崩人と宣誓

「ひー……危ない橋渡らされたぜ……」


 気を失っているレヴァノを片脇に抱えた男は、アヴェルとの遭遇をそう振り返る。

 宮廷魔術師ともなれば、玉石入り交じる凡百の魔術師の中から選び抜かれた一握りの精鋭だ。まともにやり合えばお互いに無事では済まなかっただろう。


「運が悪かったな……お互いに」


 この先、アヴェルが何を言おうと封殺され、彼は処刑される。

 皇女の行方も、この森で何が起こったかも不透明なまま。彼は永劫大罪人として後世に語り継がれることだろう。

 男は気色悪そうに顔を歪めながら、「はっ」と吹き出す。


「その片棒を担いでる俺が憐れむことじゃ――」




「——随分と独り言が多いじゃねえか」




「————」


 男の前方。

 抜き身の剣を携えた人影が、そう言った。


 男の思考に一瞬の空白が訪れる。

 騎士ではない。学徒でもない。

 ただ相対しただけで、濃厚な死のイメージを叩きつけられる威容。


 剣帝カイン。

 男の行く先を阻むように立ち塞がった彼に、男はへらっと笑いを浮かべた。


「おい……いい加減にしてくれ……イレギュラーばっかじゃねえかよ」


「皇女を置いて投降しろ。俺から逃げられるなんて、思ってねえだろ?」


「こんな森で三帝に会うとか……ツイてね~……」


 男の言葉に、カインは「いいや?」と首を振る。


「予定調和だ。この森には俺の弟子がいてな。そいつらの面倒を見てんだよ。俺がこの森にいるのは必然だ。情報が足りなかったな」


「……マジかよ。それ教えとけよあのボケジジイ……。じゃあなにか? こんな広い森で俺を見つけられたのも偶然じゃねえってか?」


 男が訊けば、カインはご名答とばかりにニヤッと口角を上げた。

 ガサガサッ、と上部の木の葉が揺れると、落下してきたのはフードの人物。

 大きめのローブにすっぽりと身体を覆っているが、大きさはまだ子供程度。頭頂部にはフードの上からでも獣の耳のような膨らみがピコピコと動いているのがわかる。


「っ……尾行されてたって? これでも気配には敏感な方だぜ、俺」


「少なくとも俺レベルじゃねえと気付けねえだろうな」


「そりゃ、相手が悪いな……」


 フードの少女は懐から魔宝玉を取り出し、「にゃっ」と鳴いてカインにそれを放った。


「この魔宝玉にはアヴェルの『監視魔術パノプティコン』が仕込まれてる。その情報が俺に来たってわけだ。残念だったな」


「なるほどねぇ……あの教授さんがすんなり退いたのはそれが理由かい」


 「参った」と片手を上げる男は、脇に抱えたレヴァノに目を落とす。


「実入りの良い依頼だったが……あまりにもリスクが高すぎる。旨い話には穴があるってのはマジだな、これは」


 そっとレヴァノを地面に寝かすと、男はじりじりと後退する。


「皇女は置いてくよ。俺の負けだ。だから、見逃してくれ」


「無理だ」


「そこをなんとか」


 飄々とカインの殺気を躱す男には依然余裕がある。

 カインであれば一瞬で御すことも可能な場面だ。だが、カインにとっても相手が相手なのだ。


「——崩人クズレビト、『狂骨』エンダーク。帝国の元Sランク冒険者のお前が、なんでこんなことをする?」


「いやいやいや、人違いっ! ホントマジで違うからさぁ!」


「そうか――――ッ!」


 瞬間、カインが放った一太刀。

 耳をつんざく衝突音と、余波で倒壊する木々。深めに被っていたアルセントのフードが取り払われ、彼女は驚愕に目を見開いた。


「いきなりご挨拶じゃねえか……」


 防いでいた。

 相当な距離を一歩で詰めた速度。余波で木々を倒すほどの威力。それを併せ持ったカインの一太刀を、エンダークはどこからか取り出した長剣で受け止めた。

 エンダークの長剣は人骨を模したような装飾が施されており、見ているだけで正気を失ってしまいそうな生理的な嫌悪がアルセントを襲う。


「俺の剣を受け止めるヤツなんてゴロゴロいやしねえんだよ、エンダーク」


「ったく……お褒めに預かり光栄だよ、クソが」


 エンダークは場違いな賞賛に面倒そうに顔を歪め、今の一瞬で皇女を片脇に抱えているカインの技量に舌を打つ。

 一足で距離を潰し、瞬時にレヴァノを回収し、その不完全な体勢から放つ一撃の威力ではない。もしカインが一撃だけに集中していたら、エンダークは無事では済まなかっただろう。


「やっぱやり合うのは無しだわ。あんたも、皇女サマを抱えながらだと分が悪い。そうだろ?」


「どうかな?」


「……もし戦うことになったら、あんたじゃなくて皇女サマを殺すことに全力を尽くさせてもらうよ」


 そう言うと、エンダークは軽快なバックステップで距離を取った。


「あ~……失敗とか初めてだわ。もうちょっと気ぃ引き締めねえとな」


 そう溢すエンダーク。

 彼を睥睨するカインは、諦めたようにため息を吐く。


「……今回は逃がすしかねえか」


「また尾行するにゃ?」


「いや、しないでいい。どうせもう仲間に連絡いってんだろ?」


「流石剣帝カイン。察しが良くて助かる」


「一人ならまだしも、人数を揃えて崩人クズレビト共に暴れられんのはまずい」


「剣帝からの褒め言葉とは……仲間も喜ぶよ」


 二人のやり取りに、アルセントは耳と一緒に首を傾げる。


「にゃ、その崩人クズレビトってのはにゃんにゃ?」


「お、嬢ちゃん知らない?」


 エンダークは自分の服を捲り、学徒たちに見せたように骨だけの胴体を晒す。


「にゃっ!?」


 さっ、とカインの後ろに隠れるアルセント。

 カインはエンダークに剣を向けながら言う。


崩人クズレビト。生理的にか、歴史的にか、宗教的にか……はたまた別の理由があるのか、大聖堂から『禁忌』の烙印を押されたたちだ。後天的に身体のどこかに魔物の特徴を移植した奴らを、そう呼ぶんだよ」


「魔物モドキなんて酷いぜ。そうしないと生きられなかったからそうしたまでだってのに。大聖堂はそんな俺らを迫害するんだ、酷いだろ?」


 腹があるはずの空洞に手を突っ込み、背骨を叩くエンダーク。


崩人クズレビトは全員合わせて六人。こいつらを討伐するために、三帝を六帝にするって話も出るくらいヤバい奴らだ」


「げっ、マジで? 『帝』増えんの? じゃ、とっとと隠れないとな……——あ?」


 その時。

 エンダークは“何か”を感じ取ったように顔を上げた。

 そして、突如歓喜と好奇心に声を上げて笑い始めた。


「っ、あ、アハハハハハハハッ! おいおい、マジかよッ!?」


 そんなエンダークに怪訝そうに目を細めるカイン。

 エンダークは一頻り笑い終わると、笑い過ぎで浮かんだ涙を拭いながらカインに向き直った。


 そして――――。


「悪い――――六人じゃ足りねえわ」



「ミィッ、行くぞッ!」


「にゃっ!?」


 レヴァノを抱えたカインはエンダークが反応した方向に向けて駆け出した。飛び跳ねてカインに追随するアルセント。

 そんな二人を見ながら、エンダークは楽しそうに天を仰いだ。

 彼は、


「踏み外した同胞が……まさかこんな森で生まれるとはなぁ」


 ――七人目の崩人クズレビトの誕生に、再び哄笑を上げた。






■     ■     ■     ■





 変質していく。


 魔獣の左腕。黒羊の左腕として生まれたはずの存在。

 その在り方が、性質が、魔術によって変わっていく。


 これは癒着ではなく、性質の書き換え。

 この瞬間から、この腕は――僕の腕だ。


「ありがとう、ユディア」


「…………」


「ごめんね、アニム」


「バ、バラム……」


「もう、大丈夫だから」


 白狼の月欠けは、前よりも強く輝く。

 妖精は人間よりも魔物との親和性が高い。身体の一部を近しいものに変えたことで、僕と白狼の繋がりが深まったのかもしれない。


「——はぁ」


 息を吐く。

 ふらふらと立ち上がる黒羊から目を離さず、左腕の感覚を確かめる。

 真っ黒な左腕。感触、伝達速度、リーチ。

 感触は問題ない。伝達速度も今までと同じ。リーチはほんの2センチくらい長い。

 処理しろ。慣れろ。


 僕は、地を蹴り出した。


「——はぁああああああッ!!」


「オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 再び、衝突する。

 片腕を失った黒羊は手数を失い、力技での打破を狙う。

 対して僕はその拳を左手でいなしながら、白刃を切り払う。


 袈裟、切り上げ、突き、薙ぎ。

 迫りくる乱打を防ぎ切りながら、自分の行動だけを押し通す。

 返り血と肉を削ぐ感触で黒羊のダメージを測りながら、決定的な機会を待つ。


 見ろ。


 黒羊が跳躍する。

 脅威的な跳躍力で滞空時間を稼ぐ黒羊は、両足での強襲にパターンを切り替えた。

 黒腕と白刃で降り注ぐ致命的な攻撃をいなし続けながら、観察と解析を続ける。


 ここじゃない。惑わされるな。

 こいつが本当に通したい攻撃は、これじゃない。


 数分? 数十分?

 時間の流れすら不明瞭な思考と迎撃の海の中で、掴むべき光明はこれじゃない。


 待て、見ろ、防げ、考えろッ!


 黒羊が僕に決定的なダメージを与えたのは拳か、蹴りか?

 違う。


 宙から降ってくる踵落し。それを半身になって躱した時。

 着地の瞬間、黒羊が見せる大きすぎる隙。

 これは、だ。僕との戦いの中で駆け引きを覚えた黒羊が見せた、釣り。

 こいつは、僕が攻撃するのを待っている。

 次の致命傷を狙っている。

 

 ——だから僕は、それに乗る。


「ここだぁぁああ!!」


 叫びながら、着地後の隙を狙った上段斬りの構え。

 そして僕は、その体勢でした。


「——オオオオオォォォオォアアアアアアアッ!!」


 黒羊が放つ全霊の咆哮。

 一度見た光景がリフレインする。僕の左腕を貫いた時の光景が。


 魔法の発動だ。

 魔力が渦巻く。指向性は当然僕に向いている。

 どこからくるか、何が襲ってくるかも不透明。


 でも、僕は。


「————それ、待ってた」


 僕は左腕を奪われた瞬間も、


 魔術を覚えたての頃の僕も、そうだったからわかるよ。魔術は難しい。意識しなければ、望む結果を得られない。


 それは、黒羊も同じだ。魔法は難しい。

 僕は覚えてる。僕の左腕を壊した黒槍が地面から突き出してきた時。


 黒羊は、

 ほんの一瞬、恐らく黒羊でさえ無意識に。


 だから。


 くるっ。

 黒羊の視線が、僕の右方向に動いた。

 多分、自分の腕は魔術への耐性が高いことがわかっているからだろう。僕が腕を移植した左側ではなく、右側への魔法発動。

 

 ——全部、予想通りだ。


 浮かび上がったのは、一本の黒い剣。

 まるで白狼の月欠けを模したようなソレが空中に現れ、僕に射出された。


 だけど、それよりも一拍早く、僕は身体を左方向に捩じり回転——――飛来した剣を


 魔術への耐性が高いって言うのはつまり、魔力由来の現象に対する耐性があるということ。それは魔法も例外ではない。

 だから、僕に移植された黒羊の左腕には、魔術にも魔法にも高い耐性が存在するんだ。


「最高だッ!」


「グッ、ギュ、オオオ゛オオオオオオオッ!!」


 自分の左腕を利用する僕に、黒羊は怒号を放つ。

 だが僕は左回転の勢いのまま横薙ぎを振るった。


「ぉぉぉおおおおおッ!!」


 魔力も残り少ない。

 ここで――決める。


「ギャァァアアアアアッ!?」

 

 剣が直撃するたび、断末魔を上げる黒羊。

 耐えようとするが、僕が付けた軸足の傷が開き、黒羊の膝が折れる。

 ちょうどいい高さにまで下がってきた顔面に、流れのままに左腕を振り抜く。


 バコンッ!!


「ゴギャッ」


 振り抜いた左腕は良い音を立てて炸裂し、黒羊が吹き飛ぶ。

 地面を転がる黒羊に、僕は追い縋る。


 魔力は、もう尽きる。

 体力ももうない。

 失血のせいでふらつく視界と、限界に折れそうになる身体を叱咤し、最後の全力疾走を行う。


 白む視界は、僕が纏う魔力の残滓。

 後方に溜めた白刃が蒼炎を纏う。


 魔力耐性の高い黒羊の肉体。

 だが、その内部は違う。

 黒羊が魔力を扱うのが何よりの証拠だ。身体の内部が魔力を遮断するように出来ているのなら、魔力の操作なんてできっこない。


 だから、僕は力強く踏み込んだ。

 狙うのは、左肩の断面。


「あああぁぁぁああああああッッッ!!」


 口から迸る咆哮のままに軌道を描く。

 立ち上がろうとする黒羊は、左腕を失った重心の狂いによって地を這った。

 

 蒼に燃え盛る刀身は、僕が思い描いていた軌道を寸分違わずなぞる。

 嫌という程した素振りの軌道。


 最後の一撃は黒羊の肩口に吸い込まれ、奴の身体を内部から燃やしていく。


「ギャアアアアアアアッ、ぎゃ……あぎゃぁぁああッ!!」


 押し込む。

 ずるずると肉体を裂いていく白刃は止まらない。


「ぉぉぉおおおおおあああああああああッッ!!」


「——————ォ゛、アァァアっ……」


 最後に見た黒羊の相貌は、笑っていた。


 ダンッ!!


 僕の剣は左肩から右腹に抜け、黒羊を両断した。





■     ■     ■     ■





 ああ、置いて行かれる。


 ユディア・シン・ガルアードは天を仰ぐ。


 強く、ならなければ。

 格下だと思っていた少年が見せた驍勇に、彼女の心は打ち震える。


『——弱い僕に意味はないし、弱いお前にも……意味はないんだよッ!』


『僕が描く未来には、強いユディアが必要なんだ』


 その言葉を反芻する。

 

「ああ、いいだろう。貴様に必要とされる私に――成ってやろう」


 燃え盛る魔獣を見ながら、ユディアは高鳴る鼓動を抑えながら、獰猛に笑った。





■     ■     ■     ■





 溢れ出る様々な感情の奔流は、ただ一人の少年に向けられる。


「ぁ、ぁあ……」


 ふらふらと、覚束ない彼はアニムに向かって歩き出す。


「バラムッ!!」


 耐えられず駆け寄ったアニムは、倒れ込んだバラムを抱き留めた。

 予想以上に重たいバラムを支えながら座り込み、荒い息を吐く彼の頬を撫でる。


「あ、にむ……」


 無傷のアニムを嬉しそうに見つめるバラム。

 意識も朦朧としているはずの少年に、アニムの双眸からとめどなく涙が溢れ出る。

 重体の身体を引き摺りながら、それでもアニムを安心させるように笑う。


「きみの、ためなら……なんだってできるんだよ……僕って」


「————あぁ」



『君のためなら、何でもできるんだよ……ボクって』



 誰の言葉だったか。少女は既視感と共に言葉を受け止める。


「……ばかっ……」


 強く抱きしめ、脈打つ彼の身体の全てを愛おしく感じる。



 多分それは、友情なんかとは違う、もっと馬鹿馬鹿しい感情。


 そんなものの為だけに、かつての少女は少年にすべてを託した。


 そして、そんなものの為だけに、少年は――ここに戻ってきたのだ。



「君に破滅は訪れない――僕が変えてみせるよ」


「……うんっ。ありがとう、バラムっ……」




 これはその、第一歩。






――――――――――――――



キリが良いのでここで御挨拶を。

次話のエピローグにて、第一章終了になります。

ここまで拙作にお付き合いくださりありがとうございました。


第二章のプロットも組んでおりますのでお楽しみに。


「面白い」、「続き気になる」と思っていただけましたら☆で評価やフォローいただけると嬉しいです。モチベーションになります。


それでは長々と失礼いたしました。

これからもお楽しみいただければ幸いです。





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