暗殺

倉沢繭樹

第1話

  ●オニ

 牛の角を生やし、虎柄の腰巻をつけて金棒を持った地獄の鬼は、妖怪と同じように、もはや愛玩物だ。恐怖を与えない。人を喰う異形の存在が鬼だと今日日の人間は思っているらしいが、それも古い心像だ。俺たちも人間だ。

 血液にはオドという成分が含まれている。江戸時代の『解体新書』に「血漿ニハ黄土オウド含有セリ」と書いてある。黄土、つまりオドだ。オドは生命力の源で、人が生きていくのに欠かせない。酸素より根源的に重要なものだ。俺たち一族は、遺伝的にオドが少ない。だから短命だ。それを克服するには、今のところ、他の人間の血液を飲むしか方法がない。吸血鬼、それが鬼の真の姿だ。すっかりバケモノ扱いされているが、血を飲む以外、他の人間と変わるところはない。怪力も出せないし、狼に変身できないし、日光に当たっても死なない。

 「一族」と言ったが、宗家は中世イスパニアに遡る。200家族と呼ばれる血筋で、武器商人を生業とした家系だ。ごく稀に、やや長く生き延びた者たちが必死に調べた結果、他人から血を摂取すればいいと気づいた。発想は単純だ。大量の血液を得るには、大量の人間の死が必要だ。だから、先祖は武器を売ることを商売にした。絶えず戦争を引き起こし、たくさんの人間が死ぬ状況を生じさせた。死体から血を抜いて樽に貯蔵し、食事時に飲んで命をつないだ。元々オドが少ない人間は、新たに他の血液からオドを取り入れても、しばらくすると、そのオドが壊れる。だから、血を飲み続ける必要がある。

 分家である俺たちが日本に渡り住むようになったのは、イエズス会の日本へのカトリック布教が始まった頃らしい。

 おっと、いつまでも身の上話をしている訳にはいかない……。

 窓の外の闇に、蝙蝠が飛んでいる。生気をまったく感じない、あれは式神だろう。

 俺たちはあるルートを通じて血を買っている。野蛮なことはなるべく避けたいからだ。だが、現代人の血は質が悪い。劣化の一途をたどっている。オドが不足して飢餓状態になり、血迷って子どもの首に噛みつき、殺してしまった。その血液は、信じられないほどオドが豊かだった。それからだ。俺の周りに妙なことが起こり出したのは。

 四六時中、不気味な影が俺を監視している。帰宅すると、独居の部屋の物の配置が変わっている。しばらくそんなことが続いて、俺はピンときた。俺が誤って殺した子どもも「特殊な血筋」なんだ、と。陰陽師の子に違いない。そこらの拝み屋などではなく、古より続く強力な能力を持つ者たち。

 蝙蝠が、闇を縫い窓を透過し部屋に入ってきた。人の形になっていく。短刀を握っている。「神に呪われし者」の最期にふさわしい。




  〇ヒト

 ひと月前、孫が殺された。首を鋭利な刃物で切られ、失血死したという。しかし、不思議なことに、その現場に血痕はなかった。まるで血を抜き取られたようだ、と警察は言っていた。

 四国にいざなぎ流という陰陽道の流派がある。中世より続く、占術や祓いごとを生業にしてきた家系だ。江戸時代に分派し、別の土地に移り住んだ、特に呪術に長けた「犬神筋」が私の家系だ。

 犬神製造法は、こうだ。野犬を首だけ土の上に出した状態で埋め、エサを一切与えずにおく。飢餓に陥って世にも恐ろしい形相で悶える犬の首を刎ね、白骨化するまで待つ。その頭蓋骨に三日間呪文を唱えると、強力な呪物になる。先祖たちは、家の者、それも「博士」と呼ばれる術者しか知らない場所に犬神を保管した。

 隔世遺伝というのはあるものだ、と孫が産まれた時にしみじみと思った。娘は拝み屋の仕事を忌避して、都会に出て行った。そこで普通の仕事に就き、男と結婚して、子をもうけた。その男の子を抱いた時、私は怖気を感じた。娘の力は、正直、大したものではなかったが、その子には強大な力の萌芽を感じ、震えた。成長すれば、かつてない程の力を持った博士になるだろう、と確信した。

 この現代でも、いや、科学万能の世の中だからこそ、人々は恨みつらみを晴らす呪いを必要とするのだ。仕事として呪いを使う者は、決して、私事にそれを用いてはならない。それが掟だ。だが、私は禁を破った。齢70を超え、もう引退した身だ。この命を尽くし、孫を殺した者を呪い殺すこと。それを私の最後の仕事にする。

 私らのつながりには、様々な情報を得る手段がある。さる筋から、孫を殺した者は、噂では聞いたことがある、血を吸う鬼の一族だ、との知らせを受けた。

 私は孫が亡くなった場所に型代を置き、念をかけ、探索の式を放った。果たして、奴の居所が知れた。向こうが鬼なら、こちらも鬼神を使う。日常の行動を調べ、住んでいる部屋の様子を窺った。

 孫も、娘と同じく、陰陽師の仕事を望んでいなかった。小学校に上がった頃、変なものがいっぱい見えて嫌だ、と泣いていた。しかし、私は無理強いして、世の中の役に立つ大切な仕事なんだ、と納得させた。そのことを、今は後悔している。

 鬼の周囲に結界を張った。まもなく式王子が、奴の首を斬るだろう。呪った相手が呪いを打ち返してくるのを「かやしの風」という。博士は、その返しの風にも備え術をかけるが、相手の力がこちらを凌駕すると、やられてしまう。人を呪わば、穴ふたつ。犬神博士の宿命だ。

 法で呪殺を裁くことはできない。しかし、別のものに裁かれるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暗殺 倉沢繭樹 @mayuqix

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ