五日目

 もしかしたら彼女からの電話は、もう二度とかかってこないかもしれない。

 僕のそんな悲観をよそに、メリーさんは翌日の晩も連絡をよこしてくれた。


「今、函館山にいるの」少ししおらしげに、彼女は告げた。「青森港発のフェリーで、なんとかここまで来れたわ。函館ってすごくいい街よ。食べ物はみんな美味しいし、旧イギリス領事館のバラも素晴らしかった」


 何を本来の目的をそっちのけにして、観光楽しんどんねん。

 そんなツッコミは、心の中に留めておくことにする。「夜景はどう?」


「それが、ぜーんぜん。せっかくロープウェイに乗ったのに、霧のせいで下界がちっとも見えないんだもん」


「そっか、それは残念だね。僕は今、留萌っていう海辺の町……」ちょうどその時、僕は立て続けに大きなくしゃみをした。


「大丈夫? 風邪ひいちゃったの? 聞けば日本海側はすごい大雨だったらしいけど」


「雨自体は、そんなに大したことはなかったよ。だけど市街までもう少しってところで、チェーンが切れちゃってさ。参ったよ。明日修理に持っていかないと」


「そう……それは災難だったわね。同情するわ」


「ありがとう。まさか君が、そんな風に気遣ってくれるなんてな」


 気まずい沈黙が流れた。

 ややあって、僕は思い切って言った。「昨日はごめん。あんな言い方をするべきじゃなかった」


 電話の向こうから、慌てたような声が流れてきた。「そんな! 悪いのは私の方でしょ。あなたの都合も考えずに電話をかけ続けて、挙句に嫌な気持ちにさせるようなことまで言って……」


「とんでもない。僕はむしろ、君からの連絡をとっても楽しみにしているんだ。なんだか離れていながら、一緒に旅をしているみたいでさ」


「……本当?」


「ああ、本当だよ」


「そう……それはよかったわ」


 電話の向こうで、彼女が安堵したように笑ってくれた、気がした。僕の自惚れだろうか?


 それからしばらく、僕たちはとりとめのない話をして過ごした。


 電話を切る間際、ふと思いついたことを僕は訊いた。「そうだ、一応伝えておこうか? 僕の旅の、最終的な目的地」


「ああ、その必要はないわ」その頃には彼女の声は、すっかり元の調子を取り戻していた。「そんなことより、これだけは約束しなさい、日が暮れるまでには、必ず宿にチェックインすること。夜道は交通事故のリスクが高まるし、熊だって出るかもしれないんだから。それから、毎日三食しっかり食べること。ヘルメットは被ってる? ないなら明日必ず買いなさい。あと、それから、たまには家に連絡を……」


「あんたは母親か!」

 ツッコミを入れつつ、つい口元が緩んでしまう。そうした彼女のおせっかいは、僕にとってはたまらなく嬉しいものだった。




 ──雨降って地固まるの諺通り、きっとこれから先には良いことばかりが待ち受けているに違いない。そんな予感があった。


 だがその楽観は、翌晩ものの見事に打ち砕かれた。

 もっと大変な大事件が、僕を待ち構えていたのだ。

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