陰謀と逸脱

 聖都大聖堂。

 聖都の住人ならば一度は足を踏み入れたことのある王城に次ぐ最重要施設。


 剣帝カインは、そんな大聖堂に設えられた司祭室で初老の男と対峙していた。

 聖都大聖堂司祭、ジル・デボル。

 カインが聖都に来た頃から司祭の座についていた、カインからすれば胡散臭い狸ジジイである。


「じいさん。珍しいじゃねえかよ、あんたが俺を呼ぶなんて。てっきり嫌われてるかと思ってたがよ」


「一言目がそれか。相変わらず礼儀のなっていないガキのままだな」


 苛立ったように杖を床に打ったジルは、「まあいい」と本題に入る。


「カイン。最近ヴェーム大森林に入り浸っているそうだな」


「あ? ああ、教えてるガキどもの……修行みたいなもんだ」


「お前が弟子とは、丸くなったものだ」


「世間話に来たのか? だったら帰りたいんだが。そんな仲でもねえだろ」


 椅子の背もたれに全体重を乗せたカインは足を組んで体勢を崩す。

 だがジルはゆるりと首を振った。


「——ヴェーム大森林で、崩人クズレビトの目撃情報があった。それについて、お前が何かを知っているのではないかと思ってな」


「……崩人クズレビト……? あいつらがあんな低レートの魔棲帯に用なんかねえだろ」


「つまり……心当たりは無いのだな?」


「あったらこんなとこで呑気にしてねえっての」


 カインがそう言えば、ジルは無表情で杖を鳴らした。


 その時。


「——失礼いたしますッ!」


 勢いよく音を立てて開け放たれた扉に、ジルは顔を顰めた。

 飛び込んできたのはガルアード家の騎士の一人。血相を変えて肩で息をしている。 


「カッ、カイン様!」


「……どうした?」


「演習中、危険信号が上がりましたッ!」


 報告に眉を上げるカイン。


「誰が上げた?」


「——バラムくんです!」


 突如、カインは身体を跳ねさせ立ち上がった。

 そして、対面に座るジルを忌々し気に睨む。

 間が悪い、運が悪い……わけではない。

 そうではないことを、カインは直感的に察したのだ。


「狸ジジイ……何考えてやがる」


「……なんの話だ?」


「あんたが俺を呼びだしたのは崩人クズレビト云々の質問をするだけのためか? そんなことのためだけに、わざわざ俺を呼んだのか?」


「……時間を取らせたな、話は終わりだ。何やら穏やかではなさそうな報告だ……武運を祈る」


 杖を突いてカインに背を向けるジル。

 そんな司祭に舌打ちを一つすると、カインは急いで踵を返す。

 いつもは余裕に満ちた相貌に少しの焦燥を乗せて、異変の起きたヴェーム大森林に向けて走り出した。





■     ■     ■     ■





「オ゛ァァアアッ!!」


「——ッ!」


 白刃と黒拳が衝突する。

 折れることのない剣と壊れることのない拳。

 白光と黒光が目を焼き、硬質な破裂音が森に響き渡る。

 バラムは幾度もぶつかり合う手応えを解析し、同時に思考を回す。


 迫る左拳を白刃の腹で滑らせ、弾く。


(上半身がかなり強い……体幹か、精度か……)


 至近距離でじろりと観察するバラムに、黒羊は唸る。

 

(思考力も申し分ない。僕の動きを理性的に理解してる……魔物のランクで言えばCの下位程度だけど……)


 バラムにしてみれば未知の強敵だ。

 魔獣は生まれた瞬間からCランクの能力を持ち合わせているのは通説。

 妖精憑きオロチは成長限界の無い生物だが、魔獣は生まれた瞬間からほぼ完成体が出来上がっている生物なのだ。

 妖精憑きオロチには、白いガレウルフのようにバラムが討伐することが出来る程度の個体も存在するため、完全体になるのは極僅かな確率。人間に見つからず、魔棲帯で淘汰されず、己を高めた個体が厄災級の魔物へと変ずる。

 

 しかし、魔獣は幼体時から最低ランクはC。

 まだ幼体の黒羊が成長すれば、Sランクまで上り詰める可能性を秘めている。

 魔獣の成長には天井があり、完全体が最高Sランク。妖精憑きオロチのように厄災と呼ばれるような凶悪な将来性は無いが、高い確率でSランク……一つの都市を単身で破壊できるほどにまで成長してしまう。


(黒い羊……Sランクか)


 バラムにはその存在に覚えがあった。


 『黒羊シュヴァルツ』。

 一度目で言えば、今から二年後。聖都を襲うSランクの魔獣の名だ。

 バラムの記憶では、高い魔術耐性ゆえに、剣帝カインが討伐することになるはずの魔獣。


「——グォォオオオッ!」


「っ、力強ぇ……なッ!」


 襲い来る蹴撃にバラムは剣を合わせ迎え撃つ。

 無理やり押し付けてくる馬鹿力を受け流したことによって埋没する地面に冷や汗を流しながら、後退したバラムは一転攻勢。

 瞬時に間合いを詰め、狙いを黒羊の脚に切り替えて軸足を切り払う。


「ギッ……ァァアアアアアッ!」


 機動力を損なう致命的な傷。

 ――しかし、黒羊は怒りに任せて咆哮する。

 腰を捻った遠心力を乗せた拳が、バラムの腹に突き刺さった。


「ぐっ……がぁッ!!」


 ごりっ。

 黒羊は突き刺さった拳を捻り、穿ち抜く。

 内臓のダメージに悲鳴を上げるバラムは、口から血を吐き地面を転がった。


「オォォオッ! アッ、アッ!!」


 結果を喜ぶように口をひしゃげさせて笑う黒羊は、歓喜の声と共に地を蹴る。

 無様に転がったバラムの大きすぎる隙に駆け込み、叩きつけるように拳を振るった。

 だが――。


「——はッ!!」


 鋭く吐かれた息と同時に、バラムの隙を潰すように払われる銀閃。

 直撃は避けられない絶好のタイミングに、黒羊も目を見開いた。

 しかし――――突如、無理やり躱そうとした黒羊に謎の力が作用した。見えない力に押されるように、黒い魔力が黒羊の身体を後ろに引かせた。

 咄嗟に距離を取った黒羊にユディアは舌を打つ。

 

「躱すな……獣、風情が」


「……オ゛アッ……?」


 何かに気付いたように首を傾げる黒羊。

 ユディアは胸骨を叩く痛みに血を吐き、緩慢に剣を構えるが……いつもの鋭さは感じられない。

 バラムは彼女を庇うように前に立ち、最悪の事態に目を細めた。


「ありがとうユディア……でも、下がってて」


「ふざ、けるな……」


「こっちのセリフ。骨、折れてるでしょ。無理に動けば骨が肺に届く。アニム、ユディアをお願い」

 

「う……うん」


 ユディアを下がらせ、黒羊と相対する。


(わかってたことだけど……やっぱ一対一じゃ分が悪い。僕が妖精憑きオロチに近い状態になっても、簡単に倒せるほどCランクの魔獣は甘くない)


 知能の高い相手だからこそ、バラムは余裕を持った表情で黒羊に双眸を向ける。

 うっすらと笑みを浮かべているのは微かな好奇心と、演出のためのはったりによるものだ。

 一年にも満たない努力でCランクを相手取れるのなら、一度目のバラムは苦労していない。


 わかっている。バラムにとってこの世界は甘くない。

 これは必ず訪れる、越えなければならない高く厚い壁。

 バラムという人間の限界を問う試練だ。


 状況は悪くなる一方。


(さっきの反応……自分が持ってる魔力に気付いたな)


 白いガレウルフと同じように、自分が魔術を使えることを知らない状態だった黒羊は、ユディアの攻撃を回避する時に備え付けられた本能によって魔力を扱った。

 さらに、魔術を扱うようになったとしたら。


 バラムはもう一度白い魔力を推進力に、一歩で距離を詰める。


 踊るように繰り広げられる剣撃。

 力と本能で振るわれる暴力的な迎撃。


 ユディアは付け入る隙の無い撃ち合いに悔しそうに歯噛みし、アニムはこの状態でバラムを助けられない自身を恨む。


 そして、その瞬間は訪れた。



「————」



 一瞬の油断も許されない強敵との接戦。

 黒羊は信じられない程の高揚に身を任せ、力、速度共に互角のバラムを微かに讃える。

 魔獣である自分の本能に食らいつく理性ある怪物バラム

 肉弾戦では、いつか自分は膝を付く。そんな予感が、黒羊を襲う。

 

 もっと、もっと、闘争を。

 バラムに付けられた肩口から下腹部まで達する白い一文字が疼く。


 ————勝利。

 強敵への勝利の理想が、黒羊を次の段階へと押し上げる。

 黒羊にとっての怪物バラムを負かすには、後、一手足りない。


 その一手こそ。


「————オオオオォォォォォォオオオアァァァアアアアアアッッ!!」


 魔術。

 いや、魔物や魔獣が使うそれは、術ではない。

 超自然現象。災害のようなソレだ。

 それは、世界の摂理、世界の

 

 だ。


「——ぁ」


 音は無かった。

 術者から発される魔術とは違い、魔法は魔力があるところからであればどこからでも使用可能。

 例えば、地面。


 鮮血が舞う。


 その光景に、ユディアは言葉を失い、アニムは絶叫する。


「あ、ぁぁああッ……——バラムッッ!!」


 地面から生えた三本の漆黒の槍が、バラムの左腕を貫いた。

 手首、肘、肩。取り返しがつかないことは、子供でもわかる。

 魔法の黒槍が霧散すると、ぶらぶらと頼りなく垂れるバラムの左腕。腕を落とされたわけではない。だが……もう使い物にはならないだろう。

 

 膝を折ったバラムは、まるで黒羊の足下に傅くような体勢で動きを止めた。


「ォォォォ……」


 静かな黒羊は、彼を讃えるように、上り詰めた自分を誇るように唸る。

 放っておけば失血で死に至るであろうバラム。だが黒羊は、自分の手で終わらせるために拳を振るった。


 その時。


「ひっ……はははははッ」


 痛みで脳がショートしたのか、壊れたのか……バラムは満面の笑みで顔を上げた。


「——


 ヒュンッ!


 黒羊に聞こえたのは、そんな風切り音。


「————?」


 黒羊は不可解な音に首を傾げ、音の方向——に目を向ける。

 

 襲い来る喪失感。


「ギッ」


 痛み。


「ァァァ」


 ——左腕を失った黒羊の肩口から、鮮血が噴水のように噴き出した。


「—————ァァァァァァアアアアアギャアアアアアアアアッッ!!」


 たたらを踏んでその場に尻餅をついた黒羊は、傷口を抑え、激痛にのた打ち回る。

 傷口に残る白の魔力。混迷の中で黒羊が目にしたのは、振り上げられた『白狼の月欠け』と……落ちた自分のだ。

 膝を付いた状態で、瀕死のはずのバラムは笑っていた。

 尋常ではない。正しく異常。


 転がりまわる黒羊を見ながら、バラムはユディアに声を掛ける。


「ユ、ディア……」


「な……んだ」


「……僕の左腕——


「——わかった」


「なっ!? バラムっ!?」


 声を上げるのはアニムだけ。

 ユディアは震えながら、白銀の剣を上段に構える。


「まっ、待ってユディアッ!!」


「ふぅ……ふぅ……」


 ユディアは息を荒げ、カタカタと手を震わせる。

 だがバラムは、二人をゆっくりと振り返った。


「——大丈夫」


 水を打ったように、二人の心は穏やかに変わる。

 聞こえるのは、黒羊の絶叫と黒羊が転がる音。

 目に入ったのは、狂気ではなく――理性に満ちたバラムの瞳。


 気が違ったとか、痛みでおかしくなったわけではない。

 バラムはバラムのまま……この局面を切り抜けようとしているのだ。


「ごめんアニム。怖かったら目、閉じといて。……ユディア、頼んだ」


「……っ」


「恨むなよ」


「当然」


 アニムは目を閉じない。

 その光景を、目に焼き付けるために。


 そして――白銀は振るわれた。


 するっ。

 傷を負っても天才的なユディアの剣術は、まるでバターを切るかのようにバラムの左肩に通る。

 バツンッ!


「~~~~~~~ッッッ!」


 歯ぐきから血が出るほど食いしばって絶叫を抑え込むバラム。


(声ッ……出すなッ……耐えろ耐えろ耐えろッ!!)


 二人の少女の命を背負い、くだらない意地で耐え抜く。

 震える口を開き、自分と同じ状態の黒羊に勝ち誇る。


「い、痛いなこれ……っ……でも、転げまわるほどじゃ、ねえよ」


 バラムは、自分の傍らに落ちたモノ――黒羊の左腕を拾い上げ、


「————ォォォオオオオッ!!!!」


 ゾクり。

 黒羊は、感じるはずの無い上位の存在に対する恐怖を味わう。


 イカレている。

 魔獣である黒羊ですら、恐怖する光景だ。


「ちょうど……いいじゃないか。このままじゃ、ダメだと思ってたんだ。僕があの光景を超えるなら、————ただの人間のままじゃダメだって思ってたんだよぉッ!!」


 バラムは、嗤い、叫んだ。


 腕を失った左肩に、黒羊の左腕を合わせ――――



「——『転換魔術コンバージョン』ッッ!!」



 そう、唱えた。


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