【010】異世界新生活

「アルドラークへの入学は、十日後の新学期からに決まりました」


 イオリの部屋を訪れたナナリーゼが、開口一番にそう告げたのは今から三日前の話。随分と急な知らせに驚いたのをよく覚えている。


 きっと王家の権力という奴を使ったのだろう。もしかすると、都合よく新学期からと言うのも、彼女たちの狙い通りなのかも知れなかった。


「魔王候補の選定は、元老院執政官であるペルケルズ公の任期満了時点――つまりあと二年後に行われます。お兄様はそれまでにこの世界について学び、力を着けてください。目指すは最強の魔人たる称号、第七階梯級です」


 しかし、彼女たちが何を企んでいようと今のイオリには関係ない。目標は既に示されたのだから。


「最強の称号……良いね、気に入った。それで? まずは何すりゃ良い?」


 胸が高鳴るイオリだったが、対するナナリーゼは渋い表情を浮かべる。


「正直に申しますが、お兄様の学ぶべきことは余りに多すぎます。お兄様は歴代魔王の名前を何人言えますか?」


「……」


「この通り、お兄様が残り十日でこの世界の常識を身につけるのは不可能です。ましてや第七階梯級なんてその先の先。ですからまずは、必要最低限の知識を身につけて頂くことにしました」


「最低限?」


「魔力と魔法についてです」


 そんな話をしたのがついこの間。そして気づけば、イオリは異世界生活四日目の朝を迎えていた。広い食堂でナナリーゼと二人、今日も朝食を摂る。


「お兄様は現状、魔力の制御が全く出来ていません。陛下と対峙し、怒りに呑まれた時の事を覚えていますか? あの時、お兄様は感情の制御が出来なくなっていたはずです」


 朝食の時間と言えど休みはない。イオリの食事は勉強と地続きだ。


 教師代わりのナナリーゼは、いつものようにバルード――パンに似たこの世界の主食。しかし、決してパンではない、むしろ餅に似た食べ物――を小さな手で器用にちぎっていた。


「言われてみれば確かに……」


 ナナリーゼに指摘され思い出す。あの時、体の奥底から激情が溢れ出し、止め処無い怒りに体中を呑まれたような感覚に襲われたことを。


 確かに魔王の冷淡な態度に怒りを覚えたことは事実だが、思い返してみると随分と奇妙な感覚だった。


 まるであの時の自分は、別の自分になったようだった。全てを破壊しなければ気が収まらないような、激しい破壊衝動をよく覚えている。


 かと言って意識がなかったわけではなく、記憶ははっきり残っている。イマイチ現実感が伴っていないだけで。


 例えるなら、自分が暴れる姿を自分の中で俯瞰ふかんして見ていた感覚に近かった。


 バルードのかけらを静かに咀嚼したナナリーゼは、それを飲み下し「やはり」と頷いた。


「魔力は本来、強い感情によって力を増します。しかし、大きすぎる魔力を有した魔人は逆に感情が引かれて、制御が効かなくなることがあります。強大な魔力と激しい感情が相互に作用し、その思いの丈をひたすら周りに撒き散らす……一般に、魔力の暴走と呼ばれる状態です」


「魔力の……暴走……?」


「魔力に引かれた感情は、溢れた魔力に指向性を与えます。そして指向性を与えられた魔力は、使用者の意思を無視して大気中の魔素と結合、魔法を発現させます。お兄様が炎に包まれたのもその影響です」


 朝っぱらから何やら小難しい言葉を浴びせられ、イオリの眉間に深いしわが浮かぶ。要するに、イオリの周りに生み出された炎はイオリの感情に反応していたと言いたいのだろう。


 彼女の言い分は理解した。だが。


「それで……コイツとそれに何の関係が?」


 イオリは自身の左腕に嵌められた腕輪を見る。バングルのような鉄の板に細やかな装飾が彫り込まれた、金色の腕輪だ。


 これは魔王に負けたあの日から、ナナリーゼにずっと身につけるよう言われたものだった。


 そろそろコイツの正体を教えてくれ。そんなことを不用意に口走った結果が、朝っぱらから長ったらしい説明を聞かされる羽目になった原因だ。


 ナナリーゼはカップに口をつけ、一息つく。


「魔力は体の成長と共に徐々に増えていきますが、本来はその過程で少しずつ制御の仕方を学びます。しかし、その過程を全て飛ばしたお兄様は暴走に至りました。このままでは、いつ同じことが起きてもおかしくありません」


 そして手元の冷え切ったスープに、先ほどちぎったバルードを浸して口にする。小さな口でもぐもぐと咀嚼し、たっぷり時間を使って飲み込んだ。


「ですからお兄様が自力で魔力を制御できるまでは、その魔力抵抗で力を抑え込みます。魔力抵抗はお兄様の魔力の流れを阻害することで体内の魔力量を疑似的に減らしますから、使用できる魔力が減る代わりに暴走も起こらなくなります」


 そんな彼女の説明に、なるほど、と頷く。確かにあれから魔力の暴走は一度も起きていない。魔王と極力顔を合わせないようにしていることも理由の一つだろうが、この魔力抵抗のおかげでもあったらしい。


「ただ、流れを阻害された魔力はそのまま体外に排出されるので、その分体力の消耗が激しくなります。失った魔力を補充しようとして、酷い空腹感を覚えることもあるようですが……」


 そこまで言って言葉に詰まった彼女の視線が、イオリの前に並ぶ大量の朝食に向けられた。


 イオリの今朝の食事は、バルード五つにブリエラの卵を煮た、ゆで卵のようなもの――但し大きさは鶏の卵の二倍ある――を三つ。


 更にカルパラスとネペルタを一口大で刻んで煮込んだスープ三杯と、レリアトールの切り身を二切れ――


「これ、お代わりで」


 ――たった今、三切れ目に入ろうというところだ。


 とても朝食で食べるような量ではなかったが、イオリはとにかく空腹だった。どうやらこの常軌を逸した空腹も、左腕に嵌められた魔力抵抗が原因らしい。


 四日目ともなると慣れたのか、ナナリーゼは呆れたような、諦めたような、何とも言えない表情を浮かべながらもその光景に特に触れることなく話を続けた。


「……前回の暴走は、相手が陛下でしたから止めることが出来ました。しかし、次もそうとは限りません。むしろ、お兄様の全力は非常に危険ですから、最悪の場合死人が出ます。今後は絶対に、魔力抵抗を外さないでください」


 最後に、イオリのお代わりと一緒に使用人が持ってきた水をナナリーゼは一口含み、こくりと喉を鳴らす。


 彼女は自分の言葉が冗談でも脅しでもなく、ただ事実であると告げるように、相変わらず感情が読みにくい瞳でイオリを見つめていた。


「……わかってる」


 そしてイオリも、それが彼女の意地悪ではないことをよく知っている。


 あの時、自身が何をして、その結果どうなったのかをしっかり覚えているから。


 暴走を起こした時のイオリは、魔王を倒すことしか考えられなかった。今こうして振り返れば、ゼラフィーナやナナリーゼを危険に晒していたこともわかっている。


 それが大事にならなかったのは、ただの偶然だと言うことも。


 もし再びあんな事態に陥ったなら、今度は彼女たちが無事で済むかわからない。この腕輪を外すことは、確かに誰かを傷付けることに繋がるのだろう。


 イオリの神妙な面持ちを見届けて、ナナリーゼは足が床に届かない高さの椅子から、跳ぶように降りた。


「食事が終わったら今日の訓練を行いましょう。訓練場でお待ちしています」


 そう言葉だけを残して、スタスタと部屋を後にしたのだった。


「……またやるのか、あれ……」


 こうして今日もイオリの一日が幕を開ける。

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