【018】魔法学の授業
魔法学の授業が行われたのは、学園の西にある第三校庭だった。第三と言う名前通り、この学園には複数の校庭がある。
第三校庭はそのうち、学園の西に拓かれた校庭だ。
草木が一切生えていない、土がむき出しの砂に覆われたその場所は、魔王城の訓練場を彷彿とさせた。
そしてイオリたちが集まる場所から離れたところには、トルソーのような人間の胴体だけを模して造られた的らしきものが並べられている。
少々不気味ささえ感じさせるその的を遠目に眺めていると、辺りからひそひそと噂話が聞こえ始めた。
「あれが伝説の……」
「やっぱり魔法、使えるんだな」
相も変わらず生徒たちの視線を集めているようだ。聞きたくもない噂話をかき集めてしまう自分の耳にうんざりしながら、溜息を一つ漏らす。
生憎とこの場には、憂鬱な気分を晴らすための話し相手は一人も居ない。ナナリーゼは元より、ゼラフィーナもこの時間は別の授業に出ているためだ。
気晴らしに辺りを見渡してみれば、集められているのは魔人の生徒たちばかりであることに気付く。
魔力や魔法は魔人にしか扱えない力であるため、当然と言えば当然の光景なのだが。
「諸君、静粛に。二列に並べ、授業を始める」
その時、生徒たちの視線を一身に集めていたイオリから、一瞬のうちに彼らの視線を奪い去る声がした。
慌てて並ぶ生徒たちをしり目に、進み出た教師は淡々と告げる。
「魔法学を担当するネフラ・アスクタートである」
地面に引きずるほど長い丈のローブと、青い肌が特徴的な全身黒ずくめの魔人だった。
響く声音は低く、高圧的。そして紫色の髪と白い角がやけに目立つ。灰色の瞳を心底不機嫌そうに歪めて彼は続ける。
「この学園において魔法学は私が担当する。魔法とは魔人にのみ行使を許された厳粛なる力である。諸君にはその力の特異性を正しく理解し、活用してもらわねばならぬ。特に――」
言葉を途切れさせたアスクタートの視線が、その時ギロリと、何故かイオリに向けられた。
「――特に、多少生まれに恵まれた程度で己の力を過信して、あまつさえ碌な知識もなく魔王になろうなどと
そしてアスクタートの真似をするように、一部の生徒たちの視線がイオリに集まった。クスクスとバカにするような小さい笑い声もおまけについて。
何も恨まれるようなことをした覚えはないのだが、明らかに彼らの視線には敵意が込められている。
こういう視線に晒されるのにも慣れていたが、同時に何か嫌な予感も過ぎる。これから自分にとって不都合な何かが起こりそうな、そんな予感が。
そんな予感を他所に、ひとしきりイオリを笑いものにしたところで、アスクタートは「さて」と声を上げて空気を引き締めた。
「これより諸君には実技試験を受けてもらう。諸君が長期休暇で研鑽を怠るような愚か者でないことを証明するためにな。使用魔法は第二階梯、目標はあの校庭の先に見える的だ。私が失望するような真似だけはしてくれるな」
嫌な予感ほどよく当たる。よりにもよって、イオリの苦手な魔法の実技。しかも第二階梯魔法ときた。
この時イオリは直感した。この授業は絶対に嫌いになるだろうことを。
◆
「
生徒たちが三人ずつ、横一列に並んで次々魔法を放っていく。狙う先はもちろん、遠く離れたトルソーのような的だ。
ここから百メートルはあるだろうか。イオリの視力を持ってすればその目標の形もはっきりとわかるが、どの道豆粒サイズであることには変わりない。
その的目掛けて生徒たちが、第二階梯魔法である
「バルテ・クユドール、減点。魔力の生成が不十分だ。長期休暇で腑抜けたか?」
「ヨーヨル・ヒュゴーノーデル、減点。狙いが粗すぎる。魔法を撃つだけなら獣にでもできよう」
「ゼシル・アゲスローグ、減点。下らぬ技術に甘える前に、まずは基礎を徹底しろ」
そしてその生徒たちへ、アスクタートの冷酷な評価が次々放たれていく。
岩や水、炎や風など生徒によって様々な魔法を、それも三人一斉に放っているにも関わらず、アスクタートはその一片すらも見逃さない。
「ギュレン・ローセパドラ、加点。休暇前の課題であった基礎の反復が良く出来ている」
「ジセナ・リリゾワール、加点。狙いが正確で弾道の伸びも良い。今後も励むように」
「ガート・ビグルザート、加点。よく周りが見えている。今後は同時展開の練習を行うように」
一方でただ厳しいだけでなく、中には加点される生徒も居た。イオリには何が違うのかさっぱりわからないが。
その時、試験の順番待ちをしている生徒たちの中から、僅かに舌打ちが聞こえた。
「知ってるか? アスクタート先生って貴族びいきらしいぞ」
「確かに加点されてんのって貴族ばっかりだな」
「俺たち平民は生まれで評価が決まるってことかよ」
……どうやら、あの教師アスクタートには少々よくない噂が付きまとっているらしい。事実かどうかはわからないが。
「イオリア・クロスフォード、前へ」
そうしているうちにイオリの番が回ってきた。
「ハイ」
名前を呼ばれ、前に進む。
辺りからは当然のように好奇の視線が寄せられる。そして何故か、他の生徒たちと違ってイオリは一人だけ立たされることになった。
「あの……他の人たちは……」
「他の生徒たちの見本となってもらおう。何せ、魔王候補になろうというのだからな。第二階梯程度、簡単であろう?」
嫌味な視線がイオリの体を下から上へ、舐めるように絡みつく。
本当に性格の悪い教師だと心の底から思った。貴族びいきと言うのもあながち嘘ではなさそうだ。
仕方ない、と頭を切り替え的を見据えると、後ろから今度は生徒たちの噂話が耳に入る。
「出たぞ大本命。トルナスと早速やりあったらしい」
「へえ、もしかして反貴族なのか?」
「どっちだっていい。伝説の力を見られるんだからな」
先ほどアスクタートに愚痴っていた生徒たちだ。恐らくは平民の。
一方、既に試験を終えた者たちからも声が聞こえてくる。
「伝説の子は融和派ってワケ? マリアリーゼ様も純人だし」
「ハスブルートとも婚約したままなんでしょう? もし融和派と組まれるとまずいわね」
「いや、あれは王室派だ。王室派は保守寄りだが、純人の血を認める方針らしいからな。融和派と組まれると厄介なことに変わりはないが」
恐らくは貴族だろうか。小難しい政治の話をしている。その視線は厳しく、イオリの品定めでもするように。
「最悪の気分だ……」
そんな複数の感情が入り乱れる視線の中心で、イオリは一人溜息を付く。
「始めろ」
「……ハイ」
アスクタートの掛け声と共にもう一度大きく息を吸い込んで、イオリは思考を切り替えた。
――どいつもこいつも勝手に期待しやがって。
憂さ晴らしとばかりに心の中で呟くと、他の生徒たちがそうしていたように、右手の中指と人差し指だけをまっすぐ立てて、目標に向ける。
意識するのは体内を巡る魔力の流れ。
学園に来るまでの数日間で、イオリは自身の体内を巡る魔力の流れをある程度は意識できるようになっていた。魔力抵抗によって堰き止められているとはいえ、その流れ全てが止まったわけではない。
「見せてやるよ、俺の第二階梯を」
それは学園入学の前日、駆け込むようにして覚えた新たな魔法。そして、今のイオリにとっては最難関の魔法。
みるみるうちに魔力のうねりが指先に収束し、魔法球よりも小さく、そして濃く結合されていく。
中指の第一関節ほどまでの大きさにまとまったそれは、その僅かな魔法の中に
結合する魔力は茜色の炎に変わり、灼熱がひと所に集結する。その指先に、太陽を思わせる一雫が生み落とされた。
呼吸と狙いがぴたりと一致したその瞬間、イオリは叫んだ。
「
そしてイオリの指先から、弾丸が放たれた。
弾丸が放たれた反動でイオリの右腕が真上に跳ね上がり、衝撃が全身を駆け巡る。
強靭な足腰によってイオリは何とかその場に踏み止まるが、イオリの体を伝って地面へ到達したその衝撃は、容赦なく辺りの地面を捲り上げた。
「うわぁッ!?」
「きゃあっ!!」
地面が跳ね、砂塵が舞い上がる。それは第二階梯魔法を発動した程度では聞けるはずのない、砲撃音にも似た爆音だった。
もしこの場にイオリの世界を知る者が居たならば、きっとこう評したことだろう。まるで榴弾砲のようだった、と。
一方、イオリの指先から放たれた赤い閃光は、ほぼ真一文字に目標目掛けて飛翔する。しかし。
「あ、やべっ」
イオリが不穏な声を漏らした直後、魔法弾の軌道が僅かにブレた。
無理もない。覚えたばかりでろくに練習も重ねて居ない付け焼き刃の魔法だ。得意な
そして、その僅かなブレが狙いのズレに変わり、的の隣をすり抜け、明後日の方向へと軌道を変える。
直後、空へ着弾。
校庭で暴発した魔法が外部へ被害を与えないよう、校庭全体を覆っていた
……いや、それだけならばまだマシだっただろう。
それどころか、イオリの放った炎は尚も有り余る魔力を喰らいつくしながら障壁の内側を舐めるように燃え広がると、あっという間に生徒たちの頭上まで焼き尽くした。
そして、その断片が炎の雨のように生徒たちへ降り注ぐ。
その美しさたるや。赤い炎の雨は、風に揺られると桜の花びらのように舞い踊り、辺りを地獄のような光景に一変させた。
生徒たちの悲鳴と驚愕、そして絶句の声に包まれながら、イオリは引きつった顔をしてアスクタートに向き直る。
「あ、あはは、はははー……ちょっと張り切りすぎちゃったナー、なんて……」
一方のアスクタートは相変わらずの無表情を更に凍らせて、無情な声音で一言。
「……イオリア・クロスフォード、減点。論外だ」
そう告げたのだった。
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