覚悟と克己
「ガアァッッ!!」
微かな陽炎を連れて跳躍する
夜に光る眼光は尾を曳いて、縦横無尽に森を飛び交い、その爪をもって命を刈り取ろうと破壊を行う。
振り下ろされる爪に間一髪で灰狼のアギトを差し込む。
目で追うのが精一杯で、反撃なんてできそうもない。
「左にゃ!」
「ッ!」
俯瞰で僕の抗戦を見ているアルセントの言葉に脳ではなく身体で反応する。
視線を寄越さず左に薙いだ剣に、確かな手ごたえを感じた。
白いガレウルフの固い鉤爪に灰狼のアギトが食い込む……が、爪は割れず、それどころか力で押し返される。
「ぐぅ! あっっついなぁ!」
口が近づくと熱が僕の肌を焼いて、ひりつく感覚に顔をしかめる。
こいつ、僕の剣を見て防いだ。知能がかなり高い。
GやFランクの魔物は知能が低く、本能で人間の攻撃を躱す。防ぐのではなくて躱すんだ。
でもこいつは防いだ。僕の攻撃を見て、危機だと判断して、なにより防げると考えた。
「っ……ぐ、ああああッ!!」
「グルルルルルル゛ッゥゥゥゥ゛!!」
力任せに押し返そうとするが、爪に自重を全て掛けながら僕の剣を押し込もうとガレウルフが唸る。
しかも――――
「グラアァ゛ッ!!」
「――――あッ!?」
振り下ろした爪と逆の鉤爪で、僕の腹を狙って横に裂く。
肉迫するする爪をバックステップでなんとか回避した。
「いってぇ……引っ掛かったか……」
僕の腹の服は薄く裂かれて、肌に一本の赤い線がジワリと浮かぶ。
剣を食い止めるだけじゃなくて、逆の手での反撃。僕が後退した後は深追いせず、様子を見ている。
力が強く、速く、賢い。
しかもこれでまだ成長途中だ。時間を掛ければかけるほどコイツは成長して手が付けられなくなる。
僕がコイツを討伐するチャンスは、今しかない……っ。
逃げる猶予も刻一刻と無くなっていると言うのに、自分が討伐するという理想に固執する。
そうでなければ追いつけない才能に背中を押されるように、死の淵へと歩を進める。
一瞬の思考の後、ガレウルフへと一歩を踏み出す。僕の動きを待っていたガレウルフは当然自身の前脚を振るって応戦を試みてくる。
僕は踏み出した瞬間地を這う程身を低く屈め、ガレウルフの爪を掻い潜って気迫の一撃を振るう。
俊敏な白狼は身体をしなやかに捩って躱すと、勢いのままに青い炎を纏った牙を突き立てようと地を蹴って強襲してくる。陽炎は先ほどよりも明確に空気を揺らして必殺の温度にまで達していることを伝えていた。
爪が当たっても、牙を突き立てられても僕の身体は使い物にならなくなる。
止まるな、止まるな、止まるな―――――
「止まる、なッ!!!」
胸の奥から込み上がった声を抑えることなく、破爪と熱牙の応酬を捌き続ける。
服が焦げ、破れ、時に肌に波及する痛みを無視しながら、一瞬の隙を待つ。
敏捷に振ったやつの攻撃にこちらの反撃を割り込ませることなど不可能なように思える。
でもそれができなかったら僕はここで死ぬ。
呼吸を忘れる攻防に焦りも逸りもなく、ガレウルフと躍るように身体を滑らせる。
ガレウルフの攻撃を剣でいなし、瞬く間に迫る牙の噛み合う音と熱を耳の真横に感じながら、膝を繰り出す。
腹にぶち当たった膝に唸るガレウルフ。その赤眼に向かって灰狼のアギトを三度突き出す。
月明かりを鈍く反射する灰色の刀身はしかし、後退を選んだガレウルフには届かない。
距離を取らせるなッ!
喚く思考に連れられて全速力で駆ける。
「グゥッ……! ギャアアアアア゛アアアアアア゛ッ!!」
間を詰める僕に眼を剥いたガレウルフは、それでも吼える。威嚇ではなく、驍勇の意を込めて。
コイツを魔物と考えるな。思考して攻撃を繰り出す人間と大差ない。
ガレウルフは迎撃の構えを取る。
目前で閃く僕の剣を僕と同じように身を屈めて躱し、下から突き上げるように爪を振り上げた。
当たるな、死ぬ。理解してる。
思考と行動を両立しながら強引に身体を捻り致命傷を避ける。
肩に入った裂傷を気にする暇はない。溢れる血が服を汚すがそんなことどうでもいい。
「―――――シッ!!」
長らく忘れていた呼吸を再開しながら通り過ぎた前脚を斬り付ける。続けざまの横薙ぎを前脚で防がれながら、純白の体毛にできた赤の跡に心を熱くする。
一度目の僕がこんなことをできたか?
恐ろしい魔物に出会って、逃げずに応戦して、傷をつける。
できなかった、絶対に。
ならこれで満足か?
答えは、否だ。
コイツを倒すのは僕だ。
他の誰かに期待するのは一度目の僕だ。二度目の僕は、自分に期待するようなバカな生き方じゃなきゃやってけない。
まあそれが無くても―――――こんな楽しいことを止められるわけないッ!!
「おおおおおああああああああッ!!」
「アアアア゛アアアアアア゛アアアアアア゛ッ!!」
僕とガレウルフの咆哮が混ざる。
まさしく獣の咆哮だ。
空間ごと削り取ってしまうと錯覚するほどの死の気配を纏った爪が僕に振り下ろされる。回避の後一寸先を通り過ぎる破爪に身震いしながら、間合いを潰す。
刹那、足下に落ちていたガレウルフの魔玉を拾い上げる。
この白いガレウルフが食っていた個体が息絶えたんだろう。
「―――
僕の片手には、もう一つの灰狼のアギト。
「グ――――」
ガレウルフの視線は、初めから持っていた方の灰狼のアギトに向けられていた。
白いガレウルフが喉奥から唸りを絞り出す前に……
「く、らええええええええッ!!」
死角から一気に突きだす。
想像の埒外からの攻撃。剣を生み出すなんて芸当を初見であろうガレウルフには予想できるはずもない。
奴の思考能力を逆手に取ったフェイント。
通用するのは一回きり。僕が一日に
ここで決め―――――
「グオオオオオオオオ゛オオオオオオ゛ッ!!」
剣を、熱牙が受け止めた。
いや、受け止めたと言うには無理やりで、口の端が裂けている。
だが、胴体を狙った渾身の突きに割り込み、その大口で嚙み砕くために牙を立てたんだ。
灰狼のアギトが熱で溶解する。
「まだだッ!」
呆気にとられたのは一瞬で、すぐさま片手を離しもう片方の灰狼のアギトで上段から斬撃を繰り出す。
だが白狼はあろうことか咥えたままの溶けかけの灰狼のアギトでそれをいなす。直後には反転し、後ろ脚での蹴り上げで僕を刎ねる。
「ごふッ!?」
無様に転がる僕を見逃すはずがなく白狼は炎牙を剥き出し突進してくる。
たたらを踏みながらなんとか体勢を立て直し、周りの木々を足場に僕の上部を飛び交う白狼の攻撃を剣で捌くことに専念しながら、機を窺う。
「アルセント!!」
「右、もっかい右! 後ろ、上にゃ!」
アルセントの声に耳を傾け、いなしながら防戦一方。
だが、諦めるわけもない。
同様の手は通用しない。
眼前の相手は魔術を使う魔物。
「……こんなに早く、試すことになるなんてな」
絶好の機会に、思わずほくそ笑む。
思考を放棄して、ガレウルフに突っ込む。
自暴自棄を演じろ。やつはそれを見て、隙だと誤認する。
一瞬に差し込むかのような僕にできる最速の突きから転じて、首元を薙ぐように払った。
勝機を焦ったかのような精彩を欠いた乱雑な攻撃でガレウルフを誘う。
僕の攻撃を余裕を持って躱した白狼は、
「…………グォォォオオッ!」
落胆したような、怒りを吐き出すような唸りを上げる。
一進一退の攻防に心を滾らせていたのは僕だけじゃなかったんだな。
だがその感情のようなものが、お前の命取りだ。
僕はガレウルフに向かって大振りの切り払いを見舞う。
わかりやすい軌道に躱す必要すらないと言うかのように払われた白狼の前脚が、僕の持っていた灰狼のアギトを弾き飛ばした。
そして―――――
「ギャアアアアアアアアアアッ!!」
至近距離で口内に青い光を生み出す。
喉奥からせり上がるその光はまさしく、魔術。
戦いの中で、僕との戦闘で自分を理解しながら成長を重ねた
思考し、観察し、実践する。
まるで、僕みたいだ。
眼前で放たれようとしてる魔術は、確実に僕の命を摘むだろう。
「――――バラムッ!!」
アルセントの焦燥の声がかすかに聞こえる。
正直僕も焦ってる。自分がここまで命知らずだって知らなかった。
一度目での、僕が生み出した最大の術法。
それは、アニムの言葉から始まった。
『バラムの魔術ってさ、魔力は転換できるんだよね?』
『あらゆるものだから……まあ理論上はね、試したことは無いけど。僕ができるって信じられれば可能性はあるんじゃないかな?』
『じゃあさ、魔術は!? 魔物が発動した魔術を転換出来たら、みんなバラムの凄さに気付くと思うんだけどっ!』
『…………まあ、理論上は?』
『じゃ、試そう!!』
アニムが天に撃ちだした魔術を転換する。
そんな馬鹿げたことを時間を掛けて試してた。
結局、死ぬ直前まで戦いを避けてた僕にそれを使う機会は訪れなかったけど。
「――――
名付け親は嬉しそうにこの名前を提案してきた。
自分の名前を入れちゃうってのは、相変わらず重いけど。
白いガレウルフが吐き出すように撃ちだした蒼炎は、僕の眼前で姿を変える。
射出される前に僕の魔術が作用し、蒼炎は剣を象りながら僕の手に収まった。
あの時、遊びで剣の形にしてたのがこんな風に役に立つなんて。
アニム、僕に剣を使ってほしそうだったしなぁ。
嫌に明瞭な脳は昔を回帰させる。走馬灯だったのかな、今の。
白狼は胃液を吐き出し、ふらふらと足取りを乱す。
初めて魔術を使ったモノには必ず訪れるもの。肉体にあった魔力量に調整するための現象だ。
人間であっても魔物であってもそれは変わらない。
狙って産み出した隙だ、刈り取るほかに選択肢はない。
「グ……アアアアァァァッ……」
苦しそうに呻くガレウルフは、僕から視線を外さない。
その眼には、敬意と、賞賛。畏怖の様なナニカを感じた。
これはただの妄想だ。意味はない。
僕の心に産まれたそれらの感情が、ガレウルフの目に鏡のように映っただけなのかも。
僕は、右手に持った剣を象った蒼炎を振りかぶる。
「グアアアアアア!」
「―――――楽しかったよ。ありがとう」
そのまま、振り下ろす。
意図せず漏れた感謝の言葉に自分で吹き出してしまう。
魔物に感謝とか、何やってんだろ僕。
蒼炎は白狼を包み、月明かりの下で燃え盛る。
僕の手から、持ち主を失った蒼炎の魔力も消えた。
蒼と白銀の残光をその場に落とし、粒子になって消えていく。
その場に残った魔玉は、月のように輝いていた。
■ ■ ■ ■
「す、すごい……にゃ」
ミィは今、すごいものを見てた。
見たこともない強い魔物。
あのままだったら取り返しがつかなくなってたほどの魔物を、バラムが倒した。
きっと、他の冒険者だったらもっと簡単に倒してたかもしれない。
でも、そうじゃない。
ずっと嬉しそうに笑いながら切り結んでいた二つの影に、感動に近い感覚を植え付けられた。
バラムはあの魔物を、あの魔物はバラムを。
あの世界には、その二人しかいなかった。
「ま、まあでも、ミィがいなきゃ危なかったにゃ!」
それもいつまでの話なのだろうか。
バラムはこれから、どんなものを見せてくれるのか。
「すごいやつに拾われたにゃ~、ミィは」
その隣にいられることを、少し誇らしく思ってしまうのだった。
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