滄海遺珠
三鹿ショート
滄海遺珠
彼女にとって、私は唯一の友人だった。
引っ込み思案であり、口下手であり、自分に自信が無い彼女だが、私と親しい理由は、自宅が隣だったからである。
内向的であり、何事にも過敏に反応してしまう彼女が家から出ることはほとんど無いのだが、私が外の世界で経験した出来事について、彼女は嬉しそうに聞いていた。
彼女と友人以上の関係に発展させることを私は考えていないが、彼女が私のことを異性として見ていることには気付いている。
だが、私はそのことに気が付いていないような態度で、彼女との接触を続けた。
何故なら、彼女は異性として魅力的な人間ではないからである。
期待させないためにも、彼女に対してそのことを伝えるべきなのだろうが、それを告げることによって彼女が参ってしまうことは目に見えているために、私が事実を口にすることはなかった。
***
ある日、彼女が顔を赤らめながら、私に紙の束を渡してきた。
並べられた文字を見るに、どうやら彼女の創作物らしい。
いわく、作品を読んだ感想を聞かせてほしいということだった。
私はそれほど文学作品に触れたことがないために、人選を誤っているのではないかとも告げようとしたが、彼女が意見を聞くことができる人間が皆無であることを思えば、これは私が引き受けなければならないのだろう。
時間がかかったが、なんとか最後まで読んだ結果、私は笑ってしまいそうになった。
とある男女の恋愛を描いた作品なのだが、事情を知っている人間が読めば、私と彼女が特別な関係に至るまでを描いたものだということが分かるからだ。
登場人物の性格や言動、家族構成など、全てが私と彼女に一致していたのである。
それを私に読ませたということは、そのような未来を望んでいると言っているようなものだった。
しかし、私はそのことについて言及することはなく、作品としての出来映えを伝えることにした。
彼女の作品は、あまり文学作品に触れたことがない私でも、感動するようなものだった。
登場人物の感情の描き方が真に迫っていたのだが、彼女自身の感情を描いていると思えば、何故それほどまでの描写が可能だったのかを理解することができる。
だが、我々とは無縁の第三者が読めば、単純に胸を打たれるような内容だろう。
私は、然るべき機関に読ませるべきだと告げた。
しかし、彼女は首を左右に振った。
いわく、この作品は日記のようなものであり、日記というものは他者に見せるようなものではないということだった。
わざわざ日記と表現したのは、作品を通じて彼女が私に想いを伝えたということにもなるのだろうが、私がそのことに言及することはなかった。
***
私は、彼女の作品を忘れることができなかった。
あれだけの能力を持ちながらも生かすことがないとは、宝の持ち腐れである。
自分に自信が無い彼女でも、己の作品が世間に評価されれば、自信を持つことができるようになるに違いない。
ゆえに、私は、彼女に内密に、くだんの作品を然るべき機関に見せた。
当初は迷惑そうな表情を浮かべていた男性は、彼女の作品を読んでいくうちに鼻息を荒くするようになり、やがて、一度腰を据えて話がしたいと頭を下げてきた。
私が事情を説明すると、それならば架空の人間の作品として世に出せば良いのだと、男性は告げてきた。
得られた利益は、私ではなく彼女に渡してほしいとだけ伝え、後のことは男性に任せることにした。
***
想像していた通り、彼女の作品は、瞬く間に人気を博した。
素性を明かすことがない作者ということで、人々はその姿を想像していたが、彼女にたどりつくことはなかった。
誰からも相手にされることがなかった彼女が人気者と化したということは、私だけしか知らないことだが、友人として嬉しい限りである。
だが、事情を知った彼女は、私に対して、初めて怒りを露わにした。
己の日記が世間の知るところと化したことを考えるべきだと告げると、彼女が私の前に姿を現すことはなくなった。
しかし、彼女の思いに反して、彼女の作品の人気が衰えることはなかった。
***
今では、道を歩く人間の半分以上が、彼女の作品を知っているほどと化した。
仕事をせずとも生活することができるほどの利益を得たが、彼女がそれらを受け取ることはなかった。
正確に言えば、彼女が手にすることはできなかった。
何故なら、彼女は自室で己の手首を切り、この世を去っていたからである。
それほどまでに、己の想いを込めた作品が他者の知るところと化したことが苦痛だったのだろうか。
私は反省したものの、彼女がこの世を去ったことで利益を得ることができるようになったために、裕福な生活を送ることができるようになったことに対して、彼女に感謝の言葉を吐き続けた。
私の隣で眠っている女性は、彼女よりも美しい人間である。
滄海遺珠 三鹿ショート @mijikashort
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