第51話 一枚の布

「ほら、おかけ」


「ありがとうございます」


 ゼフさんに促されるままに俺たちはソファに腰掛けた。ゼフさんが飲み物をテーブルに置いてから、向かいの席に座る。さっきは薄暗くてわからなかったが、今ならわかる。この細い切れ長な耳は、シンシア様と同じエルフの耳だ。


「ゼフさんは、エルフだったんですね」


「ゼフ婆でいいよ。皆そう呼ぶからねぇ」


 ゼフ婆はうんうんと何度も頷いている。孫を見るような目だ。なかなかお年を召しているようだが、シンシア様よりは若い、と言っていいのだろうか? まあ、若そうには見える。


「わかりました。ゼフ婆、こんな時間にお尋ねしてすいません」


「いいよいいよ。アレックスのことだろう? まだサラのところに帰ってないんだって?」


 俺はゼフ婆の言葉にゆっくりと頷いた。バレリアさんの話で俺たちの尋ねた理由をゼフ婆が既に理解しているのは早かった。おしゃべりだなとは思ったけれど、こうなると少し助かる。


「ええ、十日くらい前にこの村に向かってからまだ戻ってないようです。何かご存知ではないかなと」


「ふむ。話を聞く限り、帰る途中に何かあったんだろうね。ここに来たのは八日くらいは前だったと思うから」


 ゼフ婆はな何かを思い出そうとしながらそう話した。アレックスのことが心配なのだろう。なんとか思い出そうと必死な様子が伺い知れる。

 その時、ゼフ婆が何かを思い出したかのように立ち上がった。


「時にそこの少女よ? お主は獣人じゃないか?」


 アリアのことだ。俺とアリアは顔を合わせた。アリアは俺に指示を仰いでいるんだろう。でも、その特徴的な耳は否定などできるはずもない。


「え、ええ。そうですけど?」


 俺の表情から察したのか、アリアが肯定の言葉を述べる。すると、ゼフ婆がうんうんと満足したかのように何度も頷いた。


「わしにできることはあまりない。でも、何か役に立てるかもしれないねぇ」


 そう言ってポケットから布を一枚取り出した。


「これはアレックスの忘れていったハンカチだよ。もしかしたら役にたつかもしれない。獣人の鼻はいいからね?」


 確かにゼフ婆の言う通り、獣人は耳も鼻もいいみたい。匂いかなにかでアレックスのことを探せるかもしれないとおもったのだろう。


「なるほど、匂いを覚えておけば何かの役に立つかもしれない。そういうことですね?」


 ゼフ婆は何度も頷いた。俺の考えた通りだと言うことだろう。

 俺はアリアに目配せをすると、アリアも俺の意図を察してハンカチを手に取りくんくんと匂いを嗅いだ。

「この匂い? なんか嗅いだことがあるような?」


 アリアは眉間に皺を寄せながら首を傾げてそう答えた。記憶の片隅を探っているような仕草だ。聞き覚えならぬ嗅ぎ覚え? のある匂いだったようだ。


「ほんと? 何処だろう。サラさんの店に匂いが残ってた、とか?」


 俺もアリアの手助けをしようと思いついた可能性を述べてみる。ここまででアレックスの匂いが残ってるであった可能性だ。


「いや、多分違うと思います……」


 んー、サラさんの店でもないのか。アレックスが来てるってことはここ、ゼフ婆の家にも匂いは残ってるかもしれないけど、だったら嗅いだことあるって表現はしないもんなぁ


「サラさんの店でもない、か。じゃあさっきのバレリアさんからとか?」


 宿屋の女将さんから匂いがするってのも変だけど、あとはそれくらいしか考えられなかった。バレリアさんに匂いを差し置いてアレックスの匂いがするのは考えにくいけど。


「いや、それも違います……」


 ほらね。そう簡単に人に人の匂いが付くはずはない。こうやって普段から身につけてる持ち物だったりでもないと。ハンカチだって洗ったら匂いが落ちちゃうだろうから、ゼフ婆から匂いがついてるハンカチを渡されるだけでも偶然なんだよなぁ。

 本人から匂いを嗅げるのが一番なんだろうけど、その本人がいないから困ってる訳で。


「やっぱ違うか……」


「でも、バレリアさんじゃないけど、人からだったような気も?」


 人から? そもそも今日ってそんなに人に会ったっけ? ベネザの街でもカンドの村でも数えるくらいの人にしか会ってなくないか? 会った限りなら、俺もアリアも知ってる人物しかいないよなぁ、ってことは?


「人って言うと、街とか村ですれ違った人? とか?」


 それでもアリアはすっきりしない表情をしている。そりゃ違うよな?


「人かー、あとは盗賊くらいしかいないんじゃないか?」


 俺はもう何も思いつかないので、ふと思いついたことを口にした。その瞬間、アリアの表情が晴れた。


「あー! そうです! そうです!」


「だよなぁ、そんなわけ。って! え? マジで?」


 予想していなかった反応に俺は驚いてしまった。そういえば顔は全員わからなかったな。あの中にアレックスが居たのか?


「盗賊? どういうことだい?」


 ゼフ婆が少し顰めっ面で俺たちに尋ねてきた。そりゃ気になるだろう。


「ええ、きょ……少し前にここに来る前に盗賊に襲われたんです。どうもアリアはその盗賊から、アレックスの匂いの覚えがあるみたい……」


 距離的に今日というのは、はばかられる。クリムゾンに乗ったから今日ここに辿り着けただけで、普通なら無理だからだ。だから俺は今日と言いかけてから少し誤魔化した。幸いゼフ婆はそこはあまり気にならなかったようだ。


「盗賊? 一体何が……」


 ゼフ婆は首を傾げて悩んでいる。可愛がってたのはわかる。信じられない気持ちはあるのかもしれない。


「どんな事情があるかわかりませんが、とりあえず居場所の手がかりは掴めました! 有難うございます!」


 俺は御礼を言って勢いよくゼフ婆の家を飛び出した。クリムゾンが盗賊を燃やし尽くさなくて良かった、と思いながら。


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