第3話、在りし日の姿の喫茶店

 時刻はそろそろ午後四時。仕事終わりや学校終わりの人々の姿が、通りに多くなってきた。


「……」

 白銀の髪の店主は先ほどの出来事に疲れたのか、椅子に座り腕を組み、目を瞑ってじっとしている。


 すると、店の扉がスッと開き、何人かの人が入ってきた

「こんにちは〜……?」

 店主は急いで目を開けると、立ち上がって客を迎え入れる。

「あ、失礼いたしました!いらっしゃいませ。」

「開いてるの初めて見たので入ってみたんですけど……」

「そうでしたか。それはありがとうございます。実はいろいろありまして、一年ほど休業していたんですよ。今日が営業再開初日なんです。」

「そうなんですね〜」

「前からこの建物なんだろうと思って気になってたんですよね」

 入ってきたのは、学校帰りだと言う大学生四人組だった。さまざまなオフィスが入居する高層ビルに混ざって、いくつか学園系のビルも建っているらしく、そこに通う学生だとのことだ。

 家はこの辺りではなく、今の大学には昨年の四月に入学した一年生だそうで、この店が休業に入ってからしか知らないので、何やら不思議な建物があると思って気になっていたそうだ。


「ここだと帰りに寄りやすいし、お店の雰囲気的にも勉強とかに良さそうだなって思うんですよね。」

「そうですか。ぜひ遠慮なく使ってください。」

「はい!また今度、他の友達とかも呼んでみます。」


 そう言っているそばから、また扉が開く。

「こんにちは〜」

「いらっしゃいませ」

「カウンター座って構わないか?」

「どうぞ」


 それまでの閑散とした景色が嘘だったかのように客足は増え、わずか三十分ほどで店の席は六割以上が客で満たされた。


 店主は急に忙しくなって、少し戸惑いを隠せない様子だった。なにしろ店で働くのはこれが初めてである。午前の暇から比べれば、非常事態と言っても良いくらいだ。


 一方で、いくら歴史ある店とはいえ、こんなにたくさんの客がいきなり集まるものか、にわかには信じられない気持ちだった。

 しばらくの間考えながら手を働かせていたが、やがてそんなことを考えなくても良いのではないかと言う気持ちになってきた。


 この店には人が集まる。

 だから店主はその人たちを客として迎え入れる。

 それはもう当然のことで、そこに細かく理由まで求める必要なんてないのだと思った。


 それから夜までの間、店内には常に誰かしらがいて、常にどこか活気があった。

 やはりそれは一年の空白を感じさせるものではなく、慧星にこの店を侮るべきではないことを教えるには十分な光景だった。


 後で先代に尋ねてみたところ、そもそもこの店は昼食時と夕方に客が集中していて、それ以外の時間は良くて数人しか人は集まらないのだそうだ。

 辺り会社と学校ばかりで、そもそも日中喫茶店に寄る人が少ないうえに、なんでも初代店主の意向で、「日中にはあまり客に来てもらわない」ことになっているのだそうだ。


 普通の喫茶店ならいつでも客が集まるようにするべきかもしれない。

 しかし先代は、この店はその方が良いのだと言い、慧星もその通りだと思った。

 その方が、この店が存在する「もう一つの理由」にとって都合が良いからだ。


 だから初日でありながら、これはこの店の本来あるべき姿に近いということだ。

 これまで培われてきたこの店の姿は、たった一年の空白では揺らぎもしなかったということだ。


 その日の夜、初めて店仕舞いをしながら、慧星は一人こう呟いた。

「取り越し苦労、だったかも……」


 もしもこの店を続けられなかったら、せっかくの先代の願いを叶えられなかったら、そんな責任感を忘れた瞬間は、今日一日一度もなかった。

 しかし、実際こうして客は来てくれる。昔の常連も認めてくれた。ついでにあの三人も……


「余計なことを考えるのはやめましょう。」


 明日からも、店を続けていくことが自分の仕事。

 今日のような店が続けばそれでいい。

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