16-3 血風 C

「ちっ……!」

 器用に頬を掠めた風の正体を把握して、詰めていた騎士との距離をすぐに離した。一騎打ちを中断された僕ら二人が同時に顔を上げると、商品の崩れ落ちた大店の煙突に外套の青年がしゃがんでいた。荊のように棘を逆立てた両腕と、翡翠の瞳をちらつかせる山狗のような銀の髪。口では笑っているが、目には生気が宿っていない。

「内城の警護はどうした」

 緋鬼が僕の前で初めて声を発した。クィキリは笑みを消して返答する。

「終わったよ」

 デムセイル城の内門の更に奥には、最後の抵抗に殉じようとする王家の宮室があった。東門から侵攻した覇軍先鋒は内門から王宮へ突入し、デムセイルの貴族達を捕縛する手筈となっている。だが本来それが行われるのは味方本隊が合流してからのはずだ。

「この窮状に遊んでるのか、とでも言いたげだな? 互いにじゃれ合ってる今のお前らの方がよっぽどお戯れだぜ。ま、こいつを負かしたあんたが止めるのは合理的だよ。そこは評価する」

「内城はどうなっている」

「さっき言ったろ? 終わった。いや違うな。オレが終わらせた」

 クィキリの胡乱な発言に、僕らは戦闘態勢を解いて彼を睨んだ。

「言葉遊びはともかく、それはどういうことだ。まさか、陛下は」

「ああ。このまま戦うのも犠牲が増えるだろ? だから最小限の被害にしたよ」

 抑揚のない語りに、僕らは言葉を失った。

「馬鹿な。陛下を、王を手にかけたのか」

「王様の配下もことごとく潰したよ。オレそういうの嫌になるからさ、手当たり次第潰したの。ヘルク、お前も貴族の馴れ合いは好きじゃないよな?」

 突然話をふられる。当惑と憤りが混じっていた僕には、到底答えられるはずもなかった。

「だけど命の価値は分かるよな? 戦いしか取り柄がない能無しでも。戦いなんてしなくても少数の犠牲で済んだんだ、お前達の偽善なんかよりオレはよっぽど偉いぜ」

「貴様、自分がしていることを分かっているのか」

「分かってるよ、尊い御身分なんだろ、それくらい分かる。だから命を奪う快感はえげつなかったさ」

「ふざけるな! お前が勝手に王様を倒したら、城外に逃げた人は――」

 クィキリの態度に腹を据えかねて、僕は声を荒らげた。だが次の言葉を掻き消すように、クィキリの突風が突きつけられる。今度は首に命中した。油断を嘲笑うように血が流れ落ちた。

「それ、罰な。オレに忠言した罰」

 右手で傷口を塞ぎながら歯を食いしばり、僕は本気の軽蔑をもって彼を睨んだ。クィキリの口角が再び吊り上がる。挑発を強めるように彼は僕の傷を指差した。

「今塞いでる手、よーく見てみろよ」

 ほくそ笑みながら、傷を塞ぐ手に指先を向ける。首に添えた手を変えて、僕は右手のひらを目の前に向けた。その瞬間、絶望が脳を萎縮させた。

 赤く鮮やかな血液に混じる、濁り果てた青緑の色。

 青ざめた顔で手を震わせる僕を、クィキリは呵呵と大笑いして貶めた。

「それ、オレの血だよ! 悪魔の力を発揮した時、気づいたんだ。これがあればどんな奴でも穢せるってなあ」

 悪魔の血。それに触れてしまったものもまた、禁忌として扱われる。

 状況を飲み込めず、クィキリに向けて目を丸くするしかない僕を見て、斧の騎士はクィキリに非難の叫びをぶつけた。

「失望したよ……身も心も、悪魔オルクスに委ねてしまったのだな」

 静かな怒りを吐いた騎士の口を塞ぐように、彼は穢れ血の混じった風弾を放った。騎士は避けず、敢えて受け止めた。よろめいて膝をついた騎士の鎧に膿んだ色が飛び散る。

「なんで避けなかったんだ? まさか、穢れたいのか?」

「受け止めることが、私なりの返答だ。この少年が直面した現実、背負えるなら背負わせてもらう」

「じゃあ何で鎧なんか着てるんだよ。脱いでもう一回受けろよ、そうしないとこいつと『同じ』にはなれねえぞ」

「悪辣な方便だな。どの道肌身に染み付く」

「こんなちょっぴりの量が染み付いても穢れないと思うんだが。ほら、もう一回やってみるぞ」

「……どこまでも幼稚な性分だ。もはや貴様の過去への同情は尽きた」

「正直だな。そんなことはどうでもいいだろ。過去と今に何の関係がある?」

 余裕ぶった口調で、しかし図星をつかれたクィキリが次の風弾を打ち付けようとしたその時、空を切り裂く鬨の声が城内に響いた。

「やっと来たなァ……!」

 先程の苛立ちが嘘のように晴れやかな様相になり、彼は立ち上がる。

「いいか騎士団長、ヘルク。よく聞け。オレは悪人じゃないんだ。さっき言った少数の『犠牲』なんてものも、オレは端から気にしてねえ」

 後方の兵士が、醜い姿の魔人の姿を捉えた。一斉に矢をつがえ、放つ。だがそれは彼の吹かせた横殴りの風に全て巻き込まれる。

「本当は街にいた奴らも全部やりたかったけどよ、それでも今デムセイルにはこんなにも命がある。全てオレが奪える命だ。今からやるのはクソみたいな悪行だ」

 クィキリは両手を広げ、高らかに声を上げた。味方の声色にどんどん覇気がなくなっていき、彼の空気が出来上がる――そう、ここはもう彼の『舞台』だ。僕らのいるデムセイル城の周囲に、巨大な大気の渦が形成されつつある。

「早く自分を終わらせたかった。それがようやく叶う。自分で自分にトドメを刺すんだ。だが自分以外のヤツらも一緒に終わらせられるんなら、最高だと思わないか⁉︎ 希死念慮と殺意で全部を巻き込んで、『自死』を他の連中にも拡大させるんだ! これこそ最高のごうだよ‼︎」

 僕はようやく冷静さを取り戻した。いや、土壇場の本能とでも言うべきものが目覚めた。背後を振り返り、声を張り上げた。

「早く逃げろ! 風に閉じ込められる前に! 急げ‼︎」

 同じく風の渦にたじろいでいた兵士が、より一層どよめきながら撤退を始めていく。

「逃すものか」

 その一言を境に、大気の渦は一気に勢いを増した。狂飆。暴れ狂う怒りの圧縮。僕らは一人の宿怨に閉じ込められた。

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