17-2 決意 B

 蟻の巣のように細く入り組んだ地下の隠し通路には、避難民を休息させるために開けた空間が数箇所用意されている。街の出入口と場外へ通じる複数の抜け穴との距離はいずれも遠い。なので、疲弊した通行人を休めるための広間が設けられている。その広間は現在、ハーフブルスとデムセイル双方の兵士達の野戦病院であり、対の緊急拠点として使われている。

 ハーフブルスの騎士が僕を面会所へ案内し、席へ座るよう無言のまま顎をしゃくった。僕はその通りに腰を下ろすと、騎士は出ていく。一つの広間を貸し切る形で、フェイフォンと話し合う。

 やや遅れてフェイフォンがデムセイルの兵士と共に現れた。兵士は着席指示に至るまで丁寧に彼女を案内し、胸に手をかざすデムセイル式の敬礼をしながら無事を祈り、後にした。

 彼があれほど慇懃に振る舞ったのは、僕の姿がデムセイルの者にも伝わったからなのだろう。ここに来る前、僕はラプラの手鏡を借りて自分の顔を見てみたが、刺青のような碧色の斑模様が顔中に点在していた。そんな恐ろしい姿に成り果てた人間が先程まで敵方にいたのだから、怖がるのも無理はない。フェイフォンも血を浴びていたものの、鎧の上ゆえに大方防げていた。僕ほどの異形ではないだろう。

「……大丈夫か」

 フェイフォンが僕の顔を見て問いかけていた。彼への推察から自己卑下に耽るあまり、無意識に視線が下がっていたらしい。改めてフェイフォンの方に目を合わせる。

 先の戦いで悪魔の血を浴びたフェイフォンだが、見る限りではやはり何の異常もない。緋鬼の名の由来である鬣の色とは対照的な白く緩やかな巻き髪で、額を大きく露出している。つり上がった細眉と紅色の映える両眼は、鋭さと誠実さを感じさせた。高い鼻に薄朱色の口を噤ませて、しなやかな革の鎧に身を包んだ姿は、明らかに僕より場数を踏んでいる冷徹な将軍の佇まいだった。しかし、先程問いかけた口調はいくらか人間味があり、戸惑いと心配が滲んでいた。

「大丈夫……です」

 相手の纏う威厳を目の当たりにして、初めて圧倒される。フェイフォンは目を丸くしていたが、少し表情が緩んで動揺する僕を落ち着かせた。

「そんなにかしこまらなくていい。私達は対等に戦っていたんだ」

「……僕のあの戦法は、対等と呼ぶには卑怯じゃなかった?」

「いいや、魔人の戦い方として申し分なかった。君は強かったよ。私もあれほど戦いを楽しめたのは初めてだ」

 戦いを楽しめた、か。

 少しその言葉が引っかかったが、彼女もそれを察して発言を訂正した。

「すまない。君の経歴からして、このような発言は不謹慎だった」

「別にいいよ。僕はハーフブルスの兵士だから。……エルナで人助けしてたことも知ってるの?」

「ああ、存じている。その過程でクィキリと会ったことにも」

「なら、僕の善行が『偽物』だってことも、分かってるんじゃ」

 あんな姿になったクィキリのことを許すことも助けることもできず、彼の叫びのような大嵐に対しても何もできなかった。その虚しさが僕を卑屈にさせる。ともすれば嫌味にも聞こえるだろう――だけどフェイフォンは何も言わず、ただかぶりを振った。

「私は認めている。君の善意を」

 再び俯いた僕の視線が戻るのを待ってから、彼女は言葉を続けた。

「自らの身体を浄め、清水をもって枯れたエルナの住民に水を提供したのだろう。民にとっての君の評価は分からない。への偏見は、長引く戦争によってより強まり、戦いの道具として以外に存在を認められない人は確かにいる。だが四元素の力を担う君が争い以外の方法で魔法を扱ったことは、同じ境遇にいる誰かに希望を与える」

 だけど僕は兵士になった――堂々巡りが再発するのを遮るように、フェイフォンはさらに語りかけた。

「それに君は兵士になっても、あの狂飆の後には柔軟に人助けしていたじゃないか。勿論先の戦いで恐れる者もいるが、君のその心意気、見逃さない人もいるんだよ。君の流浪の半生で、君を拾ってくれた人がそうなのだろう。そして私も見逃していない」

 僕は歯を食いしばり、涙を堪えた。そして、フェイフォンやみんなの言葉に対する正直な思いを打ち明けた。

「なんでみんな、僕をそんな風に言うんだろう。どんなにいいことをしても、今の自分自身が全部台無しにしているのに」

「そうだな。同じような気持ちを私も抱いている。だが、戦いへの苦しみも、戦いを楽しんでしまう背徳も、すべて戦いを願う者がもたらしたものに過ぎないと思う。そもそも君たちは、として召集されたんじゃなかったのか?」

 そこで、僕は自分の失念をふと悟った。堪えきれない涙が溢れ出た。悲しみではない。悔しさと怒りが混じった涙。

 ああそうだった。思い返せば、平穏だった日々は全てハーフブルスが奪っていったのだろう。クィキリを追った時に騎士がいなければ、ライラックとマギの元に戻れていた――いや、それは自分の過失もある。だがこの戦いさえなければ、僕もラプラもクラプスも、他の魔人たちも、自分の心を欺いてまで戦う道理はなかったはずだ。

 ならばこの自惚れた卑屈さも、半ば仕組まれた感情なのだろう。数え切れないほどの命を奪ったことは、絶対忘れはしない。この先もずっと悔やみ続ける。だが、誰かの勝手な野心で争いに巻き込まれた以上、自分を追い詰めるまで責める必要はないはずだ。それはこの暗がりにいる誰もが背負う謂れのない業だ。

 涙を拭い、深く息を吸って吐いた。

「落ち着いたか?」

 フェイフォンが微笑みかけて尋ねた。その表情がなんだか妙だった。『慈しみ』っていうのだろうか。

「フェイフォンさんの言葉って、説得力あるね」

 素直に話してみると、「まあ、君よりは長く生きているからな」と言って彼女は腕を組んだ。

「君たちのような若い兵士を見ていると、置いてきた家族のことを思い出す。息子と娘が一人ずついるんだが、夫が早くに亡くなってね。そんな時にデムセイルが声高にハーフブルスへの戦意を発揚していた。夫は私が家にいるべきと考えていたようだが、元来性別関係なく兵士になれる世界なのだから、家族を守るために兵士になった。今ではと呼ばれるほどになったが、私自身のことよりも子供達の成長の方が気がかりだった」

「……フェイフォンさんは残るべきだったと思うよ」

「そうか。だが、どんな選択をしたにせよ、私は子供との時間を取り戻さないといけない。それは親としての責任だ。幸い私も君のおかげで、進むべき道を思い出せたよ。家族を守るために国と共に戦うのではなく、大義名分を捨ててささやかに暮らし合う道をね」

 フェイフォンは右の籠手を外し、そっと開いた手のひらを見つめながら言った。彼女もまた、戦い以外に人を助ける道を選ぼうとしていた。それは昔の僕がしていた人助けと似たようなものなのだろうか。無意味でないことにようやく気づけたとしても、『トモダチ』だった彼の言葉は未だ重くのしかかる。

「フェイフォンさんはクィキリのことをどう思ってたの?」

 変わり果てた仲間への回想を求めることは、僕にとっては重い質問だった。フェイフォンは神妙な面持ちで言葉を探していた。

「彼を見ていると……運の悪さに打ちひしがれる想いになる。彼自身はもちろん、彼を救えない私たちも運を持っていない。少年時代、相当な暴力を受けていたことは彼や他の多くの者からも聞いた。思えば彼の向こうみずな挑発は、遠回しに助けを求めるための狼煙だったのかもしれない」

 フェイフォンはそこで言葉を切り、僕を案じるように見つめた。クィキリの変貌を間近に見た僕の心中を察するようだったが、僕はそこから彼への同情に徹しきれなかった。

「あいつが孤独なのはずっと気づいてた。でも、だからって孤独を振り撒くのは違うと思うんだ。

 傷ついたんなら、素直にそう言って甘えておけばよかった。だけどクィキリは捻くれていたんだ。自分がこんなに壊れたんだから、他のみんなも同じくらい、いやそれ以上に壊れて欲しいと思ってたんだよ……それは、違う」

 話すうちに、自分の確信が揺らいで言葉が濁った。フェイフォンは少し間を置いて、厳しいんだな、と言った。

「だが、発露した悪心あくしんを振り撒くほど不毛なことはない。それを止めるための厳しさは必要だと思う。恐らく今のクィキリには、もうどんな言葉も届かない」

 声色にやるせなさを宿してフェイフォンは続けた。その言葉に、僕は一つの確かな考えに思い至り、改めて彼女に眼差した。フェイフォンは口を結んだまま視線を合わせ、互いに考えていることが同じであることを確かめ合った。クィキリの仲間だった彼女に言わせまいと、僕は先んじて頭の中の考えを口にした。

「止めよう、クィキリを。そして全部終わらせるんだ」

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