異変と誤算

 夜。

 木漏れ日がなく、冷たい空気が流れる森で立ち尽くす。

 GランクかFランクの魔物しか現れないこの森に夜に入るモノ好きは僕以外いないようで、光源も一切ない。

 夜に活動するための能力アビリティを持っていない僕は、王都から離れて暗闇に目を慣らす。

 月明かりはぼんやりと照らす程度で心許無い。


「アルセント」


「にゃ。いまんとこだいじょぶにゃ」


 他の物より少し小高い木の上に潜んだアルセントは、猫獣人特有の夜目を光らせて周囲を警戒する。

 手に灰狼のアギトを持ちながら、僕も周囲の警戒を怠らない。

 

 正直、来るという確証があるわけでもなく、待ちぼうけになる可能性だって少なくない。

 だが、平原を南下した先にあるのはこの森しかない。

 特異種の討伐情報は広まるのが早いが、アルセントの耳にも入っていない。


 来る、はずだ。


 それからしばらく、閑静な森の中では何も変化が起こらない。

 野鳥の声どころか気配も感じることなく、魔物との接敵もない。


「……アルセント?」


「なんにもないにゃ。動物どころか魔物一匹いないにゃ」


 アルセントの言葉に、確信する。


「そうか……ならもう少し奥に行こう」


「にゃ?」


「森に入ってから、姿。ガレウルフは夜行性。昼間よりも遭遇機会が多いはずなのに、一匹も見ていないのは不自然だ」


「……そうだにゃ……りょーかいにゃ!」


 アルセントには、歩く僕の後を追って木々を飛び移りながら、周囲に目を凝らしてもらう。


 森に起きた異変。

 それには特異種の出現が関わっている可能性が高い。

 ただの勘ではなく、特異種の生態を鑑みれば明らかだ。

 僕が歩く道にもなっていない地面に積もった落ち葉に微かな血痕を見つける。


「やっぱり……いるな」


 凶暴性を増した特異種は、移動した住処で捕食を繰り返す。

 人も魔物も関係なく、目についたものを襲い、殺し、喰らう。

 道端に無惨に喰い荒らされたガレウルフだったものを見下ろしながら、耳を澄ませる。

 アルセントから報告は入らない。


 ガレウルフの死体を足で転がすと、粘性の音を立てる。

 血が渇いてない……殺されて間もないな。


「バラム。東側でなんか動いてるにゃ」


「……距離は?」


「ギリギリ見える程度にゃ。ミィが猫獣人で良かったにゃ」


「連れてきて正解だ。行こう」


「にゃっ!」


 できるだけ音を立てて東側に駆ける。

 凶暴性を考えれば、きっと音に反応するはずだ。落ち葉を踏み荒らしながらの移動で釣れる……といいけど。

 予備で持ってきた木の剣と石の剣がぶつかり合う音も一緒に立てながら、アルセントの案内に従いながら走ると――――グチャッ……。


 気色の悪い音と、苦し気なうめき声を鼓膜が捉えた。

 音に釣られて視線を滑らせれば、“ソレ”が目についた。

 白い体毛、妖しく光る真っ赤に充血した眼。


「白い、ガレウルフ……」


 見る人間が見れば綺麗とでもぬかしそうな幻想的な体躯。

 月明かりに照らされると白銀にも見えそうな体毛は、魔物だとわかっている僕の目を惹きつけて止まない。


 だが、だが。


「……失敗した。調子乗ってたな……僕」


 周りに転がってる死骸の山を前にして僕に二の足を踏ませたのは、白いガレウルフが口から度々漏らす


「白いガレウルフ……特異種ね……。これ、そんなんじゃねえぞ」


 ガレウルフのランクはG。特異種だった場合二段階上のEのはず。

 しかし、それならば決定的におかしい点がある。


「Eランクの魔物は、なんて使えないだろうが……!」


 “ソレ”が口から漏らしているのは、明らかに魔術のそれだ。

 ならばこれは、ガレウルフの特異種ではなく、別のナニカだ。


 そして僕には、その正体に心当たりがあった。


 廃棄魔力と空気中の魔力が結合したものが『魔物』。

 そしてその魔物の正反対に、超高密度の純正魔力が凝固し、空気中の魔力が結合して生まれる『妖精』という生物が存在する。

 発生するのは稀で、絶対数も魔物ほど多くない。意志を持つ物よりそうでない物の方が多い、超自然的生物。

 

 純粋な世界の魔力から産まれるのが『妖精』。

 廃棄された人間の魔力から産まれるのが『魔物』。

 区別はこんな感じだ。


 魔物と妖精。そんな二つの存在が、極稀に融合することがある。

 捕食や性質の合致。さまざまな要因を経て誕生するその魔物は、魔術を扱い急速に成長する。

 その名は―――――


「お前―――妖精憑きオロチだな」


 僕の目標とする、厄災級の魔物。

 こいつは、そのだ。


 形は狼。ガレウルフに酷似しているが……素体がそうなのだろうか。

 冷静に分析している場合じゃないのに、僕の【明晰】能力アビリティが思考を明瞭にする。

 魔術を使える時点でD以上は確定だ。

 いや、待て。


「ふぅー……アルセント、出てくるなよ……」


「言われなくても行かないにゃ……」


 上部から聞こえる声に頷きながら、僕の目は周囲を観察する。


 アイツは口から青い炎を漏らしている―――が、周りには木の葉が落ちていると言うのに炎が見当たらず、また鎮火した跡もない。


 ってことは……。


「お前……まだ魔術使えないだろ、なあ」


「グガッッ! ギュルルルルルッゥゥゥゥ!!」


 咆哮。威嚇のためのそれだろうが、やはり炎は飛んでこない。

 いや飛んで来たら即死だけどさ。


 低級の魔物が妖精憑きオロチになった際、魔術が体に馴染むまでのそこそこのラグがある。

 コイツはまさにそれ……だと思いたい。


「予想ばっかだな、僕は」


 二度目と言っても、僕の予想通りに行ったことなんてほとんどない。

 思えばアニムとの最初の会話から違うんだから、僕の記憶で頼りになるのは魔術や魔物の情報だけ。

 それを使ったアドリブ以外に、僕の強みはない。


 なら、それを信じるしかない!


 この時期、この森での妖精憑きオロチの出現情報なんて聞いたことが無い。

 それはつまり、これは僕が起こした一度目との変化ってことだ。

 なにがトリガーになったかは分からないけど、そうとしか考えられない。


 一度目との明確な変化。


 知らないうちに、身体が震える。

 灰狼のアギトをカタカタと揺らしながら、なぜだか心臓が熱く燃える感覚に声が出る。

 逃げる選択肢なんて、あるわけない。

 ここで逃げたら、一度目と同じ。


 諦めて、また背中を見てるだけは、ナシだッ!!


 だったら、


「……来い……ぶっ潰してやるッ!」


 立ち向かえ。

 一度目を――――ここで超える。


「―――――グッッギャアアアアアアアアアアアアア!!」


 応じるように叫び散らすソレは、炎を纏った大口を開け地を蹴った。

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