第2話、三人と店主と喫茶店

 店を開いた初日はとても長い。

 一人目の客と先代が来たのが昼頃のこと、それ以降誰も来ない。

 元々ビジネスマン以外は自然には通りにくい立地なこともあって、なかなか気軽に入ってくる者がいないのだ。

「そろそろランチタイムも終わってしまいますね。これは夕方に期待するしかないのでしょうか。」

 そう思った時、店のドアベルが音を立てる。

「あっ、いらっしゃいませ。」


「おー本当に喫茶店なんかやってんじゃん。ガラでもないのに〜、は……いや、慧星サン」

 入ってきたのは、見るからにチャラそうな見た目の青年だった。髪の色は茶色く、ピアスもしっかり付けている。

 見た目で言えばいっそオールドタイプな感じもするが、本人の容姿がかなり良いこともあって、なんだか妙にかっこよく見える。

 そして、

「誰かと思えばユウくんじゃありませんか!どうしたんです、こんなところに来て!」

 慧星が驚いたような声を上げる。


「へっへー、びっくりしたっしょ?コウの奴が、今日からアンタが喫茶店で働くみたいだから冷やかしに行かないかって誘ってきてさ〜」

「コウくんも来てるんですか?大丈夫なんですか、同時に二人も持ち場を離れたりして。」

「エイも来てるよ〜。オレらの仕事はヨウとエンが代わりやってくれてるから無問題!」

「……まあ、余計な心配ですね。あなた方の仕事を疑うなど、失礼な話でした。まさかあなたたちが現れるとは……何故……いや……」


 ユウと呼ばれた青年は、カウンターに一番近いテーブル席に座る。

 程なくして、再びドアベルが鳴り、男女二人が入って来た。

「お久しぶりです。か……えーと……」

「慧星さんだよ。いくらなんでも名前は覚えとけって。」

「良いんですよ。オレの名前なんていちいち覚えなくって。」

 入ってきた男女が慧星に声をかける。

 先ほどの話からして、男の方がコウ、女の方がエイだろう。

 二人は先ほどの、ユウと呼ばれた青年と同じテーブルにつく。


「ユウくんが言うには、コウくんから誘ってきたらしいじゃないですか。どうしたんです、“あなたに限って”。」

 最後の一言だけ妙に力がこもっていたが、コウと呼ばれた青年は気にしていないようだった。

「いえ、確かに俺が誘ってきたんですけど、俺は今偶然この辺で働いてるんで、別にわざわざってほどじゃないんです。せっかくここを訪ねるなら、誰か他の奴もいた方が楽しいかなって思って。」

「オレらは特に急ぎの仕事がなかったから付いて来たんだよね〜」

「私は仕事はあったんですが、ヨウさんが「俺が代わってやるから、久しぶりにあの人の顔でも見て来い」って言って下さったので、お言葉に甘えてしまいました。」


 3人は口々に話すが、慧星の耳には今一つ届いていないようだ。

「コウくんがこんなところで仕事……?しかもここ数日の話ではなさそうですし……一体何を?」

「それはまあ、いろいろあるんですよ。御心配には及びません。」

「そうですか……?まあ、なんにせよ、元気そうな顔が見られて嬉しいです。オレからは連絡も出来ませんし。他の皆さんもお元気ですか?」

「元気なんじゃね?カイとか表情も何も読めねーからわかんないけど。」

「少なくとも仕事は正確にこなしているようですから、心配はいらないと思いますよ。」

 仕事の話が多いところを見るに、慧星と客たちは仕事での付き合いがあったようだ。


「それはそうと、ここは喫茶店ですから、何か召し上がりませんか?」

「そうだな〜。結構お腹は空いてるから、なんか食べるもんでももらおっかな。なんか流行りのもんとかあるの?慧星サン。」

「相手がこのオレ、しかも開店初日ですよ?流行りに乗るなど無理ですが?」

「そうおっしゃらずか……慧星様。それにたとえ流行りではなくとも、あなたの作ったものを選り好みするような真似は致しません。」

「そうですよ。なんだかだと言って、彼だってかか……慧星さんの作るものなら何でも喜ぶんですから。」

「そりゃその通りだけどさー。」


 慧星は、その言葉を聞いて、なぜか泣きそうな顔をする。しかしその表情は一瞬で元の微笑みに戻った。


「そうですか。それではオレの得意な物で良いですね?」

「いいよ〜。ありがとね慧星サン。」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます。」

「少々お待ちください。」


 客がどの程度来るかわからなかったので、仕込みは特にしていない。何でも得意なもので良いと言われたので、喫茶店定番のナポリタンを作ることにした。

 レシピは先代に教わった通り。ケチャップは焦げる寸前まで炒めたものを多めに使う。野菜は玉ねぎとピーマンだけで、その他に細めに刻んだウインナーを入れる。パスタは太めのものを、少しだけ長めに茹でて使う。

 全て、半年間で教わった通りだ。


「お待たせしました。」

「お〜すごいね〜」

「ありがとうございます」

「キレイですね。」

 3人の前に皿を並べると、3人は口々に色々と言う。

「いただきま〜す」

「いただきます」

「頂きます。」


 その後、三人は口々に、美味しいなどと感想を言う。実際三人は美味しそうに食べるし、あっという間に完食してしまった。

 三人は楽しげに食事をしていたが、その間、慧星だけは、カウンターの中から厳しい表情で三人を眺めていた。


「ごちそ〜さま〜。おいしかったよ〜」

「ごちそうさまでした」

「ご馳走様でした。」


「じゃあ、あんまり長居してもアレだろ〜し、オレらはこの辺で戻ろっかな。エンになんか言われてもヤだし。」

「そうですか。わざわざ来ていただいて、どうもありがとうございました。」

「また来させていただきますね。お代は?」

 そう問いかけるコウに対して、慧星は不思議そうな顔をして首をかしげる。


「お代……あなた方、お金なんて持ってるんですか?」

「え?」

「あ……」

「えっ……と。持ってませんね。」

 思い切り気まずそうな顔をする三人。


「どうせそうだろうと思いました。初めからお代を取るつもりはありませんよ。気にしないでください。」

 そう言って手を振る慧星に、コウが食い下がろうとする。

「いえ、そんなわけには……」

「いいえ、気にしないでください。あなた方からはお代を取りたくありません。」

「そうは言っても……」

「良いのです。何も言わずに帰ってください。」

「それは……」

「これがオレの唯一の意地です。こんなことをしても何にもならないことは百も承知ですが、これだけは譲りたくありません。」

 慧星も、どんどん空気が凍っていくのは感じていた。さっきまでの穏やかな空気感は消えてしまった。しかし、譲ろうという気は毛頭なく、頑なに首を横に振るだけだった。

「…………」

「……わかったよ。帰ろ、コウ。エイ。」

「そうですね。お邪魔しました。」

「……う。分かりました。」


 連れ立って三人が店を出て行く。慧星は三人に深々と頭を下げながら、

「ご来店ありがとうございました。」

 そう言った慧星の顔に、いつもの微笑みはない。


 どこか悔しそうな、悲しそうな、寂しそうな、それでいて嬉しそうな、一言では言い表せないような感情を堪えているばかりである。

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