13 招雷

「――なるほどなあ。良い締めで終わらせてくるじゃないか」

「ふふっ、ツチノヤの薫陶は確かに染みついてるね」

「なんだよ、ラプラもそう言うの?」

「まだ起きていたのですか? 皆早く就寝なさい。夜明け前に行軍再開ですよ」

 隊長の注意で僕らは天幕へ向かう。仰る通りだ。子供は早く寝た方がいい。潔く床について――戦争へと切り替えなければ。

 翌日、地平線を朝の光が照らす頃、僕らは再び動き出す。出発の前、兵士達は東の空に手を合わせる。『戦勝祈願』とのことだ。僕らも明けの空に向かって『卵』を食わされた。遠路の行軍ゆえ、魔人兵は滋養のために毎朝口にする。また、竜卵黄の琥珀色を呑むことは、まさに太陽を身に宿す行為だから縁起がいいんだそうだ。

 こういう験担ぎは、昔から異界では盛んだったと聞いていた。勝つために舞を舞い、縁起物を口にする大将もいたという。しかし異界との接続が行われなかった数百年の間に、異界の文明は恐るべき早さで進歩していた。鉄の杖さえあれば、誰だって命を奪える世界に変わっていたんだ。今思えば、そんな世界は危険でしかない。

 行軍中にも、僕の頭の中は異界への疑問ばかりが浮かぶ。隊列を乱さないために、一々頭から振り落とすばかりだ。マギの言う通りにしていれば、今頃ここにいることはなかったのだろうか――いや、自分で決めたことなのだから、考えるのも野暮だ。

 休息を取りながら昼夜を跨ぎ、十数里先のアプ・マジマ砦近辺に辿り着いたのは翌日の宵の刻。最後の休息でそれぞれ補給を済ませたのち、兵士の隊列とその前方に配された精鋭、そして魔人兵の先鋒が陣を敷く。

 一日で一番暗い夜明け前の刻。三日月すらひた隠す、戦を願うような曇天。戦陣の最前線で魔神部隊の長、ルーベ隊長が腕を掲げる。蒼炎が腕に絡みつくように燃え上がり、伸ばした指先の一点に炎を徐々に凝縮させる。やがて雫大の大きさになると、隊長は突撃の合図のように勢いよく腕を前に伸ばし、蒼い矢弾を飛ばした。凝縮された蒼い火矢は流星のごとき速さで空気を切り裂き、遠く離れた東門の前で爆発した。恒星のような爆花の轟きは、立ちはだかる五、六人の番兵もろとも門を吹き飛ばした。

 『嚆矢』。異界のしきたりだ。しかしこの世界と結びつくことで、それは最も苛烈な開戦の合図となった。ハーフブルス軍――『覇軍』は侵攻する。焦げ果てた敵の骸を踏みしめて。

 魔人に後続して城内に雪崩れ込んだ兵士は、戦列の整わない敵兵や逃げ遅れた民を次々と討ち倒していく。幾百、幾千の怒号と凶刃が際限なく静寂の夜闇を生死渦巻く混沌に変える。覇軍兵士は今、伝承の化身だ。の名にふさわしい。猛狗のごとき戦士が暴れ狂う中、僕ら魔人兵は怜悧な人狼のように一人また一人敵を屠る。演劇で聞いた『一騎当千』の意味を、身をもって思い知るほどの苛烈な戦い。

 一瞬の気の迷いすら許されない戦禍の中で、僕は泣き叫びながら逃げ惑う民の姿を見る。いずれもみすぼらしい格好なのは、外敵の侵攻にさらされやすい城郭東部一帯が貧民地区だからだろう。その姿はかつてエルナで助けた老婆たちのようで――ああ、この場で良心が疼いてくるなんて。この呵責に迷おうが掻き消そうが、その逡巡を加速するブレスの高まりにもイライラする。そのブレていく理性で魔力がさらに昂ってくる。そうだ、戦いが、戦乱が全て悪いんだ、だったら早く終わらせればいいじゃないか! こいつらを全部片付けて、さっさと勝てばいいんだよ!

 夜風が澄み渡るほどの静寂が、血風でドロッドロの饐えた戦場に変わっていく。四方八方に押しつぶされそうなほどの騒音と殺意の圧――上から凄い勢いで何かに叩きつけられてる――そこに土砂降りの雨も加わり、今まで経験したことのない地獄への興奮と怯懦を全身全霊に浴びる。

 この雨は力になる――そう思うが早いか、気づくと自分の周囲が敵味方を問わず阿鼻叫喚の雨嵐となっている。いや違う、雨なんかじゃない、雪だ、霰の嵐だ。そしてこの極寒と化した戦場で、不意に凄まじい破裂音と強烈な光が爆ぜる。朱と蒼の焦熱、爆音。極低音の飛沫と熱が混じり合い、時折強い衝撃の拡散も巻き起こる。その惨憺たる舞台にて、泥軍は慟哭し、覇軍は狂喜する。そして覇軍はなおも渇望する――もっとすごい衝撃を。雹嵐振り撒く大空にすら狂気を伝播させてまで、彼らは高揚を求めている。

 凝縮した冷気を槍に変え、数多の敵を薙ぎ倒す。標的の部隊を一つ、また一つと変え――その間隙に、暗闇を侵食するような明るさを頭上に感じる。氷槍を振るいながら、渦巻く好奇が天上をチラと仰がせる。稲妻。

 やがて覇軍の誰もがそれに気づいた。猟狗どもの雄叫びが一段と増した。求めている、みんなが求めている、夜明けを呼ぶ光を――この戦いを終わらせる最後の一撃を!

 天と地を繋ぐ一筋。それがある一点に落ちる。理解する間もなく、白光が全てを覆う。


 クラプスだ。

 あの落雷の下にクラプスがいる。戦場一帯の時空をほんのわずかに止めた雷が、クラプスの腕に導かれて落ちたんだ――。

 見惚れる間もなく次の白光が、南方の小高い地点にある砦を埋め尽くすように瞬く。天雷と彼が生み出した電光、その二つが交わる雷光と轟音がなぶるように、砦から城郭に響き渡る。そこから先のことはあまり覚えていない――気がついた時には頭は真っ白けになっていて、しばらく音も聞こえないまま呆然と目の前の景色を眺めていた。

 身体中に染みついた匂いとどろどろした感触にむせ返る。空気も猛烈に寒く、頭がそう判断した瞬間に身体が凍える。その時、ふと暖かい空気が背中を撫でた。

 妙に心が落ち着く感覚がして振り向くと、そこにはオレンジの――朱く染まる夜明けがあった。意識と視界が戻っていくのと同じ早さで、朝の光が外を照らす。

 平静を取り戻していく心が全てを思い出させる。僕はただ、抑えきれない涙の流れを拒めず、擦り潰しそうなほどに歯を軋ませるばかりだった。崩れ果てたあばら家、雨と埃の混じった血泥、それに塗れたバラバラの肉片。すべて、僕らが壊した命の温もりだ。

 夜明けを熱望した英雄気取りが、栄光を高らかに謳う朝焼けの空。その中で、一際強く少年の雄叫びが響き渡る。それは決して歓喜の絶叫じゃない。手遅れになってしまった絶望だった。

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