【009】そして決意する

 言葉を失う、という経験をイオリはこの時初めて味わった気分だった。何せつい先ほどまでは、いつでも帰れるつもりでいたのだから。


 魔法なんて異能の力でこちらにやってくることが出来たのだ。帰ることくらい、どうってことない……はずだった。


「どういうことだよそれ……!」


「イオリ様……申し訳ありません……」


 黙っていたことを詫びているのか、それともこちらに呼んだことを詫びているのか。消え入るような声でゼラフィーナは謝罪したが、イオリの耳には全く入ってこない。


 口にするべき言葉を見失うイオリを他所に、相変わらず淡々とした口調でナナリーゼが続けた。


「今回の魔法はお兄様の魔力とマリアリーゼ様の理力を目印として、対象を呼び出す召喚魔法です。つまり、発動には呼び出す対象となる目印が必要な訳ですが……お兄様のいた場所に、その目印になるものはありますか?」


 あるわけがない。魔力だの理力だの、訳のわからないものをどうやって用意しろと言うのか。


 ナナリーゼは、そんなイオリの沈黙を肯定と受け取ったようだった。


「それが答えです。それにどの道、召喚魔法ではこちらに呼び込むことは出来ても、送り出すことは出来ません。向こうで魔法を発動すれば、話は別ですが」


 つまり、片道。彼女の言うことが確かなら、向こう側からイオリを召喚してもらう必要がある。そして、そんなことが出来る人物は恐らくいない。二つの世界を繋ぐ方法は――ない。


「けど……誰か方法を知ってるかもしれねえだろ! そうだよ、王様なんだからそのくらい何とかできるはずだよな。大体、向こうには母さんの墓だってあるんだ、母さんを置き去りになんかできる訳が……!」


 しかし、イオリの望みを絶つ一言をナナリーゼが口にする。


「それは……不可能です。お兄様を呼び出した召喚魔法は禁術。使用はおろか、研究することすら重い罪に問われる禁忌の魔法です。そもそも使い方自体不明な点が多く、今回お兄様を召喚できたのも研究と偶然、そして奇跡の産物……二度目は無いと思ってください」


「何だよ……それ……」


 二度目は無い。その言葉が重くのしかかる。


「当然、今回のことも極秘裏に行われました。召喚の件を知るのは陛下や私たち極々一部の人間のみ。もしこのことが外部に漏れれば、使用者である私たちはもちろん、お兄様の身も危険に晒されます」


 絶句するイオリを追い討つように、更に衝撃の事実が明かされる。


 帰ってきた方法が重罪だから、何も知らないイオリも厳罰に処される。理不尽という言葉では物足りないほどに理不尽な言い分だ。


 イオリはむしろ、向こうに帰りたいとさえ思っているのに。


「じゃあ、俺はもう……向こうには帰れないってことなのか……? 勝手に呼ばれて勝手に魔王候補にされて……何だよ、それ……」


 気力が滑り落ちていく。ナナリーゼの「現状は、そうなります」と言う言葉が虚しく部屋に響いた。


 部屋が重い沈黙に支配される。日が傾いて部屋に日光が差し込み、先ほどまで薄暗かったこの部屋もだいぶ明るくなってきた。


 だというのに先ほど以上に暗く感じるのは、伸びた机の影がイオリを覆ったからだろうか。


「ただ……手がないわけではありません」


 その時、ナナリーゼがそう口にした。気休めにしか思えないタイミングだったが、それでも今のイオリには聞き捨てならない言葉だった。


「何?」


「魔王選定戦が行われているのは、私たちの通うアルドラーク学園です。この学園は三大国の支援を受けて運営されていますが、同時に三大国の共同出資による研究機関でもあります」


「……何の話だ?」


「つまり、世界中の全ての知識がアルドラーク学園には集っているということです。当然、禁忌とされる魔法についても」


 ナナリーゼの言葉に、イオリの瞳に光が宿る。


「じゃあ、俺が元の世界に帰る方法も?」


「無い、とは言い切れません」


 ナナリーゼが頷き返す。


「禁忌とは言え現存する魔法体型の一つですから、公になっていないだけで過去に研究した者も居るでしょう。その仕組みや使い方を書き記している可能性だってあります。そして、それが残っているとすれば、最も確率が高いのがアルドラークです。アルドラークは三大国が干渉できない唯一の都市ですから」


「つまり、元の世界に帰りたけりゃ、そのアル……ナントカで帰る方法を見つけ出せってことか」


「アルドラークですお兄様。といっても、もちろんそんな方法は初めから無い、と言う可能性もあります。それに、先ほども申しましたが召喚魔法を始めとした黒色コルザの魔法は禁術。使用は勿論、調べていることがバレてもいけません。上手くことを運ぶ必要がありますが――」


 ナナリーゼは一呼吸おいて、イオリの表情を伺う。そして、ある種の確信を持った眼差しで、イオリを見据えた。


「――魔王候補の選定戦に参加し、アルドラーク学園に入学するのは、お兄様にとっても悪い話ばかりではないと思いますよ。もちろん学園である以上、この世界についても、そして魔法についても学ぶことが出来ます。それらを学び、身に着けたその後、どうするのかはお兄様次第です」


 秘密は重く、制約は多い。だが、希望がないわけではない。勝手に魔王候補として入学を決められたアルドラーク学園だが、どうやらイオリの目的を叶えるための手段が見つかるかもしれない。


 そして、もしかすると……それ以上の目的を果たすことも。


「……なあ。それじゃあ、学園で魔力とか魔法とか、俺の中の力についても勉強できるのか?」


「はい。アルドラーク学園は三つの人種がお互いに理解を深めるため創立された学園です。当然、魔人は魔法について学ぶことになります」


「そいつを勉強すれば、俺は今より強くなれるのか?」


「魔法技術の基礎は魔力の制御と魔法の創出。二つの基礎を押さえれば魔人としては当然強くなります」


「それは……あの魔王クソ野郎をぶん殴れるくらいにか?」


 イオリの言葉の意図を察し、ゼラフィーナは驚きで目を見開き、ナナリーゼは一瞬言葉に詰まる。


 それは事実上の宣戦布告。父を倒すために力を手に入れるというイオリの宣誓せんせいに等しかった。


「……陛下を倒せるかどうかは、お兄様の努力と潜在能力次第ですが……不可能ではない、とだけ言っておきましょう。但し、それは簡単な道のりではありません」


 言葉を選ぶように、慎重に。しかし確かに、ナナリーゼはそう告げた。


 不可能ではない。イオリにはその言葉だけで十分だった。


「上等だ、やってやるよ。どの道、アイツに一発喰らわせてからじゃなきゃ腹の虫が収まらねえ。魔法だか魔力だか知らねえが、こいつをモノにして一発ぶん殴る。それから向こうに帰る。そのためなら今は、お前らの都合に乗ってやる」


「……それでは、利害が一致している間は手を組みましょう。お互いの目的のために」


 ナナリーゼはあえてそれ以上語らず、静かに右手を差し出した。


 どうやらこの世界でも、握手は友好の証らしい。イオリは訝しみながらも、その手を握り返した。


「言っとくが、邪魔するなら妹でも容赦しねえぞ」


「ええ。もちろんそれで構いません」


 静かに握った彼女の手は、思いの外暖かく、だからこそどこか不気味に思えたのだった。


 ――この時のナナリーゼの胸中を、イオリは知るはずもなかった。


 イオリの言うように魔王を殴れるほどに力を付けると言うことは、最強の魔人と戦えるほどの力を手にすると言う意味になることも。


 それがもし叶ったなら、イオリは元の世界に帰るなどと悠長なことを言っている場合ではなくなるだろうことも。


 それらを知るナナリーゼは、しかし決意にたぎるイオリの瞳を見て、終ぞその言葉を口にしなかった。


 イオリが力をつけることは、ナナリーゼにとって……ひいては、王室派にとっても都合の良い状況だったから。


「期待していますよ、お兄様」


 ナナリーゼはそう言ってほほ笑んだ。その裏に、様々な思いを巡らせて。

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