六日目 -2

 沈黙の長さを怪しんだのだろうか。電話の向こうで、メリーさんが訝しげな声を上げていた。「どうしたの、誰が来たの?」


「……あー、ちょっと訊いてもいい? 君って、瞬間移動の術が使えたりする?」


「は? 何言ってるのよ? そんなものが使えるなら、こんな苦労してないわよ」


「それじゃ、双子の姉妹っている? あるいはドッペルゲンガーとか」


「いるわけないでしょ、そんなの」


「そうだよな、いるわけないよなぁ。は、はは……」


「何があったのよ、変なことばっかり訊いて……もしもし? 大丈夫?」


 ドアの向こうでは、なおも誰かがノックを続けていた。「どうしたの? ここを開けて。いるのはわかってるわ」


 電話の方の声が、不意に何かに気づいたような調子を帯びた。「──町に泊まってるって言ってたわね、あなた。そこはなんて宿なの!?」


 宿の名を告げると、彼女は「ひっ」と息を呑んだ。


「ばっかじゃないの!? あんた、そこは道内最凶と言われる心霊ホテルよ! 私の同業者だって、あまりに瘴気が強すぎておいそれとは近づけないわよ! なんでそんなとこに泊まったの!」


「だ、だってしょうがないじゃん! そこしか空いてなかったんだもん! それに一泊二千円だったし! 二千円だぜ二千円?」


「それだけ安いのには、当然なんらかのいわくがあるのよ! スマホ持ってんでしょ! 予約する前にレビューくらい見なさい!」


「ネットのレビューなんて、アテになったためしがないじゃん!」


 かくの如きやりとりを交わす我々をよそに、ドアの向こうの何者かは、ノブをガチャガチャやり始めていた。


「居留守なんて使ってもダーメ。焦らされるのって好きじゃないの。だから早く開けて? 開けて、開けてよ。開けて開けて開けて」


 耳障りな音が、蠱惑的な声が、客室に響く。


 悲鳴じみた声を、電話の彼女が上げた。「いい? 誰が来たのか知らないけど、何があっても絶対に開けちゃダメ! 絶対よ、絶対だからね!」


「もしかして、フリ?」


「ガチ!」


「開けて開けて開けて開けて開けて開けて……開けろ」


「あのさぁ、こんな時にこんなこと言って、本当に申し訳ないんだけど」


「何よ、辞世の句なんて聞きたくないわよ。必ず生きてそこからチェックアウトしなさい」


「いや、その……トイレ行きたい」


「知るか!」


 その客室にはトイレの備え付けがなく、用を足すには廊下の向こうの共用トイレを使う他なかったのだ。


「朝まで我慢しなさいよ!」


「無理! 漏れる!」


「それなら漏らしなさい! 漏らすのと向こう側へ連れていかれるの、どっちがマシなの!」


「どっちも嫌だ!」


 不意にドアが、蝶番ごと弾け飛びそうなほどに激しく振動した。何か重いもの──たとえば斧でも叩きつけているような轟音。


「ああっ、ドアがっ! やめてっ、女将さんに怒られる!」


「電話のスピーカーをオンにして! 今すぐっ!」


 てんやわんやの大騒動は、メリーさんが何やら真言めいたものを唱えるまで、延々と続いたのだった……。

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