急変と“黒羊”

 アシッドモスとの遭遇からほんの少し歩調が落ちたウル班は、それでも各々の課題を順調にこなしていく。

 僕からすれば慎重さが増した安全な演習なのだが、約二名の不満そうな学徒は白けた顔で参加していた。

 この班ではウルに続いて課題を達成しただけあって優秀な学徒なのだろうけど、如何せん自信があり過ぎるきらいがある。だからこそ彼らは慎重な判断ができるウルの班に入れられたのだろう。アニムの班だったら、大抵の危険はアニムがどうにかできるため彼らの危機感は育たないだろうから。

 だが、先ほどのように自分から前に出ることはなくなったため、アシッドモスの生態についての情報が彼らを成長させたらしい。


 過去に参加したことのある僕からすれば、それこそがこの演習の意味でもあると思う。

 魔術の優秀さに比例するように伸びた自信を、魔物の恐怖によって叩く。

 昔から知識を得てから実戦のタイプだった僕は魔物についても過剰なまでに調べていたから問題はなかったが、そうじゃない学徒にとっては魔物の生態は未知の恐怖に他ならない。

 今回アシッドモスに遭遇したウル班の面々は、今後は魔棲帯に棲息する魔物についての事前準備を怠らなくなるだろう……たぶん。

 まぁそうじゃない奴は早死にするだけだ。この世界はそんな無謀な奴に合わせて出来てないからな。


 例えば、


 ——ドスンッ!


 重いものが地面を叩く音がウル班に届く。

 見れば、前方の木々の隙間から大きな影がうっすらと見える。

 Fランクの魔物、ノームドールだ。

 見た目は土塊が寄り集まって人型を成している土人形だ。大きさは個体差を踏まえても平均2メートルであり、かなり大きい。

 ダズリルの森でも頻繁に出現していた魔物である。

 どうやらまだこちらには気付いていないようだ。

 

 ウル班の様子をちらりと見ると、やはり先ほどのように飛び出していく学徒はいない。


「……少し森に入り過ぎた。戻ろう」


 ノームドールを視認したウルは冷静に言う。

 姿を見ただけで危険を把握しているということは、彼女はちゃんとヴェーム大森林の魔物についての予習をしてきているらしい。流石だ。

 その判断に異論を挟む学徒はいなかった。彼らは素直に来た道を引き返し、Gランクの魔物を探し始める。


 そんな中、一人の学徒が僕に近づいて来た。


「な、なあ」


「ん? どうしたの?」


 歩きながら言い辛そうに口を開く男子学徒は、それでもおずおずと続ける。


「さっきの魔物……フロストが戻る判断をしたってことはFランクなんだろ?」


「ああ、ノームドール? そうだね」


「さっきのアシッドモスって魔物と同じランクってことは、あいつも何か特徴があるのか?」


 そんなことを訊いてくる学徒を少し意外に思いながら、僕は頷いて返す。


「ノームドールは、身体に土を引き寄せる性質のある磁石みたいな魔力を纏ってて、土塊を鎧にするんだ。見た目は2メートルくらいだけど、本体はそこまで大きくない。大きく見えてるほとんどが土なんだ。でも、当然重さがあるから一撃の威力がかなり高い。予備動作も大きいし動きも遅いけど、当たったら僕らみたいな子供なら即死だろうね」


「即死……か」


 魔物の恐怖を感じてぶるっと身体を震わせる彼は、小さな手帳に僕の言葉を書き留めていく。

 その様子が何だか……ほんの少し嬉しかった。

 だから僕は少しのお節介を焼いてしまう。


「確か君は……『風魔術ウィンド』が得意だよね」


「あ、ああ……よく分かったな」


「うん、見てたからね。ノームドールはさっきも言った通り、土の鎧を纏うから重いんだけど、だからこそ自重を扱い切れてないんだ。言ってしまえばずっと重い物を背負いながら動いてる……みたいな。だから『風魔術ウィンド』なら……『突風ガスト』をぶち当ててやれば簡単に転ぶよ。そうすれば起き上がれなくなるから、魔術で鎧を剥がして本体を叩くか、背中側の守りの薄い部分を物理的に攻撃すれば討伐できる。けど! 攻撃力と防御力はFランクの中でも凶悪な部類だから、今は手を出さないのが一番」


「そう、か……あ、ありがとう」


「こちらこそ、頼ってくれて嬉しい」


 きっちりとメモを取ってくれた彼は満足そうに歩調を速めた。

 感じたことのない充足感を誤魔化すように周りを見回すと、何人かの学徒が彼と同じようにメモを取っていた。僕と目が合うと急いでそれを隠し、恥ずかしそうに僕を追い越して魔物の捜索を始めた。

 貴族とは平民の上に立つ者。そう教えられてきた彼らは、自分と同じ貴族にしか頼ることが出来ない。

 だが、間近に命を危険を感じたのなら話は別。得られる情報をプライドのために逃すのは愚行でしかないからだ。


 彼らよりも長く人生を歩む僕には、そんな姿が微笑ましく映る。

 一度目の僕も、彼らみたいに魔術に対するプライドを持っていた。アニム以外に頼ることが出来なかった僕は、周りからは貴族みたいに傲慢に映ってたんだろうか。

 今となってはもうわからないけど……二度目の今は、もっと周りとの関係も大切にしていかないと。そんな不思議な感慨が僕を襲う。


「…………」


 真横から注がれる視線。

 演習が始まった時から感じているそれは、ウルからの怪訝で、値踏みのような視線だ。

 一度目と同じように何を考えているかわからない無表情フェイスから繰り出される窺うような視線はほんの少し不気味だ。

 そんな視線から逃れるように左側に目を滑らせた時。


「……ん?」


 思わず喉から戸惑いの声が鳴った。


 木々の隙間から覗く異物。枝木のようなそれは、まるでシカの角だ。

 シカの……角?


「——ッ!?」


 瞬間、脳内に警鐘が鳴る。

 反射的に剣を抜いた僕に、ウル班の驚いたような視線が集まった。


「……どうしたの?」


 小さく訊いてくるウルに、僕が向いている方向から距離を取るように静かに手で合図する。

 少しの間の後、ウルは「みんな、下がって」と学徒たちを移動させた。

 約二名イラついたように僕を見てくる奴らは、僕に質問してくれた学徒が無理やり下がらせていた。


 学徒たちが充分に距離を取ったのを確認した瞬間。


 ——ヒュンッ!


 そんな風切り音が鳴った。

 そして、僕たちに向かってナニカが豪速で飛来する。

 方向に辺りを付けていた僕は、音に合わせて剣を構え、物体を視認して思い切り剣を振り上げる。

 ガキンッ!と硬質な音を立てて僕が弾いた物体が学徒たちの前に転がった。

 それは30センチほどの鋭く太い針。


「キュルル……」


 いななきながら姿を現したのは、一匹の鹿型の魔物だ。


「……マジか」


 学徒たちの前に立ちながら、切っ先をそいつに向ける。

 大きさは獣のシカと大差ない。違うのは筋量と一回り大きな角。そして、尾骶骨から伸びる骨のような尻尾だ。

 カラカラと音を立てる尻尾は、再び照準を合わせるように僕らに向けられた。


「……スパインディアー」


 ウルが呟いた。

 発達した背骨が皮膚を貫いて尻尾のように動き、あまつさえ尻尾の先を針のように飛ばしてくる遠距離攻撃を得意とする厄介極まりない魔物だ。

 ランクは“E”。特殊な生態だけでなく、身体能力も高い。

 ダズリル近郊の森では出会わなかったランクの魔物。ランクで言えばガレウルフの特異種と同じレベルだ。

 あの白狼は妖精憑きオロチだったから比較対象にはならないけど、充分な脅威であることには違いない。

 

 だが、僕が感じたのは脅威ではなく違和感。圧倒的な異物感。

 

 ——このヴェーム大森林に、スパインディアーは棲息してないはずだ。


「——キュルルルルゥゥゥ゛ウウッ!」


「ふッ!」


 スパインディアーがもう一度嘶くと同時に、僕は走り出した。

 ヒュンッと射出される尾先を予測と反射神経で弾く。ユディアの剣速に慣れているからこそ可能な芸当だ。

 幸いスパインディアーの連射速度は遅い。これが速かったらもう一ランク上の危険度だっただろう。

 動く物体を狙う性質を利用して、スパインディアーの意識を僕に釘付けにする。

 肉迫する僕に振り下ろされる角を掻い潜り、がら空きの前脚を渾身の横薙ぎで斬り払う。


「キュオオオォォオオッ!?」


 痛みに叫ぶスパインディアーは暴れ馬のように跳ねまわり、ドンドンと破滅的な威力を持った前脚をそこら中に叩きつけた。

 咄嗟に後退した僕に、充血した目を向けるスパインディアーは随分と怒り心頭のようだ。


 だが――ここにいるのは僕だけじゃない。

 魔術の用意をし始めた“彼女”をちらりと見ると、彼女は僕に驚いたように目を見開く。

 本当なら止めるべきなんだろうけど、彼女の実力を知っている僕は存分に甘えさせてもらう。

 ここで必要なのは早期の討伐と退避だからだ。


 注意を引くためにもう一度間合いを詰め、弄ぶようにスパインディアーを何度も切り裂く。

 ランクEだけあってかなり頑丈なスパインディアーは血だらけになりながらも激昂して僕を追う。

 前脚を振り下ろし、後ろ脚を跳ね上げ、時には尻尾を突き出してくるスパインディアーの攻撃は、面白いくらいに僕には当たらない。それどころか必ず迎撃され、傷を増やすだけだ。


 時間を掛ければ僕一人でも充分討伐可能だ。

 でもやはり、暴れる魔物の懐に入るのはかなり危険であるため、ここは『安全かつ早急に』を取らせてもらう。

 スパインディアーは気付いていない。

 僕を追いかけるあまり、の存在に勘付くことすらできていない。


「そこ、射線上」


 嘲笑うように言って、僕はその場を離脱する。


「——模倣魔術イミテーション


 ウルが、そう囁いた。

 瞬間、僕の横を通り過ぎたのは――スパインディアーの背骨だ。

 いや、それはスパインディアーが放つ物よりも大きく、速く、強い大砲。


 ドパンッ!!

 スパインディアーの頭部に着弾したソレは、派手な音を立ててスパインディアーの後方の木々までをも貫いていた。

 断末魔すら上げることが出来なかったスパインディアーは崩れ、魔玉に変わった。


 その結果を喜ぶことなく、僕はアヴェル教授に渡されていた魔宝玉を砕いた。

 砕いた瞬間、異常事態を知らせる赤い光が上空に上がる。

 これは演習において用いられる危険信号だ。


「一度開始地点に戻ろう」


「な、なぜだ……?」


「スパインディアーの棲息地域は荒野や平原。アルヴァリムの国土で言えば森を抜けた先にある平原とかだね。スパインディアーは尾先を飛ばして獣や鳥の狩りをするから、木とか葉みたいな障害物が多い場所にはいないんだ」


「迷い込んだ……とか?」


「魔物が自分の魔棲帯を離れることはまずない。まぁ無い話じゃないけど、僕たちが来たのは聖都側からだ。平原があるのは聖都側から森を挟んで反対側でしょ? つまり迷い込んだにしては


 魔物は自分が棲息する魔棲帯から離れた時、明確な目標がない場合はすぐに縄張りに戻る性質がある。

 だが今のスパインディアーは、平原から離れて森に入り、聖都側に近い場所まで足を踏み入れていることになる。


 まるで何かに引き寄せられている様に。

 僕の経験上、魔物が何かに引き寄せられている場合、“何か”が起こっていることがほとんどだ。それも、悪い事が。


「ってわけで……どう?」


「…………わかった」


 ウルに訊けば、彼女は僕の目を覗き込みながらゆっくりと首肯した。

 学徒たちが足早に移動を始める中、ウルはやはり怪訝そうに呟く。


「わたしの才能タレント……知ってた……なんで」


 僕は聞こえないふりをして、彼らの護衛を続ける。





■     ■     ■     ■ 




 蠢く。


「ォォオオオオオ」


 立ち上がる。


 少年のような体躯。

 まるで人間のような身体を持ったソレは、動き始めた。

 頭部に付いた巻角と不気味な相貌。


「オ゛ア」


 黒い羊の魔獣が、産声を上げた。     





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