四日目

 四日目は長丁場の戦いになった。


 僕はまず、岩見沢という内陸の街まで北進し、それから今度は東に針路をとった。

 日本最長の誉れ高い二九・二キロの直線道路を走破し、終点の滝川で宿を取った頃には、文字通りぶっ倒れそうになっていた。


 かろうじて飯と風呂と洗濯を済ませ、布団に倒れ込む。

 メリーさんからの定例報告があったのは、まさにそんな折だった。


「私、私」旅の疲れのせいだろうか。電話の彼女の声も、どこか投げやりな調子を帯びていた。「今、青森にいるの」


「青森ぃ?」思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。「飛行機で来るんじゃなかったのかい」


「みんな満席だったのよう。飛行機だけじゃないわ。新幹線の指定席も、仙台港発着のフェリーも、何もかも」


 メリーさん曰く。

 空路も海路も頼れない以上、移動手段は消去法的に鉄道ということになる。しかし新幹線は満席な上に、現状函館止まりである。そこで彼女が泣く泣く選んだのは、青春18きっぷ──五日間、JRの在来線のみ乗り放題の券──での移動だった。

 朝の五時に水戸駅を発車する一番列車に飛び乗り、やっとこさ当座の目的地の青森駅に到着した時には、時計の針は夜の十時を回っていたそうだ。


「だから言わんこっちゃない」彼女のボヤキを聞き終えた僕は、開口一番に言った。「東京で待ってりゃよかったのに、なんで着いてきちゃったかな」


「不人情なことを言うのねぇ、あんたって。ひとがせっかく追いかけてあげてるのに」死んだ声で、彼女は呪詛の声を上げた。「……あぁ、辛いよう。こんなことをずっと続けてたら、お肌が荒れちゃう。朝から移動続きで、ろくなものが食べられなかったし」


「そうだろうね、大変だったね。ところで僕は、さっきジンギスカンを食べてきたよ」


 何やら地鳴りのような、妙な音がスピーカーから流れてきた。ついでごまかすような咳払い。


「もしもし?」


「え? あ、ううん。なんでもないわ。でも……へーえ」彼女の声が、だんだんと険を帯びはじめた。「そうかそうか。私がこんなに大変な思いをしてる間に、あなたはたらふく肉焼いて食べたんだ。へーえ、一人でー?」


「ああ、もちろん一人だよ。連れなんていないもん」


「うーわ、かっわいそー」


 まるで歌うように、メリーさんは煽ってきた。「旅をしても一人、ご飯も一人。ずいぶん寂しいのね、あなたの生き方って」


「こんな無謀な旅に、他人を巻き込むわけにはいかないからね。それに、これはこれでけっこう楽しいもんだよ」


「まーたまた、痩せ我慢しちゃって。そうやって無意味な片意地張ってるから、大学にもバイト先にも居場所ができないのよ。もういい加減に大人になりなさいよ、わかった? わかったらこんな無茶な冒険はそろそろ打ち切って、今からでも私と──」


「一人でいる方が好きなんだよ」彼女の言葉を遮って、僕は吐き捨てた。「僕がどんな生き方をしようが、君には関係ないだろ。いったいなんなんだよ君は。毎晩毎晩、こっちの事情も考えずに電話をかけてきて。だいたい、追いかけてあげてるだって? 僕がいつそんなことを頼んだんだよ、え? もうほっといてくれ、疲れてるんだ」


 電話は唐突に切れた。さよならの一言もなしに。

 仰向けに寝転がり、長々とため息を吐く。怒りはたちまち波が引くように失せ、代わりに後悔の念がじわじわと込み上げてきた。


 こんな言い方をするつもりじゃなかったのに。痛いところを突かれたものだから、ついムキになって……本当は気にかけてもらえるのを、嬉しく思っていたくせに。


 うじうじと寝返りを打ちながら、僕は一つだけ心に決めた。

 せめてあの音は、聞かなかったことにしてやろう。


 電話越しにもはっきりと聞こえてきた、グーッという異音。

 あれは間違いなく、メリーさんのお腹の鳴る音だった。

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