失望と助言
向かい合って座るジャックさんの顔は正面から見ると、疲労を色濃く感じてしまう。やつれている、というわけではないのだが薄い隈や弱弱しさが見て取れた。
「俺は、その……とある人に師事してるんだ」
「とある人?」
「……具体的には口外できないんだけど、そのくらいすごい人なんだ」
自由に口外できない人、か。よほど高ランクの冒険者か、宮廷魔術師……あとは国に属さない『仙人』とか、まさか『魔人』ってことも無いだろうし。
「今も、師匠が帝冠式に招待されたから、それに付いて帝都に戻ってきたって感じなんだ。故郷は帝都なんだけどね」
「帝冠式に招待は……大物ですね」
「だろ? 自慢の師匠なんだ……だから、悩んでいるんだけどね」
笑顔を浮かべているはずのジャックさんの表情は、まるで怯えているかのように引きつっていた。
恐怖というよりも、後ろめたいような。そんな顔だ。
「もう何年もそんなすごい人に教えを受けているのに、俺の魔術は一向に上達しない。それに……剣もそうなんだ」
「剣……ですか?」
「ああ。言えば……
浮かない顔で話し続けるジャックさん。
でも、僕が聞く限り、やはり彼の資質は桁違いなモノに感じる。
だって、恐ろしい。魔術系の
この世界において、それが愚行と呼ばれることだと理解しながらもそれを目指す。
さらに、様々な努力の痕跡も窺える。才能に胡坐をかいている訳では無いのだろう。
なら、彼はどうしてここまで追いつめられているのか。
それは多分……“他人との比較”なのではないかと思う。
僕にも、覚えがある。
努力っていうのは、終わりの見えない持久走だ。だから、中継地点や終点を設定する。それが目標だ。
でも、彼にとってそれはとても遠くにあるものなのだと思う。僕にとってのアニムのように。
「……ジャックさんは、自分と誰かを比べることはありますか?」
言葉を選んで言えば、彼は思い当たることがあるのだろう。自嘲気味に吹き出しながら笑った。
「ああ。いつも比べてばかりだ」
「……聞いても?」
「……魔術の師匠にも、剣の師匠にも俺以外の弟子がいるんだ。その子たちが……まぁ、天才なんだ。俺も、自分を必要以上に高く見積もっていたわけじゃないんだけどさ、帝都にいた頃は天才、神童だのなんだのと持て囃されてたんだ。でも、伸びきってた鼻をへし折られたよ。本物の天才ってやつを思い知らされた」
「なるほど……他のお弟子さん。口ぶりからすると、年齢も近そうですね」
「ああ、年下。今の目標は……その子たちに食らいつくこと、かな」
目標を語る彼の顔に、自信は微塵も感じられない。
……諦めてるな、完全に。折られたっていうのは比喩じゃないみたいだ。
いや、正直……めちゃくちゃ共感してしまう。
僕の周りも化け物だらけだ。
魔術で言えばアニム、団長、エトゥラさんにギンさん。
武術で言えばユディア、エンダーク、鬼灯さん、ラウルグラムさん。届くはずもない高みにはカイン先生もいる。
ジャックさんにとって、その弟子たちが高すぎる目標として聳え立っているのだろう。
腐らずに努力を続けるジャックさん。だが、その天才たちも同じような……もしくはそれ以上の努力を積んでいる。彼にとってその勤勉さは絶望の象徴だろう。
でも、残酷なことを言えば……それは当然だ。
「これは、完全に個人的な意見として聞いてもらえますか?」
「え?」
「これを聞いてジャックさんが考えを変える必要も、思いつめる必要もありません」
言い訳を並べながら、僕は核心を突く。
「多分このままでは――ジャックさんは一生その人たちに追いつくことはできません」
「…………はは」
「ジャックさんが魔術の努力をしている時、その人たちは自分の得意分野を伸ばし、ジャックさんが剣の努力をしている時、その人たちはやはり自分の得意分野を伸ばしている。一つの道を突き詰める人間に対して、二つの道を突き詰めているジャックさんが追い付ける道理はありません。これはもう……仕方がないことです。そもそも、二つを極めることに成功した人間なんているかどうかも定かじゃない」
「……無理だと、思うか?」
「いえ、不可能ではありません」
僕の返答に、ジャックさんは拍子抜けしたように首を傾げた。
「ジャックさんの才能などは置いておいて。無限の時間があれば、凡人は天才に追いつけるし、超えることも可能です。無限の時間があれば、ランダムにタイプライターを打つ猿が不朽の名作を完成させる可能性すらある。時間っていうのはそういう可能性を秘めています。だからこそ、有限の時間の中でそこに至る人間を、人は『天才』と呼ぶんです。つまり……今のジャックさんに必要なのは時間です。時間があれば、今のその人たちに追いつくことはできる」
「でも、俺がそこに辿り着いた時……その子たちはもっと遠くにいる」
「ええ、そうですね。きっと、僕たち凡人が天才に追い付くためには、いろいろ捨てなくちゃならないんです」
僕の一度目の人生では、アニムの足下にすら追いつけなかった。
でも、
ジャックさんは、それを一度の人生で両得しようとしている。それは無理も出るだろう。
「僕がジャックさんだったら……剣か魔術、どちらかを捨てます」
「……捨てる」
「はい。まぁ、捨てるというより、置いておきます。どちらかを極めようと努力して……きっと死んでいきます。人間には、その程度の時間しかありませんから」
ジャックさんの顔色は依然として悪いまま。彼にとって、両方を行うことに意味があるのだろうか。
もしくは……。
「……ジャックさんは、魔術と剣。どちらが好きですか?」
「……魔術だね。だから、
「では、なぜ剣を?」
「俺なら、剣と魔術を両立させることができると……魔術の師匠が期待してくれたんだ。俺は、それに応えたくて」
「あー……」
これだな。
ジャックさんの疲弊は比較が原因ではなく、この期待。
なら、答えは簡単だ。
「ジャックさん。期待っていうのは、『掛けられるもの』であって『背負うべきもの』ではありません」
「……え?」
「ジャックさんは重く考えすぎなんだと思います。期待なんて、掛けられた側にとってはほとんど意味を成さない。勝手に期待されているだけです。応援であったなら受け取ることもできますけど、期待は一方通行。それに押し潰されるのであれば、それは単なる『押し付け』へと姿を変えます。たまに『期待が重い』なんて言う人もいますけど、それは勝手に背負ってしまってるだけなんだと思います」
「……応え……られないのかな」
彼が恐れているのは、自分を見出した人からの失望。
失望が怖い人間は、たぶん多い。最初から嫌われるより、ダメージ大きいし。
「応えられないことはないと思います。でも……その期待のせいでジャックさんが無理をしていると知ったら……お師匠さんはどう思うんでしょうか。僕はその人を知らないので何とも言えないんですけど……」
俯いて思考する彼は、
「……すごく、謝るだろうな」
「いい人ですね」
「ああ」
自慢げに笑って顔を上げた。
「好きな方、魔術に時間を掛けて見てもいいと思います。もちろん、どうするかはジャックさん次第ですけど」
「……実は」
「はい」
「俺の目標は……兄弟子なんだ」
突然話し出した彼は、真っすぐに僕の目を見据えた。
「実際に会ったことはない、けど……剣の師匠も、他の弟子たちも、みんなが彼を褒める。会ったことは無いけど、見たことはあるんだ。一目見ただけで目を奪われる……なんていうんだろう、鮮烈さ? みたいなのがあってさ」
「それは……比較される、ということですか?」
「それもだけど……一番は、やっぱり劣等感かな。情けないけど」
「誰もが持つ感情です。情けなくなんてありませんよ」
「……君も、持ってるのか?」
「人生の大半を劣等感で埋めても、少し余ります」
あり得ない、とばかりに目を見開く彼には僕がどう見えてるんだろうか。
「でも正直、その劣等感は感じるだけ無駄ですよ。割り切ってしまいましょう」
「……追いつくのを諦めろってことか?」
「いえ、会ったことが無い人間に脳のリソースを使うだけ無駄です。面と向かって努力を否定された……とかなら話は変わりますが、会ったことが無いならいないのも同然です。お伽噺の英雄に嫉妬する人間がいないように、言葉だけで知っている人間に嫉妬なんてしていたら身が持ちませんよ。それに、大抵そういうのは美化されているものです。あったらそうでもない人間の可能性もゼロではない」
「そ、そうでもない人間……?」
「ええ、それだけ褒められていれば天狗になっているかもしれません。力に胡坐をかいて成長が止まっているかも、優しさの欠片もない人間かもしれない。その点、ジャックさんは努力もしているし、他人を潔く評価して尊敬する人間性もある。初めて会った他人の話を真剣に聞く柔軟性も兼ね備えている。……そんな風に、ポジティブに生きましょう。——あなたの努力は、決して無駄にはならないんですから」
まるで、過去の僕に伝えたいことのように、言葉が溢れてくる。
「『運命』は、悲しいことですけど才能で決まります。天運……偶然性によって、人間の限界や結末は決まってしまう。——でも、僕たち凡人が起こせる『奇跡』は、違う」
これは、僕が魔術に傾倒する最大の理由。
「人が奇跡と呼ぶ事象には、必ず理由があるんです。偶然性ではなく、必然性。強者対弱者。絶対に勝てるわけがないと思われる戦いに弱者が勝った時、人はそれを『奇跡』と呼びますが、僕たち魔術師はそうじゃない。強者が積み重ねてきた勝利の数ゆえの驕り。弱者が積み上げてきた敗北の数ゆえの努力。その結実です」
僕が数々の失敗と間違いを積み重ねて、あの
努力が必ず報われるなんて、嘘でも言えない。
けど、僕たち凡人が積み上げるそれは……いつか彼らに届くはず。
「運命っていうのは偶然の連なりでしかありません。でも、奇跡は必然の積み重ねだと、僕は信じてます。ジャックさんが積み上げる努力の数々はきっと、人が奇跡と呼ぶ、そんな何かに届くはずです。……届いて欲しいと、思います」
「ば、ばらむ~……ひぃ、つかれた」
柄にもなく熱弁した直後、へとへとのギンさんが僕たちがいる机にもたれかかった。
「さ、さぁ、書物の海へと潜ろう……まずは六階だ~」
「あ、あっ、ちょギンさんっ。あっ、ジャックさん、時間なのでこれでっ! また!」
「あ、ああ……また」
■ ■ ■ ■
もっと冷酷な人間を想定していた。
そうであって欲しいと思っていた。
すべてを捨て、誰もを置き去りにするような、そんな狂気を想像していた。
「……完敗だな……——ありがとう」
ジャックは様々な本の中から魔術関連の物を抜きだして席を立った。
その足は、恐らく帝城にいるであろう星主帝、師匠の下へと一目散に向かっていた。
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