【017】学園新生活

『伊織。きっとお父さんが迎えにきてくれるから……』


 あぁ、嫌な夢だ。イオリはその光景を見て、すぐにそれが夢だと気がついた。


 何故ならそれが、もはや叶うはずのない場面を映し出していたから。目の前の布団の上で、やつれた母が薄く笑う。


『お父さんは今、私たちを探してくれているはずだから、もう少しだけ頑張るのよ』


 母は最期の時まで、父が迎えにきてくれると信じていた。病状が悪化し、息を引き取るその瞬間まで、ずっと。


 嫌味なほどの青空に、母を焼いた白い煙が昇っていく。あの日ほど、イオリは己の無力を呪った日は無い。


 そしてあの日ほど、姿を見せなかった父を恨んだ日は無かった。


『マリアリーゼはどうした』


 場面が変わり、魔王の声が響く。興味のかけらも感じさせない、不快な声だった。


『そうか』


 十三年間も待ち続けた母に対する無感動な答え。それはイオリにとって、母に対する何よりも手ひどい裏切りでしかなかった。


 母がいなくなった事をいいことに、後妻を迎えて妹まで作っていたことも。母が不在の十三年間、ずっと魔王として君臨し続けていたことも。


 母や自分が必死で生きていた間、巨大な城で悠々と過ごしていたことも。


 何もかもがイオリにとっては手酷い裏切りに思えていた。


 立ち去ろうとする男の背中にイオリは怒鳴りつける。


『お前だけは……お前だけは必ず俺が倒す! 母さんの苦しみを知りやがれ!!』


 男はとうとう、そのまま振り返らずに去っていったのだった。





 イオリの朝は、いつも頭の痛みと共に訪れる。


「痛っ……クソっ、最悪だ……」


 原因は明白で、側頭部に生えてきたこの角だ。なんでも体内で眠っていた魔力が魔素によって活性化し、止まっていた身体の成長を一気に促した――とかなんとか医者が言っていたらしい。


 つまるところ、本来イオリがそうなるはずだった姿に一気に成長した姿が今という訳だ。そうなるとこの痛みは成長痛とでも言ったところか。


 そして、わずかに残った後味の悪さは決して角のせいだけではない。全身から吹き出る寝汗が、その夢の最悪さ加減を物語っていた。


 寝心地最悪の角に、いつ暴走するかもわからない膨大すぎる魔力。その両方が、あの男から継がれた血による物なのだから最悪としか言いようがない。


 すっかり見慣れた独特な形状の枕――寝ている時に角が邪魔にならないようデザインされている――から頭を持ち上げて、朝日を睨む。


 異世界の学園で迎える最初の朝は、何もかもがとにかく最悪だった。


「イオリア様、おはようございます。マテューでございます」


 そこへ、マテューの声がドアをノックする音と共に耳に届く。


「あぁ……起きてる……」


 イオリの返事を聞き届けるなり失礼します、と入ってきたマテューが「朝食の支度が出来ております。顔を洗ったら食事と致しましょう」とカーテンを開きながら言った。


 眩い朝日が部屋に飛び込み、イオリの視界を一瞬白く染める。


 マテューはいつから起きていたのか、朝日にとっくに目を慣らして、身支度も整え切っていた。


 そうして彼が部屋を後にしたのを見送ってから、イオリはのそのそ布団から滑り出る。こうしてイオリの学園生活が始まりを告げた。





「本日の朝食はブリエラの卵を焼いたソテーにカルパラスのスープ、それからメリオーのローストもご用意してあります」


 身支度を終えて椅子に座ったイオリの前に、マテューはすぐさま料理を並べていく。


 普通なら朝食で食べるような量ではないが、それでも今のイオリには軽食でしかない。


 相変わらず、左腕につけた魔力抵抗のせいで激しい空腹を感じているイオリは、早々にその大量の朝食を平らげると、ボサボサの髪をマテューに整えられて部屋を後にした。


「寒っ……」


 部屋を出てすぐに感じる肌寒さが、季節はまだ冬――こちらでは寒期と言うそうだ――が明けたばかりだということを実感させる。


 朝方は肌寒く、今朝に至っては霜が降りている。やけに底冷えする寮の中を、イオリは肌をこすり合わせながら進んだ。


 全寮制と言うだけあってアルドラーク学園には複数の寮棟があり、イオリはそのうち第三寮棟の東棟、その四階に部屋を与えられていた。


 どの棟にも共通していることだが、この学生寮は高級ホテルのように広大で、そして絢爛けんらんな造りになっている。外見だけで言えば寮棟の一つ一つが舞踏会の開かれる古城のようだった。


 それだけ巨大な学生寮を、階段で上り下りしていては日が暮れてしまう。誰がそう思ったのか定かでないが、そのせいかこのアルドラーク学園の学生寮には階段が一つも存在しない。


 ならばどうやって移動するのかと言えば、この寮では代わりに、を使って階層を移動するのだ。


 一階から六階まで吹き抜けになったショッピングモールのような広間の中を、小川を渡る際に使うような小舟が当然のように宙を浮いて往来する。


 学生たちはこの何とも奇妙な空飛ぶ小舟に乗り、船頭に行先を告げることで各フロアを自由に行き来するのだ。その光景は幻想的でもあり、異世界的でもあった。


 初めてこの光景を見たとき興奮のあまりナナリーゼに原理を聞いたものの、「長くなりますが聞きたいですか?」と返されて首を横に振ったのは言うまでもない。


 他の学生たち同様に小舟を止めたイオリは、行き先を告げて一階まで降りる。


 そうして玄関を出て寮を後にすれば、広大なアルドラーク学園の敷地が目の前に広がった。ようやくここから、アルドラーク学園の学生としての生活が始まるのだ。





 母亡き後、働きに出るため高校を中退したイオリにとっては、学園での生活は懐かしさと新鮮さが入り混じる刺激的なものだった。


 アルドラーク学園の特徴は大きく分けると二つ。一つは単位制の学校で、必要な授業を生徒が各々選択して自由に学べること。そしてもう一つは、学年が年齢に直結していないことだ。


「ゼラは何学年なんだっけ」


 これから授業を受けるため校舎の中を行くイオリ。隣には、途中で合流したゼラフィーナの姿があった。


 今日も服装の乱れひとつなく、学園の制服に身を包んだ彼女は人間離れした美しさを放っていた。


「私は五学年です。イオリ様とはあまりご一緒できる授業はありませんが、多少であれば私が調整できます」


 そう言って彼女はイオリを見上げて柔らかく笑う。この学園では入学した年度が一学年となるらしく、イオリとゼラフィーナは殆ど同じ年齢のはずなのだが、学年が大きく開いてしまっているのだ。


「いや、良いよ別に。無理しなくても」


 イオリがそう言うと、ゼラフィーナは悲しそうに眉を傾けた。


「私がそうしたいのです……ダメ、ですか?」


 思わずイオリも眉間に皺を寄せる。ゼラフィーナのこういう顔にイオリは非常に弱く、そう言われると断るに断れなくなってしまう。


 少しばかりの逡巡の後、「わかったよ……」とイオリが折れると、ゼラフィーナは晴れるような笑顔で「はい!」と返事した。


 それからゼラフィーナと別れ、最初の授業に向かう道中。早速イオリは困りごとに直面することになる。


「あれが噂の?」


「早速ディルヴィアンとやり合ったらしい。どっちが魔王になるか、険悪な仲だってよ」


「魔王候補は同じ魔人でも敵ってわけか。さすが、伝説の子は違うね」


 イオリが学園を歩く度、あちこちで飛び交う噂、噂、噂。


 あることないこと(殆どないことばかりだが)好き勝手に彼らは噂し、遠巻きにじろじろと眺めまわす。自分の生まれを考えれば仕方ないのかもしれないが、だとしても鬱陶しいことこの上なかった。


 そして、それはようやく始まった最初の授業でも同じことだった。


 科目は歴史。この授業では純人の教師、トレディメント教師が教卓についた。


 細目で金髪のトレディメントは、朗らかで人の好さそうな笑みを浮かべる。ぱっと見ではイオリの良く知る"普通の人間"と同じ見た目をしていて、角や尻尾、獣のような耳と言った異形のそれは見当たらない。


 ただ、彼は他の生徒たちのようにイオリを見るなり「君がイオリア・クロスフォード君だね?」とイオリを名指しで呼び、渋々肯定すれば流暢にイオリの両親について語り出すのだから勘弁願いたかった。


「第二次人魔大戦での君のご両親の活躍は知っているかい? 噂だけ? それはまずい! せめて概要だけでも学んだ方がいい!」


 そんな調子で通常の授業日程を無視してイオリの両親について語り出すものだから、当人であるイオリからすれば肩身が狭いことこの上ない。


 生徒たちの好奇の視線の中、ようやく授業の終わりを告げる鐘の音が鳴り響くなりイオリは逃げるように教室を後にした。


 しかし、そんなものはまだマシな方だったとわからされたのは、それ以上に次の魔法学の授業が最低最悪だったからだ。

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