉なのかもしれない。ぼくは高校のクラスメートと約束をした。絶対という言葉を使って誓いを立てさせられた。ぼくの廊下側から二列目前から三番目の席と、彼女の窓側の後ろから二番目の席は、当然何の接点もないはずだった。消しゴムを落としたって彼女の席にたどり着くのは、随分と航海をしないといけない。授業中、ぼくは彼女の方を見た。でも彼女は無視した。

 彼女つまり宇野美月は、見た目も学力も人気も真ん中くらいの普通の女の子だった。普通というのは、基準がなければ案外難しい。その基準を普通と呼んでいるのだから目が回る。彼女がその立場を必死に維持しようとしている。ぼくは顔をしかめる。

「じゃあ、いつ話し掛けたらいいんだよ?」

「それは私が決めること。言ったでしょ。人前では話し掛けないでって。分かった?」

「ああ、分かったよ」

 ぼくは初めて詰め襟を着た時の息苦しさを感じた。何かが壊れそうで必死に堪えていた。ぼくと彼女が付き合い始めたのは、一週間前の放課後からだ。教室にぼくだけ残って、彼女を待っていた。

 大事な話があります。今日の放課後の教室で、待っていて下さい。下駄箱で見つけた手紙は、花柄の可愛らしい物だった。ぼくは手紙を見つけて、気持ちが高揚した。振り向いて誰にも見つからないように、学生バッグに手紙を忍ばせた。それを恐る恐る開いたのは、クラスメートが疎らな教室の席に着いてからだ。まるで時限爆弾を扱うようだった。一度読んで、二度読んで三度読んだ。短い文章だったが、何度読んでも信じられなかった。そこに差出人の名前はなかったから、読んでいるうちに女の子の丸っこい文字が消えてなくなるのではないかとハラハラした。ハラハラしたのはホームルームが終わってからも一緒だ。クラスメートが次々に教室を去っていくのを気にしながら席で待っていた。ただ待った。何かをして時間を潰すことをせず、待つという行為を積極的に行った。大事な試験の前みたいに、緊張がじわじわ増してきた。教室が一人になっても、ぼくは馬鹿みたいに待ち続けた。悪戯だったのだ。教室には誰も来なかった。

「これ買ったの」

 彼女は学生バッグに付けた小さな縫いぐるみを見せた。

「それ、猫なの犬なの?」

「猫に決まっているじゃない」

 猫と犬が仲が悪いというのは、どこから来ているのだろう。犬みたいなぼくと、猫みたいな彼女が仲良くしようとしている。犬は従順で人懐っこい。猫は気まぐれで、気高い。人見知りする犬もいれば、威張ったりしない猫もいる。学校の帰り道には、猫同士でじゃれ合っている姿をよく見る。見るだけで、ぼくは通り過ぎていく。近づいて驚かしてやろうか、捕まえて尻尾を掴んでやろうかと、一瞬考えるのはぼくが犬だからだ。悪い犬だ。やっぱり猫と犬は仲が悪いのだろう。ぼくは彼女が出来れば、学生生活が激変すると期待していた。空はピンク色に輝いて、雪の代わりに綿菓子が降ってくる。商店街の店先からは美しい歌声が聞こえてきて、ぼくの胸を躍らせる。そう思っていた。

「どうしてなんだ。ぼくは自分でも認めたいし、他人にも認めてもらいたい」

 彼女は表情も変えずに言う。

「付き合うのは私とでしょ。他の人とは関係ないの」

「そうだけど。友達であることを隠すような友達を、友達と呼べるかな」

「友達と恋人は違うのよ」

 そう友達と恋人は違う。でもぼくは友達の延長上に恋人を位置付けたい。いつも仲良くして友達のように、時には恋人のように接していたい。

「男女が付き合うってことは、砂糖菓子のように甘い感じじゃないの」

「砂糖漬けのように、いつも砂糖の中に浸かっていたいの?」

「そうじゃないけど」

 そんな甘々の関係を期待していた訳ではない。ただぼくは普通の恋人同士の体験がしたかったのだ。もっともその普通というのに、明確なイメージを持っていなかった。兎に角、男女で友達以上の関係を待ち望んでいたに過ぎない。それを望んではいけない。彼女と話していると、そう迫られているように感じる。

 学校が終わると、ぼくたちは他の生徒に会わないように、わざと遠回りをして帰った。教室や校門を別々に出るほどの徹底振りだ。

「少し離れてよ。誰かに見られたらどうするの?」

「分かってる」

 ぼくはつい不機嫌になってしまう。この苛立ちは、体の芯の部分から来るものだ。恋愛はもっと楽しい物だと思っていた。ぼくは時々少し猫背気味の彼女の背中に、呼び止めるように疑問を投げ掛ける。

「こんな事しなくても、普通にしゃべれないの?」

 これでは都会と田舎で遠距離恋愛しているみたいでもどかしかった。遠くに離れてもまだ付き合いたいという気持ちが、恋愛経験のないぼくには理解できなかった。側にいるから恋人であって、離れてしまえばただの人に思えた。

「言ったでしょ。何度も同じ事言わせないで」

 彼女は足を止めて溜め息を吐いた。が、振り向かない。頻りに車が通る繁華街の歩道を、そのまま歩きだした。ぼくはわざと彼女の通った見えない足跡をパズルのピースを埋めるように足を載せていく。彼女の歩幅はぼくよりずっと狭いから、ぼくは時々足踏みをする。通りに沿って、人で賑わうファーストフード店や食べ物屋が目に付いた。

「ねえ、ここまで来れば、誰も見ていないんじゃない。どこかで休憩しようよ」

 疲れた訳じゃない。カップルらしいことがしたかったのだ。それを罪な事だと言うのなら、ぼくは滝に打たれてもいい。彼女の答えを待った。短く間を置いた時間がやたらと長く感じて、ぼくは手のひらに汗を掻いた。

「そうね。分かった。でも十五分だけよ」

「ええ」

 ぼくはがっかりした。ぼくは最初から女の子の扱いの加減を知らないから、いつも壊れそうな物を扱うように慎重になる。彼女はポテトとスプライトだけ注文した。ぼくは危なっかしく財布の小銭を数えて、ハンバーガーのセットを頼んだ。頼んだ物が出てくると、見晴らしのいい二階の席に行って座った。

「それだけで足りるの?」

「いいの」

 でも彼女は少し物足りないような顔をしていた。どうして女の子は好きな物でも我慢するのか、ぼくには分からなかった。彼女はポテトを口に運んで、ゆっくり食べ始めた。栗鼠みたいに小さくかじるのが可愛らしい。初めて栗鼠を見たのは、どこでだろう。動物園の檻か、小学校の飼育箱か。栗鼠は小さな手で行儀よく餌の向日葵の種を食べた。ぼくは包み紙からハンバーガーを半分出して、遠慮無く齧り付く。それから彼女の顔を見た。彼女はぼくの好奇心に満ちた視線に気づいて、微笑んだ。

「私の顔がそんなに珍しい?」

「そうじゃないよ。でも他じゃあ、ゆっくり見れないだろ」

 そうと言って、彼女は取り留めない話を始めた。ぼくは彼女の言葉を聞き逃すまいと、一々耳を傾けていた。周りの席には、学校帰りの学生や小さな子の親子連れ、スーツを着たサラリーマン風の人がいて賑やかだったが、ぼくたちを気にしている人は誰もいなかった。気楽で良かった。十五分きっかりに、ぼくたちはゴミを片付けて店を出た。その時にはもう周りの知らない人たちの会話とごちゃごちゃぐに混ざり合って、何を話していたか思い出せなかった。

 ぼくは失望した気持ちで教室を出た。手紙は家に帰って捨てようと思った。廊下に女の子が立っていて、ぼくを驚かせた。

「遅いじゃない。いつまで待っているの?」

 ぼくは意味が分からなかった。彼女はぼくの手を指差した。ぼくはうっかり手紙を手にしていた。

「いつからいたの?」

「ずうっとよ」

 ちょっと皮肉っぽく聞こえた。

「だって教室で待っていろって書いてあったから」

「そんな事して、誰かに見られたらまずいでしょ。インタビュアーみたいに、根掘り葉掘り聞かれたら困るじゃない」

 彼女は恥ずかしそうに笑った。人の気持ちは近くにいれば、移るのだ。ぼくはそれ以上に恥ずかしくなった。

「ぼくのこと知ってるの?」

「斉藤真人くんよね。クラスメートとじゃない。それじゃあ、私のこと知らないの?」

「下の名前は知らないけど、宇野さんでしょ」

 ぼくは少し気まずさを感じながら、下の名前を知らないのを繕うように言った。世の中に名前のない物は沢山ある。でも名前があるのに、それを知らない物も多い。ぼくはそれ程博識ではない。クラスメートには名前も知らない子だっている。その時、苗字だけでも知ってて助かったと思った。もしそうではなかったならば、全然彼女のことに興味がないと失望させただろう。それだけは避けられて、ぼくは正直ほっとした。

「宇野美月よ」

「宇野美月さん。それで話って何?」

「そう急かさないで。順序よく話していくから先ずは聞いてね」

 ぼくは極度の緊張から、ごくりと唾を呑み込んで頷いた。彼女の話には想定していた部分と、思いも寄らない告白があった。付き合って欲しい。そう言われて、ぼくは素直に喜んだ。しかし、それには厄介な条件が付いていた。ぼくはその条件に、後々悩まされることになった。

「学校では話し掛けないで、絶対に付き合っていることを他のクラスメートには知られないようにして。私たちのことは秘密にしてね」

 秘密って言葉の響きが、彼女の引き締まった唇から蕾のように開いて囁いた。二人だけで秘密を供与することは、ぼくの胸を過剰にドキドキさせた。

「分かった?」

「分かったけど。それでどうやって付き合うの?」

「放課後、下校の時に待ち合わせしましょ。それも見つからないように遠回りしないといけないけど」

「そこまで徹底するんだ」

「そうよ。不満?」

 彼女の声には、底知れぬ強い意志を感じた。ぼくはただ圧倒されていた。だから頷くしかなかった。こうして、ぼくと彼女は神経質なほどの彼女の警戒振りに翻弄されながら、誰にも秘密の交際を始めた。

「それじゃあ、ここで。見つかったら大変だから。じゃあね、バイバイ」

「ああ、それじゃあ。バイバイ」

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彼女と付き合うには条件がある つばきとよたろう @tubaki10

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