第18話 夢の世界

     ※


 上井草駅から少し歩いた先は、緩やかな下り坂になっている。

 さらに進んでいくと、今度は緩やかな上り坂。

 彼女の後に付きながら、俺は先を進んでいった。


「色々と話したいことがあったんだ」


「それは俺も。

 描世かせさんが好きな作品とかあれば聞いてみたい」


 単純に趣味の話で盛り上がりたいという気持ちもあれば、彼女のような天才が何に影響を受けてきたのか知りたい。


「好きな作品……か。

 いっぱいあるから、絞り切れないかも。

 皆好くんは? 何か好きだったものはある?」


「……俺は……そうだな。

 メモリーキューブとか好きだったかも」


「メモキュ~! 神作画だったよね!

 私も好きなアニメの一つ!」


 描世さんが、声を弾ませる。

 普段は落ち着いている描世さんが、はしゃいでいる様子は可愛らしい。

 そして、好きな作品の雑談ができることは純粋に楽しかった。

 描世さんとの会話は全く途切れない。

 そして、話している間に、


「ここよ」


 描世さんが足を止めた。

 歩道の左側――マンションの立つ敷地に描世さんが入って行く。

 エレベーターに乗って五階で降りる。

 そして五〇二号室の扉の前で足を止めた。


「到着」


 淡々と言って、描世は鍵を開き扉を開けて玄関に上がる。

 そして靴を並べ直した。


「どうぞ。

 扉はオートロックだから」


 まだ外に立っている俺に、描世さんが気遣うように呼び掛けてくれた。


「お邪魔します」


 靴を脱ぎ玄関に上がる。

 描世さんに習って、俺も靴は並べ直しておいた。

 郷に入っては郷に従えというわけではないが、このくらいはマナーだろう。


「部屋、行きましょうか」


「ああ」


 一言答えて、彼女の後に付いていく。

 不思議と口数が減ってしまうのは、やはり俺が緊張しているからだろうか?

 自分の中の時間が少しだけゆっくり流れている気がする。


「ここが私の部屋。

 先に入ってて……飲み物、持ってくるから。

 コーヒーか、紅茶か……牛乳しかないけど?」


「な、なんでも平気!」


 描世さんの部屋に足を踏み入れる。


「わかった。じゃあ適当に座って待ってて」


 描世さんは一度部屋を出て行った。


(……ど、どうしたものか)


 なんとなく一人でいるのが気まずい。

 手持ち無沙汰から周囲を見回してしまった。

 室内は広く机が二つ並んでいた。

 一つはPCと液晶タブレットが置かれた机だ

 PCの机が置かれた机には、アニメ用の動画用紙が置かれている。

 流石は描世さんという感じで、しっかりクリエイターの部屋になっていた。

 女子の部屋だと感じるは、ちょっとしたおしゃれのポイント。

 棚の上に置かれた観葉植物であったり、立てられた姿見。 

 ベッドの枕の横には、少し大きめの熊のぬいぐるみが置かれている。


「あまり……じろじろ見ないでくれる?

 ちょっと照れるから」


 いつの間にか戻ってきた描世さんに声を掛けられた。

 声は出さなかったものの、驚きでビクッと震える。


「ご、ごめん。

 思ってたよりも、綺麗だと思ってさ」


「それってどういう意味?

 私の部屋って、汚いイメージだったの?


 眼鏡の向こう側からジト目で直視される。

 女の子の部屋を見て、綺麗だなって俺は何を言ってるんだ!?


「いや……だらしないとかそういうんじゃなくて、もっとこう描いた絵が散らばってたりとか、そんなイメージ」


 芸術家の先生にあるようなこう、芸術は爆発だ的な感じだ。


「机をもっと汚せ……とか、ベテランのアニメーターなら言うかもね」


 少し遠くを見るような眼差し。

 まるで、過去を懐かしむように言っていた。

 そしてもう一度、俺に目を向けた。


「私は鉛筆でも、デジタルでも、どっちでも描くから……デジタルのほうがちょっと多いくらいかも」


「ハイブリットだな」


「今だとデジタルで描く人のほうが、多いのかな?」


 描世がそんなことを言った。

 果たして、どうなのだろうか?

 多少だが、実は俺も絵を描いたことがある。

 アナログではなくデジタルでスマホでお絵描きレベルの話だ。

 というか今も少し描いていた。

 でも、ぶっちゃけ下手だ。

 プロになろうってわけじゃなくて、憧れて描いている。

 そのくらいのレベル……なんだけど、その趣味が高じて、実はワーズの動画のサムネイルは俺が担当していた。

 プロと比べたら拙い。

 だが、全く知識のない他メンバーに比べれば、多少はマシなものを作ることができた。


「描世さんは……同世代の絵を描く友達とかは……?」


「……いると思う?

 そんな意地悪なこと聞かないで」


 お得意のジト目を向けられた。

 責めるようなことを言ったつもりはないが、描世さんは所謂ぼっちのようだ。


「絵ばかり描いていたもの。

 ……友達なんて、できなかった」


「そっか……。

 ……嫌なこととか、あったか?」


 って、俺は何を聞いてるんだ。

 もっと、楽しい話をすればいいのに。


「……そこ、座って。

 クッション、使っていいから

 折角、部屋に来たんだから、立ち話もなんでしょ?」


 描世さんは俺の質問に答えなかった。

 話題を切り替えたいのかもしれない。


「それもそうだな。じゃあ失礼します」


 言われるままに、テーブルの席に置かれているクッションを使わせてもらう。

 俺たちは向かい合う形で座っていた。

 小さなテーブルなので、手を伸ばせば描世さんに手が届きそうなくらいだ。


「……イヤなことはいっぱいあったよ」


 話題を切り替えたいのかと思っていた。

 でも、そうではないらしい。


「聞いても、いいのか?」


「……そういう話も、できるかなって思ってたから」


 絵や趣味のことだけじゃなくて、お互いに友達として、色々なことを話せる。

 俺と同じで、描世さんもそう思っていてくれたのかもしれない。

 互いに、過去の苦悩を打ち明けてもいいと思えたのかもしれない。

 不思議だけど、自然に。


「私にとっては、絵を描くのって生きるのと同じことなんだよね。

 生きてたら描くのは当然っていうか」


 言葉を挟むことなく、俺は描世さんの言葉に耳を向ける。


「楽しいから、好きだから描く。

 でも、それをおかしいって思う人もいるんだよね」


 そうだ。

 自分にとって当たり前のことが、他人にとって異常ということはある。

 自分の好きが、他人の嫌いだった時、強い拒絶反応を示す者もいるのだ。


「中学の時かなあ。

 色々と言われた……気持ち悪い、頭おかしい。理解できない。

 悪口のオンパレード」


 苦笑する描世。

 今でこそ話すことができるが、きっと当時はつらかったと思う。


「……好きなことを、してるだけなのにな」


 思わず俺は、言葉を挟んでいた。


「そう。

 少なくとも、悪いことはしてないでしょ?。

 でも、私が絵を描くのを見て、不快に思う人はいるんだよね」


 学校という狭い環境の中では、自分と違うというだけで、叩く者はいる。


「絵を描くのなんてやめろって言われたんだよね。

 でも、やめずに描いてたら、女子のリーダーみたいな子に嫌われちゃったみたい。

 それであっという間に孤立してた」


「それでも、描き続けたんだな」


「うん。

 私が好きだから、誰に何を言われても、それがやめる理由になんてならない」


 言葉にでないくらい、胸が熱くなる。

 誰かに言われた一言で――自分の気持ちを曲げてしまった。

 俺にはできなかったことだ。


「……つらくは、なかったのか?」


「まぁ、嫌がらせもされたからね。

 絵を描いてるだけなのに、ブスとか言われたし……」


「その女子は絶対性格悪い」


「否定はしない。

 そう言われたのも、女子のリーダーが好きだった男子に私が告白されたのが、嫌がらせの原因だったみたいだし」


「描世さんは、可愛いからモテたんだろうな」


「え?」


 自然と出てしまった言葉。

 だけど、描世は目を丸める。

 こんなこと言っておいてなんだが、自分でも驚いてしまった。

 というか、俺は彼女を可愛いと思ってるって、ことか?


(……あれ? 俺は――)


 自分の気持ちもわからぬまま、俺は描世さんに目を向ける。

 わざとらしいほど地味な容姿を作っている。

 でもよく見ると、肌のきめ細やかさやスタイルの良さが目に止まる。

 それこそ、舞花と同じくらい――


「み、見すぎだから……!」


「あ……ごめん。

 なんか、変なこと言っちゃったな……いや、嘘は言ってないんだけど」


 言い訳がましいことを口にしてしまう。


「ま、まぁ、昔は可愛いかったのかもね。

 嫉まれるのも面倒になっちゃうくらい」


 自画自賛になるからこそ、描世さんは冗談めかして言う。

 だが、だとすると気になるのは、


「その地味な格好も、もしかして……?」


 ちらっと俺を見て、ちょっと言いづらそうに、照れながら。


「……男子に告白されても、困るから……。

 まぁ……付き合ったとしても、私と遊んでもつまらないと思うし」


 実はめっちゃモテ女子だった。


「それに、遊んでる暇があるなら、絵を描いていたいから」


 描世さんは全くブレない。

 とにかく、絵が上手くなりたい。

 そのひた向き過ぎる想い。

 俺はそれを、


「カッコいいな……描世さんは」


 心から、彼女の生き方に憧憬を抱いてしまうほど、カッコいいと思った。


「カッコいい?」


「辛いことがあっても、好きなことを諦めなかった。

 本当に好きって、そういうことだよな。

 何を諦めても、何を捨てたとしても、絶対に欲しいって思って自分を貫く」


 俺にはできなかった生き方。

 俺がなりたかった生き方。


「あなたは……違うの?」


「……俺にはできなかった。

 周りに否定されたのがショックで、自分の趣味を隠すことを選んだ。

 それに……」


「……?」


「友達を傷付けることなるかもしれなかったから」


「……友達を?」


 俺と舞花の間にある事情。

 これは話すことはできない。

 俺だけの問題じゃなくて、舞花に関係することだから。


「……あなたは優しいのね」


「え?」


 今の話を聞いて、なんでそんな風に思うのだろうか?

 俺は、ただ自分を貫く強さがなかっ――


「大切な人を、傷つけたくなかったんでしょ?」


「……それは、そうだけど……」


「私をカッコいいなんて言ったけど、傲慢なだけだよ。

 周りを気にせずに、自分の想いを優先したんだもん」


「でも、それは描世さんの強さだろ?」


「私のこれが強さなら、あなたが周りに合わせることを選んだのも優しさよ。

 それに、趣味を隠したからってあなた自身の気持ちが否定されるわけじゃない。

 あなたと話してればわかるもの」


 自分では、わからなかったこと。

 好きな想いを否定してしまった。

 自分の好きに真っ直ぐでいられなかった。

 中途半端な想いのまま、勝手に後ろめたくなっていた。

 だけど、


「あなたの好きな想いは、誰がなんと言おうと、絶対に真っ直ぐだった!」


 描世さんの言葉は、もやもやした黒い霧に包まれていたような感情を――一瞬でれやかにしてくれた。


「私と同じくらい、この人も好きなんだって思えた。

 だから、私はあなたもカッコいいって思う」


「……ありがとう、描世さん」


 キミのお陰で、今日からは少しだけ自分の想いと向き合えそうだ。

 直ぐには無理でも、好きなことを好きだと、言えるようになりたい。


(……いつか、舞花にも……)


 オタクはやめたなんて嘘を、ずっとついてるわけにはいかないから。


「私たち、ちょっと似た者同士かもね」


「そうかな? いや……そうかもな」


 俺たちは、どちらからともなく、声を上げて笑いあった。

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