意訳
はしがき
三田村鳶魚著
横から見た赤穂義士
東京 民友社版
はしがき
1
大野九朗兵衛を悪人に仕立て上げたのは仮名手本忠臣蔵である。その作者の竹田出雲は、九郎兵衛に敵である吉良に通じて大石達の動静を内偵する、所謂スパイの役目さえ与えた。そんなに貶めなければ、あの浄瑠璃を拵えた寛延元(1748)年の人間達に大野九朗兵衛が理解できないのだろうか。大石達が引き立たないのだろうか。
九郎兵衛がお金配分を争ったのは、意地汚い処を示しているとはいえ、世間一般、人並の人間ならば普通の事ではないだろうか。現代の政治家の諸先生が時々見せてくれる疑獄というものは、貰うものと決まったお金配分の多寡を争う訳ではないらしい。一方の九郎兵衛は、自分の権利を主張しただけにすぎない。一生懸命に少しでも多くのお金を欲しがったとて、貰うと決まった後の話だ。大手を振ってお金を貰う順番が回って来た時なのだ。ただ少しでも多くのお金を貰おうとしただけで、人目を憚って受渡しが行われる類のお金ではない。それでも汚く見える。世間一般の人間らしい行いであろうに、目立って賎しい人間の様に見えてしまう。たとい綺麗ではなく、立派でもなかったとしても、排泄物であるかのような、酷く汚いもののように扱われるのは不思議な話でもある。今日、疑獄に引っ立てられてくる名士や高官達は、大野九朗兵衛程立派な人間ではないように見える。
1
疑獄:元々は、有罪か無罪かの判決を下し難い裁判事件を指す
しかし明治初期、山城屋事件や尾去沢銅山事件等、政治家が職権を私用した事件が
政治的圧力によって裁判にならない事態が多発した。
転じて、表に出た大規模な贈収賄事件を指すようになる。今回はこちら
2
九郎兵衛が欲しがったのは暗い、後ろめたい金ではないのに何とも気の毒千万な事だ。古往今来、明るい金でこれほどまでに際立って賎しい人間と見做された者は、あるいは九郎兵衛だけかも知れない。結局のところ、とんだ者と鉢合わせしたからなのだ。巡り合わせが悪いのだろう。今も昔も関係ない、ごく普通の人情そのものだというのに、九郎兵衛だけが格別賎しく見える。言うまでもないが、赤穂義士達が世間並みではない立派さや高潔さを持っていた。そんな人達と比較し、対照する訳だからひどくかけ離れた結果になる。傍から見て、その時、その場限りの錯覚を起こしてしまうのだ。
九郎兵衛は赤穂藩の財務に就いて、存分に働いている。内匠頭長矩も頗る信頼しており、一藩の重きを成した人物である。決して禄盗人ではない。自分の才能を尽して勤め、与えられた俸禄以上に働いている。労働と報酬、報酬と労働、雇用関係ならばどちらかに余剰がある。だからお釣りが貰いたかった。それに君臣主従の義理を知らない訳ではない。知っていたけれども知っていただけで、四十六人と行動を共にはしなかった。飯を食べて生きて居たかった。死ぬ気にはなれなかった。だが、義理を知っていればこそ、四十六人が仇討を遂げたのを知り、跡を晦まし、身を隠してしまった。彼は恥ずかしさに堪えなかったのだ。
2
畢竟寂滅から。仏教用語での畢竟は、
畢竟:最終的に
寂滅:煩悩を消し去る
3
これも人並の人情だ。しかし、恥ずかしさを覚えるのが普通の人情ならば、三日五日もすれば、その恥ずかしさにも慣れてしまうというのも普通の人情である。少ないが、恥を知らない人間さえ居る。翻って九郎兵衛は、恥に慣れる事なく生涯隠れ通した。その辺り、世間並の男ではないようだ。
一度は君臣主従の義理に奮い立って同盟しておきながら、段々と脱盟していった連中もいた。その中には
義士伝というものは、室鳩巣の擬人録を筆頭に、大野九朗兵衛を虐げる傾向を持っている。これは世間見ずの考え方で、一途に忠義という所へ駆けつける。水がなければ氷がない事を忘れているのじゃないかという懸念さえ浮かぶ。傾城武道桜(宝永3:1706)、新小夜嵐(同5:1708)、武道三国志(正徳2:1712)、当世知恵鑑(同年)、今川一睡記(同3:1713)など、浮世草子では赤穂浪士を抜群な忠義者とし、世間から飛び離れた事件として描いている。意図してかせずしてか、それはわからないけれども、いずれにしても脱盟者や不義者など、世間並の人達には触れないものが多い。
3
甚と麽は共に疑問の助字。作麽生の変化か……?
のような使い方もする。
現在中国で使われているかどうかは不明。
御存じの方があれば是非コメント欄へお願いします。
4
浄瑠璃は読まないものが多いから目途が一向に立たないけれども、近松(門左衛門)の兼好物見車、碁太平記(白石噺)、海音の鬼鹿毛無佐志鐙などは、大野九朗兵衛を虐げる、即ち、世間並退治に励むような事はない。演劇もこれまた極めて少ししか見ない。元祿15年の春狂言で、中村座で曽我の夜討に持込んだそうだが、どういう話の筋だったのかは知らない。春狂言に続いて、京、江戸、大阪など各地の芝居で色々な趣向を立てた沢山の狂言があるらしいが、脚本が逸失してしまったり自分が観ていなかったりでお話しする事も出来ない。が、浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵も脚本の影響を受けたものだと聞いている。仮名手本忠臣蔵が出て以後、つまるところ寛延元(1748)年からは人形芝居にしろ歌舞伎芝居にしろ、ひそやかであるとか大ぴっらであるとかの違いは在るにせよ、忠臣蔵の趣向には変わらずに続いているものがあるようだ。その変わらないものの中に大野九郎兵衞の立ち位置が注目される。一つの例に過ぎないとも言えようが、kの大野九郎兵衞の虐待が何故に必要なのかを考える事も無しに、四十六人の為人や行動が判ろうはずがない。
人形芝居にしろ、歌舞伎芝居にしろ、見物あっての見世物である。見物客が合点しない狂言は決して長続きしない。忠臣蔵は芝居道における独参湯で、何時でも見物客が来る。
4
中村座で曽我の夜討に持込󠄁んだ
能一番の間に演じられる間狂言で忠臣蔵に触れたという事であろうか。
能と狂言は交互に演じられる。曾我夜討を演じる前に忠臣蔵を演ったという事かもしれない。
「夜討曽我」ではまた、間狂言が前後をつなぐ、重要な役割を果たします。和泉流では通常の
場合、早打アイといって、一人または二人の伝令役が登場し、仇討ちの様子を語ります。一
方、大蔵流では、大藤内という、工藤祐経の客人が、曽我兄弟の襲撃から大慌てで逃げ出して
きた様子を滑稽に表し、緊張の糸の張りつめた全編に、笑いと寛ぎをもたらします。これは和
泉流でも小書(特殊演出)の「大藤内」として演じられます。
―the能.com 様 演目事典:夜討曽我 より―
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_099.html
陰に陽に:陰に日向に。或いはひっそりと、或いは大っぴらに。
纏綿:①物がまつわりつく。転じて複雑なこと。②想いが深く離れ難い事。
③いつ終わるともなく続いてゆく事。
今回は③
独参湯:万病に効くとされる気付け薬。朝鮮人参を用いた薬湯。
転じて歌舞伎で、常に大盛況の仮名手本忠臣蔵を指す。
5
その忠臣蔵は忠義の刀を振りかざして白黒をつける。忠義でなければ不忠と決めつける。灰を作らず片落としに片付けてゆく。そこに儒者の忙しなく切ない性分が存在するのだが、忠臣も孝子も世間という大きな渦の中から生れてくるものであるから、世間一般の人情を吟味する努力、時勢について深く考える努力を経ずに結論してよいものではない。しかし、大入り大受けの忠臣蔵には儒者根性が著しく作用している。そしてそれを見物が喜ぶ。私たちは、現代人が儒学よりも儒者というものに御無沙汰をしすぎている事に遺憾である。儒者は儒学の成果である。血が通っている儒学である。それを知らないのが何故いけないのか、それは儒者とは何かという事を穿鑿していけば理解できる。
忠臣蔵の作者竹田出雲は、儒者根性に振り仮名を振る事で飲み込ませようとした。大野九郎兵衛を斧九太夫にしたのは、僅かな一例に過ぎないが、例としてはとても適切であろう。要するに、人間は神様仏様になれるものと見るか、動物なのだと決めつけるのか、それではその中間にあるものを許さないのか。たとい許されなくても中間は慥に存在する。つまるところ中間にあるから、引きずり上げようとしたならばズッコケて落ちてしまうのではないか。
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6
自分で自分の身の程を弁えれば結構、けれども昔の都都逸も言った様に、自分の程を知らない人間がいつの時代も多い。であるならばズッコケた安い値札を付けるよりも、引きずり上げた天井相場で取引した方が、景気だけでもいいんじゃないだろうか。だが、神様仏様でもあり、ニャアニャアワンワンでもあり、勿論人間でもある。どれにしても嘘ではないのだから面白いのですよ。
昭和五年梅雨近き頃、名に負う花も青葉隠れに咲き出し、
水鉢快く睡蓮の二つ三つまで開いたのが嬉しき時、
鳶 魚 幽 人 拈
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