疑惑
上司が勢いよくキャバクラの扉を押し開けた。そこは、香水と酒の匂いが充満し、男と女の騒がしい笑い声が響いていた。俺は
「じゃあなつみちゃん、なんかちょうだいよ」
「そうね……ある妊婦は初産でとても不安がってたの。いざ出産というとき、彼女がそのことをいうと、主治医の先生がこういったんだって。『安心して、私も初めてだから』」
さすがなつみちゃん、なんか癒やしを感じる。と思うと上司がしゃしゃり出す。
「じゃあ、俺もひとつ。とある展覧会で、ひとりのオバチャンが突然キャーと叫んだそうだ。係員が『どうされましたか?』と聞くと、オバチャンは『主催者を呼びなさい、こんなにみにくい絵を展示するなんて気がしれないわ!』と、すごい剣幕で怒鳴りちらした。ところが係員は涼しい顔でこたえた。『お客様、これは鏡でございます……』」
ははは、俺は少し大げさに笑ってみせる。すると上司は「今度はおまえの番だ」と俺を指した。いや、困った。アメリカンジョークなんてひきだしにないぞ……。
「ええとですね……ある男が車を運転していると、検問で止められました。警察官は『飲んでるか?』と聞くので、男は『いいえ、飲んでいません』とこたえました。すると警察官は顔をしかめていいました。『1日2リットルは飲まないとダメだ!』」
シーン……すべった。なつみちゃんの前で……。上司が俺の頭をはたく。
「……って中原、どうしてくれんだよ、この空気!」
「すみません」
するとなつみちゃんがフォローに入った。
「でも、中原さんのそんな感じってステキだわ。真面目で……なんか浮気とかしなさそう……」
上目遣いに盗んで見る、という視線。
「そんなこと……」
と、俺も少し悪ノリ加減で受けこたえ。
「ていうか中原さん、奥さんに優しそうだもんね」
「まあ、ね。なつみちゃんはやっぱり優しい旦那がいいの?」
「別にめっちゃ優しくしてくれなくていいけど、口うるさいのとかちょっと嫌。ストレス溜まって浮気しちゃうかも」
「え……?」
気になる発言だ。一応俺は嫁を大事に思っているが、彼女は俺を口うるさく思ったりしていないだろうか?
帰宅時、郵便受けを確認すると、いくつかのダイレクトメールに混ざって宅配便の不在通知があった。
(あいつ……ちゃんと家にいとけよ!)とイラついたが、宅配業者が来た時間がお昼時であるのに、ふと疑問がわいた。こんな時間帯に、嫁はいったいどこへ?
買い物なら、夕方に出かけるはずだ。生鮮食品の安くなるその時間帯に行くよう、俺はいつも口を酸っぱくしていい、きちんとレシートも確認している。……先ほどのなつみちゃんの言葉が気になる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
俺は居間に入ると、宅配便の通知をそっとテーブルにおいた。いつもなら嫁にひとことくらい小言をいうのだが、そんな気になれなかった。嫁はそれを見つけると、しれっとしてしまいこんだ。俺に隠れて何かしているのか、気になりだすと止まらなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます